甘い蜜 2

  唇がじかに触れあうことはなかった。
  互いの唇のあいだには、スイカズラの白い花。甘い香りに包まれて、綱吉は笑う。
「ん……」
  花びらごしのキスは、初めてだ。ドキドキしながらじっと獄寺の瞳を見つめていると、獄寺の手が、綱吉の肩をぐい、と引き寄せた。
「あっ……」
  息を吐き出そうと唇をずらした途端、花びらがホロリと舞い落ちた。
「もうっ、獄寺く、ん……」
  言いかけた綱吉の唇を、獄寺の唇がそっと塞ぎにかかる。
「ん…ふ、ぅ」
  獄寺の唇は、甘いスイカズラの味がした。口の中も舌も、スイカズラの蜜の味がしている。
  ゆっくりと唇が離れると、綱吉は小さく笑った。
「スイカズラの味のするキスだったね」
  こんなキスなら悪くないと、綱吉は思う。スイカズラの甘ったるい蜜の味も、気にならなかった。これなら我慢できそうだと綱吉はペロリと唇を舐めた。
  ふと見ると、獄寺は真っ赤な顔をして綱吉を見つめていた。
「あ……ごめん、獄寺君。驚いた?」
  ふざけるつもりはなかったのだと、綱吉は告げる。
  懐かしさのあまり、少しばかり調子に乗ってしまったかもしれない。
  ごめんねと綱吉が小さく囁くと、獄寺は顔だけでなく首のあたりから真っ赤にして、クルリと後ろを向いた。



  唇を押さえた獄寺は、首筋までも真っ赤にして立ち尽くしている。
「あの……獄寺君?」
  声をかけると、聞こえているのか獄寺の肩が、ピクリと動くのが目に入る。
「ねえ、ごめん。ちょっと悪戯が過ぎたかもしれない」
  そう言うと綱吉は、後ろから獄寺の体に手を回した。広い背中に額を押しつけ、ごめん、と小さな声でもういちど告げる。みぞおちのあたりで手を組んでしっかりと獄寺の体を捕まえる。すぐに獄寺の大きな手が綱吉の手に重ねられた。
  スイカズラの甘いにおいがあたりには漂っている。
「帰り道で……キス、したこと思い出しました」
  どこか困ったような獄寺の声に、綱吉はああ、と思う。
  スイカズラの蜜を吸ったあの後、二人は公園を出た。家までの道のりは遠いようで近く、時々、どちらからともなく道草を食っては二人きりの時間を少しでも長く感じるための悪あがきをしてみたりした。
  歩きながら獄寺は、九月九日が自分の誕生日であることをしかつめらしく口にした。いつもならもっと軽い調子で打ち明けてくるように思われた獄寺の照れたような様子を、綱吉は覚えている。
  確かあの時、別れ際に獄寺はプレゼントのかわりにキスをして欲しいとねだったのだ。
  つきあい始めたばかりの二人だったから、キスのひとつで一喜一憂したり、舞い上がったりしていた。あの頃は綱吉のほうからキスをすることなど滅多になく、獄寺にとっての綱吉のキスは、誕生日プレゼントとしての価値を十二分に持っていた。
  唇を軽く触れ合わせるだけのキスだったが、獄寺は随分と喜んでくれた。
  二人とも、今では考えないくらいに純情だったと綱吉は思う。
「ああ……そうだね。そうだった、キスしたっけ」
  ぐいぐいと額を獄寺の背中に押しつけながら、綱吉はひっそりと口元に笑みを浮かべる。
「嫌じゃなかった?」
  今の綱吉だったらおそらく、キスだけでは飽きたらず……。
  重ねられた獄寺の手の下から自分の手を引き抜くと、綱吉は勢いよく体を離した。



  獄寺のほうへと手を差し伸べると、綱吉はニコリと笑う。
「疲れただろう、獄寺君。屋敷へ戻ろう」
  誕生日のプレゼントはないんだけどね、と、こっそりと綱吉は思う。
  本当は、獄寺が任務から戻ってくるまでにプレゼントを買いに行こうと思っていた。それなのにことごとくリボーンによって予定を潰されてしまった。なにかの陰謀だろうかと真剣に悩んだほどだ。だから本当に、プレゼントはないのだ。なにかかわりになるものをと思って探していたのがスイカズラの花だったのだが……こちらは、当の本人である獄寺が先に目をつけてしまった。
  獄寺の手を引いて、綱吉は中庭を歩いていく。
「……今日、誕生日だね、獄寺君」
  ポソリと尋ねかけると、獄寺は「ああ……」と小さく呻いた。
「あの……ごめんね、獄寺君」
  手を繋いだまま、綱吉は言った。
  立ち止まり、くるりと振り返ると綱吉は、自分よりも少しばかり背の高い獄寺の顔を覗き込む。
「君の誕生日が今日だってことはちゃんと知ってたんだけど……ちょっと事情があって……その……」
  言いにくそうに綱吉がもぞもぞとしていると、獄寺は首を傾げて綱吉を見つめ返してくる。
  用意することができなかったのだと小さな小さな声で綱吉は正直に告げた。
  獄寺は、なにも言わなかった。
  ただ、綱吉の頬に手をやり、目の前のふっくらとした唇を自分の唇でそっと塞いだだけだった。
「ぅ、ん……」
  綱吉の手がすぐに、獄寺のスーツの襟元を掴んでくる。
「屋敷に戻りましょうか、十代目」
  耳元で獄寺の声がして、綱吉はコクンと頷いた。



