これは単なる嫉妬だと、獄寺は思った。
まるで子どものようだと自分でも思う。
会議が終わるのを待つ間、自分はずっと嫉妬していた。会議に来ていた連中に。
ズルいと思わずにいられない。自分は別室で待機しているというのに、会議にやってきた他のファミリーのボスや幹部連中は、綱吉と同席して獄寺の知らない話をしていたのだ。そう思うと、無性に腹が立った。
それが仕方のないことだということは、わかっている。
それでも、悔しくて悔しくて仕方がなかった。
ぐいぐいと綱吉の腕を引っ張る。大股に歩く獄寺の数歩後ろを、綱吉は小走りについてきている。小さく文句を言っているのが聞こえてくる。
「すぐ近くのホテルに予約を入れてるんです」
ちらりと綱吉を振り返り、獄寺は告げた。
夕方、会議が始まる前に立ち寄った丘の上から、携帯であらかじめ予約を入れておいたのだ。あの時、綱吉は少しだけ休ませて欲しいと言って短い時間ではあったがうたた寝をしていた。その間のことだ。
「そんな、勝手に……」
獄寺の勢いに戸惑いながらも綱吉はブツブツと文句を言っている。
駐車場の車の前までやってくると獄寺は、不意に立ち止まった。顔からぶつかってきた綱吉が、痛いと小さく抗議の声をあげ、鼻を押さえている。
「ダメでしたか?」
尋ねると、ぶつけた鼻を押さえながらも綱吉は首を横に振った。
「構わないよ。お腹、減ってるし」
おいしいんでしょう? と綱吉は、獄寺の目を覗き込んだ。
「わ、おいしそう」
テーブルに並ぶ料理を目にした途端、綱吉は無邪気に喜んだ。
そんなに高くはないコース料理だったが、どれも美味そうだ。ホテルの一角に入るこじんまりとしたレストランは、少し遅い時間だからだろうか、お客はまばらだった。
「どうぞ、十代目」
綱吉が喜んでいる姿を目にするだけで、獄寺は腹いっぱいになるような気がする。
しばらくのあいだ獄寺は、綱吉が料理に手をつける姿をじっと眺めていた。
「──…獄寺君?」
声をかけられ、獄寺はふと我に返った。
「このビーフシチュー、おいしいよ」
ほら、と、綱吉がスプーンを差し出す。
「ほら、口開けて、獄寺君。おいしいから」
シチューを掬ったスプーンが、獄寺の目の前に差し出される。
恐る恐る獄寺は口をあけた。
柔らかな肉の食感に、獄寺は自分も空腹だったことをようやく思い出した。それまで手付かずになっていた料理に、獄寺は手を伸ばした。
言葉少なに二人は料理を平らげていく。静かだった。レストランの雰囲気も穏やかで、申し分ない。恋人とのデートにはもってこいだと入れ知恵をしてくれたのは京子とハルの二人だ。
食事を口に運びながらも時折、綱吉はチラリ、チラリと獄寺のほうへと視線を飛ばしてくる。
何か言いたいことでもあるのだろうかと獄寺が控え目に綱吉を見つめ返すと、フッと視線を逸らされる。
嫌われてしまったのだろうか? 勝手にレストランの予約をしてむりやり連れて行くような男を部下と呼びたくはないと、そう思っているのだろうか、綱吉は。それとも、恋人として失格だと思われてしまったのだろうか? 中学時代からのつきあいで、これしきのことで二人の仲が危うくなったことは一度としてなかったはずだが……もしかしたら綱吉は、昔からさして進歩のない強引な獄寺に嫌気が差してしまったのだろうか?
