雑食系男子

「ひどいよ、獄寺君!」
  部屋へ戻るなり、綱吉は抑え気味の声を喉の奥から絞り出した。
  パーティの間中、獄寺の周囲にはきらびやかな女性たちが集まっていた。いつものことだと笑ってすますことができればよかったのだが、今夜ばかりはやり過ごすことができなかった。
  気持ちがささくれて、どうにも抑えがきかなくなってしまっていたのだ。
「やっぱり女の人のほうがいいよね」
  綱吉はそう言うと、ちらりとうかがうように獄寺の目を覗き込む。淡いエメラルドグリーンの瞳は、辛そうにじっと綱吉を見つめ返している。
「昔からそうだった。君は、女の子によくモテてたよね。男のオレとつき合う必要なんてないんじゃない?」
  女の子なら、選り取りみどりの獄寺だ。同性である綱吉とつき合う必要がどこにあるというのだろうか。守護者だから? 綱吉がボンゴレ十代目だから? だから獄寺は、綱吉とつき合っているのだろうか?
「違います、そうじゃありません」
  苦しそうに反論した獄寺は、綱吉の肩をそっと掴んだ。
「離せよ」
  ムッとなった綱吉は咄嗟に告げた。
  睨みつける眼光の強さは本気の獄寺には叶わないが、たまにはこちらが強い態度に出ても構わないだろう。
  片手で獄寺の手を振り払おうとしたが、それよりも一瞬早く、抱きしめられていた。恋人の胸に抱き込まれ、ふと、コロンと硝煙のにおいが綱吉の鼻先をくすぐった。
「彼女たちと仲良くしろとおっしゃったのは、十代目、あなたですよ」
  咎めるように、綱吉の耳元で獄寺が呟く。
「俺は……あなたがそうしろとおっしゃったから、愛想よく彼女たちの相手をしていたまでです。誤解なさらないでください、十代目」
  耳元にかかる獄寺の吐息が熱い。
  綱吉は小さく震えると、獄寺の背中にじりじりと腕を回していった。



  いつも不安がつきまとっていた。
  今もそうだ。
  獄寺がどこか遠いところへ行ってしまうのではないか、いつか自分から離れてしまうのではないかと、不安に思っている。
  最初の不安はいつだっただろう。
  あの時だと、綱吉は思う。ヴァリアーとの対戦の時、中学生の頃のことだ。
  あの時、綱吉は索漠とした、しかし獄寺がいなくなってしまうのではないかという思いに囚われた。仲間の誰かが欠けてしまうのではないかという恐怖と初めて直面したあれが最初の恐怖だったろうか。そして恐怖は様々な形に姿を変えて、今なお続いている。
  部屋の姿見に映る自分をじっと見つめて、綱吉はこっそりと溜息をつく。
  自分よりも体格のある獄寺の腕が、綱吉を抱きしめている。鏡に映り込んだ姿は獄寺に寄り添い、しっかりと抱き返しているように見える。
  なぜ、こんなにも仲睦まじそうに見えるのだろうか。
  鏡の中の自分たちは、どうしてこんなにも幸せそうなのだろう。
  唇を噛み締め、綱吉はじっと鏡を見つめる。
「どうかしましたか?」
  耳元で囁く獄寺の声が、どこか遠くで響いているような気がする。
  鏡から目を逸らし、顔をあげると綱吉は、獄寺にしがみついていった。
「ごめん、獄寺君。オレ、ちょっと感情が不安定みたいで……」
  言いながら、眼球の奥がジリジリと熱くなってくるのが感じられた。このままでは泣いてしまいそうだ。
  奥歯を噛み締めると綱吉は、無理に笑みを浮かべた。
  心配そうな獄寺の表情が、ぼんやりとした視界の向こうで揺らいでいた。



