君の欲しいもの

  学校の屋上にあがると、暦の上ではもう秋だというのにまだ夏の日差しの名残りがギラギラと照りつけてくる。
  汗ばむ額を腕で拭うと綱吉は、はあ、と溜息をつく。
  九月九日が獄寺の誕生日だということを知ったのは、つい数日前のことだ。
  教室で山本と話をしているうちに、獄寺の誕生日のことを知った。
  去年は確か、獄寺の誕生日なんて聞かずじまいだった。つきあっているのに恋人の誕生日も知らないなんてと、綱吉は少しばかり自己嫌悪に陥っている。
  強引で、マイペースで、いつもはうるさいほど綱吉にまとわりついてくるあの男が自分の恋人だということが、いまだに信じられない。
  告白をしたのは獄寺のほうからだったが、それよりも少し前から綱吉も気にはなっていたのだ。獄寺のことが好きだということに、自分自身、気付いていた。彼のことが気になって仕方がない時期があったのも覚えている。男同士ではあったがそこらへんのごく普通の男女のカップルと同じように告白して、つきあいを始めた。だから余計に、恋人の誕生日を知らなかった事実にショックを受けているだけだ。
  屋上の隅のフェンスに背をもたせかけると綱吉は、小さな溜息をついた。
  獄寺の誕生日になにをしたらいいだろう。
  今月の小遣いは、夏休み中に前借りをしたからもうないに等しい。
  おしゃれでアクセサリーが好きな獄寺のことだから、ちょっとは値の張るプレゼントでなければ見栄えもしないだろう。
  空を見上げると、雲一つない青い空が広がっていた。
「……はあ」
  もうひとつ溜息をつくと綱吉は、フェンスの向こうの景色を見下ろした。
  放課後のグラウンドでは、いつくかの運動部がクラブ活動に勤しんでいる。運動部の活動を見学する生徒、下校する生徒と様々だ。
「プレゼント、なににしよ……」
  呟いて、綱吉はまたひとつ溜息をついた。



  屋上から教室へと続くドアを開け、踊り場に入ると、中の空気はムッとしていた。
「暑っ……」
  ひとりごちて綱吉は、階段を降り始める。
  野球部の下校時間にはまだ早かったが、この暑さだ。山本を待って一緒に帰るのは諦めた。一人ででものんびりと下校しようと綱吉は思う。
  獄寺はいなかった。
  新学期が始まって数日が過ぎていたが、獄寺は夏休みの終わりにイタリアの実家に呼び戻されていた。用がすんだらすぐに日本に帰ってくるとは聞いているものの、獄寺のいない日常はどことなく味気ない感じがする。
  それにしても、獄寺の誕生日までそう日がないのが気がかりだった。
  プレゼントをどうしようかと考えながら綱吉は階段を下りていく。
  どんなプレゼントをしたら、獄寺は喜んでくれるだろうか?
  おそらく。これはたぶん、綱吉の思いこみでしかないのだが、獄寺は、綱吉からのプレゼントであればなんだろうと喜んでくれるはずだ。そこらへんの道ばたに生えている雑草でも、コンビニで買ってきた新製品のスナック菓子でも、なんでも。きっと獄寺にしてみれば、綱吉からのプレゼントという付加価値があるならなんでもいいのだろう。
  それがわかっているから、逆に綱吉は悩んでしまうのだ。
  本当に獄寺君が喜んでくれるものは、なんだろう──と。
  階段の最後の一段を飛ばしておりると、綱吉は昇降口へと向かう。
  下校する生徒はまばらで、獄寺がいないことがなんとなく寂しく思える。
  いつもと違うのだと、綱吉は思った。



  家の前まで帰ってくると、見慣れた猫背の背中と銀髪が見えた。
  煙草の灰を落とす手に、ごてごてのシルバーのアクセサリーが見える。長くてほっそりとした指にしたシルバーリングが、彼を実際の年齢よりも年上に見せている。
「獄寺君?」
  恐る恐る、声をかけた。
  振り返った男が、ニヤリと綱吉に笑いかける。
「お久しぶりっス、十代目」
  いったいどのくらいの時間、綱吉を待っていたのだろうか、アスファルトには煙草の吸い殻が散乱していた。後で掃除をしておかなきゃなと綱吉はボンヤリと思う。
「……お帰り、獄寺君」
  ほんの一週間ばかり離れていただけなのに、その間も獄寺はマメに電話をかけてきてくれていたのに、懐かしいような気がして綱吉は、ポカンと口を開けて呆けてしまった。頭の中が真っ白になってしまって、これ以上の言葉が出てこない。
  目の前のこの男は、こんな格好良かっただろうか? こんなにも大人っぽかっただろうか? ニヤリと笑う獄寺の横顔に、わけもなくドキドキする。
「上がってってよ」
  口の中がカラカラに乾いてどうしようもなかったが、なんとか綱吉はそう告げた。
「はい! 遠慮なくお邪魔します」
  そう言うと獄寺は、綱吉について家の中へ上がった。