目の前に並んだ料理を平らげてしまうまで二人は、当たり障りのない会話をポツリポツリと交わし続けた。
レストランを後にする。
満腹の綱吉は、ニコニコと機嫌のよさそうな様子をしている。先ほどまでのどことなく気まずい空気は薄れていた。
「部屋、とってあるんスけど……」
先を歩く背中に獄寺がポソリと声をかけると、綱吉は立ち止まった。獄寺のほうを見ようともしないのは、やはり拒絶されているからだろうか。
「あの……」
お嫌でしたかと獄寺が言いかけた途端、綱吉はくるりと振り返った。
鋭い眼差しで睨み付けられ、獄寺は一瞬、たじろいだ。普段から穏やかな性格の綱吉が、こんなふうに怒るのは珍しい。やはり自分は何か粗相をしてしまったのだろうかと獄寺は夕方からの記憶をあれこれ掘り起こし始める。自分はいったい、綱吉にどんな粗相をしてしまったのだろうか。
硬直したままじっと綱吉を見つめていると、ほぅ、と息を吐き出した綱吉がゆっくりと近付いてきた。
「獄寺君。鈍すぎだよ、君」
唇を尖らせて、綱吉は呟いた。
「そういうことは、もっとタイミングよく言ってくれないと」
そう言いながら、綱吉はそっと獄寺に抱きついてくる。
いくらここがホテルの廊下で、少し遅い時間で人が少ないからといっても、いつ誰に見られるかわかったものではない。獄寺は慌てて綱吉の体を引きはがすと、額に軽く口付けた。
「気が利かなくてすみませんでした、十代目」
そう言って獄寺は、頭を下げる。この従順なところが綱吉は気に入らないのだ。
ムッとした表情のまま綱吉は、獄寺の手を取った。
「部屋、どこ?」
シンと静まりかえったホテルの廊下を、二人で歩いた。
部屋の中にいる人の気配は何となく感じられたが、廊下を行き交う人もおらず、二人はずっと手を繋いでいた。いや、綱吉が獄寺の手を離そうとしないのだ。
「あの……」
言いかけた口を、獄寺は躊躇いがちに閉じる。何と言えばいいだろう。いったい自分は、綱吉に何を言おうとしているのだろうか。
「部屋、ここでいいのかな?」
ふと立ち止まった綱吉が、ドアを指さして獄寺のほうへと視線を向ける。
「あ……はい、そうです、ここです」
そう言って獄寺はキーを取り出した。カードロック式の差込口にICカードを通すと、ドアはすんなりと開いた。同時に、自動照明が点滅して部屋が明るくなった。
「お先にどうぞ、十代目」
中をちらりと確認してから獄寺は、綱吉に声をかける。
「うん、ありがとう」
ぎこちない笑みを浮かべて、綱吉は部屋へ足を踏み入れた。会議の後の不機嫌が続いているのだろうか。やはり自分が何かしでかしてしまったのだろうかと獄寺は眉間に深い皺を作った。
獄寺が部屋のドアを閉めると、綱吉がすぐさましがみついてきた。鼻先に、ふわりと甘い香りが漂う。
「じゅっ……十代目?」
夕方と同じような体勢と獄寺は思った。両手を上げた格好の獄寺の体に、綱吉は抱きついている。
「どうされましたか、十代目?」
声をかけると綱吉は、怒ったような表情で獄寺の目を覗き込んできた。
「あのさ、獄寺君」
少し尖った声は、怒っているからだ。やはり自分のせいで十代目は怒ってらしたのだと、獄寺は思う。どうしようかと両腕をだらりと脇に垂らし、拳を握りしめた。
「仕事一徹なのもいいけれど、もうちょっと……そう、もうちょっとだけ、昔みたいに甘やかしてくれないのかなー、なんて……」
はは、と乾いた笑いを零して、綱吉が言った。
「十代目……」
ああ、怒ってらしたわけではなかったのだと、獄寺は不意に気付いた。怒っていたわけではなく、疲れていたのだ、綱吉は。日々の執務に追われて、どこにも逃げ場がなくなっていたのだ。それに気付いていたはずなのに、今ひとつ、踏み込みが足りなかった。綱吉のためだと言いながら、何かに遠慮していたのかもしれない。
「甘やかすだけでいいのですか、十代目?」
尋ねると、すぐに綱吉の腕がしっかと獄寺の体を抱き寄せてきた。密着した体の熱が、衣服越しに感じられる。
「──うん」
頷いた綱吉の腰に獄寺は、そっと手を回した。
ホテルのベッドはスプリングが効いていた。
優しいキスを何度も交わして、互いの体を抱きしめ合った。
獄寺の裸の胸元に、綱吉が鼻先をすり寄せてくる。くすぐったかった。
つきあい始めてかれこれ十年になるが、獄寺はこうして肌を合わせる時にはいまだにドキドキする。
癖のある綱吉の猫毛に唇を押し当てると、子どもっぽい甘やかな香りがふわんと鼻先をくすぐる。昔からこの人は、こんな優しいにおいをさせていた。ああ、このにおいが好きだと、獄寺は思った。
「さっきのことだけど」
獄寺の背中に手を回した綱吉が、おずおずと口を開いた。自分よりも少しばかり華奢な綱吉の肩や脇腹を手のひらでなぞりながら、獄寺はその言葉に耳を傾けている。
「オレ、夕方から苛々してたみたいで……」
ごめんねと、綱吉は言った。大人げなく八つ当たりをするなんてどうかしていたのだと告げる恋人の唇に、獄寺は「わかっていました」とキスを落とす。
唇をやんわりと吸うと、すぐに綱吉の舌先が悪戯っぽく獄寺の唇をつついてきた。
うっすらと唇をあけると獄寺は、綱吉の舌を口の中へと招き入れる。舌を絡めてきゅっと吸い上げると、綱吉の体がビクリと震える。
「ん……」
しがみつく手にぎゅうっと力がこもるのが愛しくて、獄寺は何度も綱吉の舌を吸い上げた。
END
(2010.04.29)
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