『餓(かつ)え』
不意に、鋭い視線を感じた。
研ぎ澄まされたナイフのような鋭い眼差しに、キッチンで食事の支度をしていたサンジは一瞬、身じろぎすらできなくなってしまった。
背後から見られているだけだというのに、何故、こんなにもその視線に怯えなければならないのだろうか。そんなふうに思いながらも、自然と包丁を持つ手が止まってしまう。
「お? どうしたんだ、サンジ」
不思議そうにルフィが尋ねる。
その声で、金縛りのようになっていたサンジの身体に、指先に、どっと血が巡り出す。
「いや、ちょっと考え事……」
動揺を悟られないようにサンジは振り返らずに言った。
食事の最中もあの鋭い視線はサンジに絡みついてきた。
その都度、サンジの身体中が凍り付いたように動かなくなってしまう。
原因はわかっている。
ゾロだ。奴に決まっている。それ以外に誰がいるというのだろう──サンジには、ゾロ以外に心当たりはいなかった。
二人が身体の関係を重ねる以前には、三日と開けずにこういったことがあったように思う。しかしサンジとゾロ、二人がこういった身体の関係を持つようになってからは収まっていたはずなのだが。
胃袋が満たされた者から順に、それぞれ自分たちの居場所へと戻っていく。
ルフィは随分と粘って肉を食べていた。最後の最後まで空になった皿のソースをベロベロと舐め、いじましいことをしていた。あまりにも鬱陶しいのでサンジは、ラウンジからルフィを蹴り出した。いくらルフィが船長でもそれとこれとは別問題だ。
一息ついてサンジがテーブルの上を片付けようと後ろを振り返った時、緑色のゾロの髪が目に入った。
「あ? まだいたのか……」
まいったなと呟いて、サンジはテーブルの上を片付け始める。
皆の食事を作り、食事を作ることで出た洗い物をすませるところまでがサンジの役目だ。ゾロから視線を逸らすと、サンジは食器を洗いだした。洗い残しがないか一つ一つ確認しながら、食器類を片づけていく。
ゾロはじっと、サンジの後ろ姿を見つめている。
気配だけで、サンジにはそれが充分わかった。
刺すような鋭い視線が、自分の背に注がれている。
視線が、背に、痛い。
ゾロの存在そのものが、今のサンジにとっては脅威だった。
その視線に気付いたのは、数日前のことだ。
何を言いたいのか、それとも言いたくないのか。じっと睨み付けるように、ゾロはサンジを凝視する。視線に気がついてゾロのほうを見遣ると、彼はぎろりとサンジを睨み付けてから視線を逸らす。
尋ねようにも尋ねられない。
会話の糸口を求めてあれこれ喋りかけようとしてはみるのだが、ゾロはただ黙ってサンジを睨み付けるばかりだ。
あれからしばらく、ずっとそんな状態が続いている。
どうしたものかと溜息を吐いていると、あの視線がまた、背中に鋭く絡みついてきた。
平常心を装って、片づけをこなす。すべて片づけ終えるまでは我慢、我慢と思いながらも、内心ではサンジはこれ以上はないほど苛立っている。どうしてやろうかと考えながらくるりと振り返ると、細くすがめた双眼がじっとサンジを凝視していた。
「あ? 何か用なのかよ」
鬱陶しそうにサンジが声をかけると、ゾロは黙って椅子から立ち上がった。
まるで、獲物を狙う、餓えた野獣のように、足音も立てずにゾロは近づいてくる。
「お前……」
サンジの喉の奥で、声が絡まる。ゾロの尋常でない様子に、どう言葉をかければいいのかがわからない。
後ずさろうとしてそれより一瞬早く、ゾロに腕を掴まれた。
「…つっ……」
ゾロは、力任せにサンジの腕をぎりぎりと締め上げる。
「はなせよ、クソ緑」
ゾロの手を振り払おうと腕に力を込めたところでシンクに身体ごと押しつけられた。
口づけは、嵐のようだったと表現したのはいったい誰だっただろうか。
シンクに身体を押しつけられたまま、キスを交わした。
ゾロの薄い唇が、噛みつくような勢いでサンジの唇を貪る。シンクの縁に押しつけられた背中が、ギリギリと痛む。
息継ぎをしようと口を開けた途端、ざらりとしたゾロの舌が口腔内へと入り込んできた。息もできないほど強く舌を吸い上げられ、つい、サンジは鼻にかかった声をあげてしまった。
抱きしめたゾロの背中の筋肉が、呼吸に合わせて波打っている。
その筋肉質な身体を抱きしめることで、サンジの中に、ゾロに対する愛しさがこみ上げてきた。
確かにここ何日か、うまくコミュニケーションをとることが出来ずにいた。
別に何があったというわけでもない。
ただ、ここ最近、あまりにも平穏すぎて、ピンと張りつめていた糸のどこかにたるみが生じていたのかもしれない。
「何だ、らしくないな」
茶化すように、サンジ。
ゾロの頭を腕に抱くと、緑色の髪に指を差し込み、がしがしと撫でてやった。
「いいんだよ」
照れくさいのか、唸るように、喉の奥から声を出してゾロは返した。
それから。
二人してこっそりと格納庫へとしけこんだ後、身体を繋いだ。
このところ疎遠になっていた相手のにおいを肌で感じるため、裸になって、時間が許す限り抱き合った。
気がつくと、あれほど餓えていたゾロの眼差しはいつの間にか穏やかな色になっていた。
餓えていたのはしかし、サンジも同様だったのかもしれない。
時折、気紛れにこういうこともあったほうがいいのかもしれないな──などと、こっそりとサンジは思う。
ゾロのほうは、一通り満足するが早いか、驚くほど無防備な体勢で眠り込んでしまった。ムードのかけらもへったくれもない男だが、サンジ自身がその男に惚れているのだから仕方がない。
「おーおー、よく眠ってくれちゃって」
小さく呟くとサンジは、ゾロのこめかみに唇を落とした。
── END ──
(H15.4.18)
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