  スイカズラの甘いにおいがしている。
  いつもなら煙草と火薬とコロンの香りがしている獄寺の部屋は、今日はスイカズラの甘い香りでいっぱいだった。
  部屋の主が不在のあいだに、煙草と火薬とコロンの香りは薄れてた。
  かわりに今日は、綱吉が手にしたスイカズラの香りが濃く甘く漂っている。
  ベッドの上に放り出したスイカズラの白い清楚な様子が、綱吉にはどことなく恥ずかしかった。
  スイカズラの花と同じようにベッドに転がった綱吉の上に、上半身だけ服を脱いだ獄寺がすぐにのしかかってくる。
「スンマセン、十代目。戻ってきたばかりだってのに、節操なしで……」
  申し訳なさそうに獄寺が言う。
  獄寺の言う通り、節操なしだと綱吉は思った。まさか、再会の挨拶もそこそこにこんなことになるとは思ってもいなかった。
  しかし綱吉にしてみれば、獄寺の誕生日のプレゼントを用意することができなかったという負い目がある。獄寺の好きにすればいいと、両手を差し伸べ、銀髪に指を差し込んだ。ガシガシと髪を乱すと、獄寺が嬉しそうに口元に笑みを浮かべた。
  シーツに縫い止められた綱吉のネクタイを、獄寺の手が器用に緩めていく。シュルリと音を立ててネクタイが引き抜かれたかと思うと、続いてボタンが外された。シャツを大きく左右に開かれる。チュ、と音を立てて獄寺は、綱吉の鎖骨にキスをした。
「あっ!」
  慌てて身を捩り、綱吉は声を堪えようとする。
  獄寺の唇は、綱吉をあっというまに高みに押し上げてしまいそうな危険な様子をしている。触れられたところから綱吉の肌がじんわりと熱を孕みだす。
「逃がしませんよ、十代目」
  そう言うと獄寺は、大きな手で綱吉の腹をそっとなぞる。優しい手つきに、綱吉の背筋がゾクゾクとした。
「ん……」
  くすぐったいのを堪えるようにして体を丸めようとすると、ぎゅっと抱きしめられた。スイカズラの香りに混じって、微かな煙草のにおいが綱吉の鼻先を掠めていく。
  広い背中に手を回した綱吉は、安心したように小さく笑った。
「逃がさなように、捕まえててくれる?」



  従順な犬のように獄寺は、大きく頷いた。
「どこにも逃がさないように、しっかりと繋ぎ止めておきます」
  そう言うと獄寺は、綱吉の腕を頭の上でひとつに纏め、ぎゅっとベッドに押しつけた。
「あの、獄寺君?」
  恐る恐る綱吉が声をかけると、獄寺は嬉しそうに綱吉を見下ろしている。
「痛くないですか、腕」
  尋ねる獄寺の瞳は真っ直ぐに綱吉を見つめている。普段は淡い緑色の瞳が、今は深いグリーンにも見えて、どことなく艶めかしい。
「痛いって言ったら、離してくれる?」
  そう言いながらも綱吉は、片足を膝立てて、獄寺の太股にすり寄せている。服の下では、下腹に熱い塊が集まり始めていた。
「離しません」
  強い調子で獄寺が返すのに、綱吉はそれでいいと、淡い笑みを浮かべた。
「じゃあ、ちゃんと繋ぎ止めておいて」
  甘えたように綱吉は、獄寺の頬に唇を寄せる。掠めるようなキスをして、獄寺からのキスを誘う。
  ゆっくりと、獄寺の唇が綱吉の唇へとおりてくる。
  チュ、と音を立ててキスされた。
  スイカズラの甘い香りと、恋人との甘いキス。
  目を閉じると、熱くてザラリとする獄寺の舌が、遠慮がちに綱吉の口の中へと侵入してくる。
  獄寺の舌に自分の舌を綱吉は絡めた。こうやって誘い込んでやらなければ獄寺は遠慮がちなままで、いつまで経っても綱吉の欲しい刺激を与えてくれない。
「ぅ……ん」
  空いているほうの獄寺のもう一方の手が、綱吉の肌の上を這い回っている。胸のあたりをもぞもぞとなぞっていたかと思うと、指の腹が乳首に触れた。
「ん、んっ!」
  ビクン、と綱吉の体が大きく震える。
  唇を離すと、獄寺は困ったように綱吉を見つめていた。
「あの、ゴムないんスけど……いいですか?」
  おずおずと尋ねてくる獄寺を、綱吉はやんわりと睨みつけた。
  せっかくのムードがぶちこわしだと言いたいのをぐっと堪えると、キスをねだる。
  すぐに獄寺のキスが唇や喉元やそれ以外のところにおりてきて、綱吉は満足そうに微笑んだ。
  ベッドの上のスイカズラはひっそりと、二人のために甘い香りを漂わせていた。



END
(2010.9.10)


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