  二階の綱吉の部屋で改めて獄寺を見る。
  男前が上がったような気がするのは、恋人の欲目だろうか?
  冷蔵庫の中からちゃっかりジュースを二本持ち出してきた綱吉は、部屋に入るとドアを閉めた。ちんまりと正座する獄寺の前に、冷えたジュースを差し出す。
「どうぞ」
  スナック菓子はなかったが、別に構わない。獄寺が来てくれたのだから、それだけで充分だ。
「里帰り……してたんだよね、獄寺君」
  尋ねると、「はあ、まあ……」とかなんとか、口の中でボソボソと獄寺が返してくる。
「その、どうだった、イタリアは?」
  たかだか一週間ほど離れていただけで、綱吉は緊張していた。
  気恥ずかしいような照れ臭いような感じがしてならない。
「別に……普通っス」
  そう言って獄寺は、ジュースに口をつける。
「そう……」
  家族のことは、尋ねられない。イタリアのことは綱吉がたいして興味がない。喋りたい気持ちだけが胸の中にいっぱいに溢れて、どうしたらいいのかわからなくなってくる。
  どうしたらいいだろう。いったいなにを尋ねたらいいだろう。なにを話せば、いいのだろう?
  ちらりと獄寺を盗み見ると、一瞬、目が合った。
「あっ、あのっ……」
  視線を避けるようにして綱吉は、うつむいた。
「獄寺君、誕生日が近いんだってね」
  山本から聞いたのだとは、さすがに口にすることが憚られた。それに、恋人の自分が獄寺の誕生日を知らなかったこともどことなく腹立たしい。
「あー……」
  なにか言いかけたものの、ふと獄寺は口を噤んだ。
「なんでそんなことご存じなんスか、十代目」
  怪訝そうに尋ねられ、綱吉は弾かれたように顔をあげた。
「あの、山本に……そう、山本に聞いたんだ。獄寺君の誕生日が近い、って」
  獄寺の誕生日を恋人の自分でなく山本が知っているということが、実のところ綱吉にはショックだった。自分は獄寺のことで知らないことが多すぎる。
「ふぅん」
  呟いて獄寺は、難しい顔をする。
  怒っているのだろうか?
  今まで、誕生日のことも含めて獄寺の個人的なことにはたいして興味を払ってこなかった綱吉に、恋人として幻滅したのだろうか?
  恐る恐る獄寺の顔を覗き込むと、ニヤリと、綱吉の好き笑みで返された。



「嬉しいっス。十代目が俺のこと、こんなに気にしてくださってるなんて」
  改まって背筋を伸ばして、獄寺はそんなふうに告げた。
「えっ、あのっ……」
  困ったなと綱吉は思う。
  これまで気にしたことがなかった自分の不甲斐なさを責められそうで、居たたまれない。
「プ、プレゼント……そう、プレゼント、なにがいいのかわからなくって……それで……」
  リサーチしているところなのだと言いかけたところで、そっと肩を掴まれた。
  長い指が綱吉の華奢な肩をなぞると、ぞわりと背筋に震えが走る。
「プレゼントなんか……十代目のそのお気持ちだけで充分です」
  そう言うと獄寺は、素早く綱吉の唇を掠め取っていった。
  慌てて唇を押さえた綱吉は、今にも泣き出しそうな眼差しで獄寺を睨みつけた。
「ちょっ、な……」
  頬も、耳も熱い。
  なんでこんな時にと言いかけると、獄寺は柔らかな笑みを浮かべて綱吉の頬をやんわりと両手で包み込んだ。心持ち上向かせると、綱吉の薄茶色の瞳を覗き込む。
「ぁ……」
  ブルッと綱吉の体が震えた。頬をなぞる指の感触がくすぐったくて、知らず知らずのうちに息が洩れる。
「俺の欲しいもの、頑張ってリサーチしてくださいね、十代目」
  そう言って、獄寺はさっと綱吉から離れていった。
「ええっ、教えてくれるんじゃないの?」
「楽しみにしてます」
  嬉しそうな獄寺の声が響いた。
  獄寺君の、欲しいもの──小さく溜息をつくと綱吉は、仕方がないなと口の中で呟いた。



END
(2010.8.27)


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