  どうしてこんなにも不安なのだろうと、綱吉は思う。
  獄寺がいなくなることも心配だったが、綱吉の気がかりはそれだけではなかった。
  その容姿から獄寺が人々の注目を集めることも、気になって仕方がなかった。他の誰かが獄寺を見ている、獄寺のことを気にかけているのだと思うと、それだけでいてもたってもいられない。この男は自分のものだ、ボンゴレ十代目である沢田綱吉の右腕なのだと言って回ったとしても、おそらく心が安まることはないだろう。
  それもこれもみな、自分に自信が足りないからだということも、綱吉にはちゃんとわかっている。
  男の自分が、いつまで同じ男である獄寺と恋人でいられるか、そればかりを気に病んでいる。
  もしかしたら明日、獄寺にいきなり別れ話を持ち出されるかもしれないと、いつもそんなことを考えている。
  不安で不安で、仕方がない。
  誰にも相談したことはないし、また気軽に相談できるような類の話でもない。胸の内に抱えたまま、綱吉はいつも一人で不安と戦ってきた。
  獄寺に別れを告げられること、いつか離ればなれになってしまうかもしれないことに毎日、綱吉は怯えている。
  馬鹿みたいだと、小さく口の中で呟いてみる。
  そんなこと、考えたって始まらないではないか。
  泣きながらそんなことを思うものの、いちど高ぶってしまった感情は、なかなか綱吉の思い通りになってくれない。
「すんません、十代目」
  耳元に繰り返される甘い言葉に、綱吉はなんども頷く。
  抱きしめてくれる獄寺の体臭とコロンの香り、それに微かな硝煙のにおいに綱吉はそっと目を閉じた。



  自分の気持ちを口に出して話すべきだと言ってくれたのは、誰だっただろう。
  獄寺でないことは確かだ。
  これまでにも獄寺は、思っていることがあるなら言ってほしいと綱吉に散々声をかけてきた。だが、綱吉は獄寺にはなにも言おうとしなかった。
  なにもかも獄寺に甘えてばかりでは本当に自分はダメツナでしかないと思ったからだ。
  だから胸の内に抱え込んでいた。それではいけない、口に出して告げるべきだとわかっていたのに、そうはしなかった。ただ黙って獄寺が誰かと親しげに言葉を交わす姿をじっと横目に眺めてきた。
  嫌とは言えなかった。
  自分は男だし、なによりボンゴレ十代目だ。仮にもマフィアのボスが、自分の個人的な思いだけで獄寺の行動を制限するなど、あってはならないと思ったのだ。
  それがいいことなのか、悪いことなのか、それは綱吉にはわからない。
  わからないが、自分の心がひどく痛んだことだけははっきりとわかっている。
  獄寺を誰かに取られるのではないかと怯えていた。ダメツナな自分から獄寺が離れてしまうのではないか、別れを切り出されるのも時間の問題ではないかと、そんなことばかりを考えていた。
  獄寺と別れるだなんて、そんなことは絶対にできないだろう。
  だけど不安で不安で、仕方がない。
  自分は獄寺に相応しいだろうか? 同じ男で、ダメツナで……いいとこなんて、どこにあるというのだろうか?
  そんな綱吉の心配や不安をよそに、獄寺はたくさんの言葉をいつもくれた。その言葉すら信じられなくなっている今の自分は、やはりどこか気持ちが不安定なのだ。獄寺のことを信じられなくなってしまっているというのがいい証拠だ。
  ──…別れたほうが、いい?
  胸の中のわだかまりは、どうしたら消えてくれるのだろうか。
  どうしたら、この不安な気持ちはなくなるのだろうか。
  しがみついた手を離してしまうことが不安から逃れる術だと言うのなら、そうしたほうがいいのかもしれない。
  このあたたかで力強い手を離し、そうして自分は……



  ふと顔をあげると、獄寺がじっと綱吉を見つめていた。
「大丈夫っス、十代目」
  いつもは頼もしく力強く感じる獄寺の言葉も、今はなんの慰めにもならない。
  いちどはあげた顔を伏せ、綱吉は獄寺の胸に額を強く押しつけた。
  こめかみから頬のラインを辿る獄寺の指遣いが優しくて、また涙が出そうになった。
「……うん」
  頷きながらも大丈夫なわけがないと、綱吉は思った。もう、こんな関係を続けるのはゴメンだ。自分ばかりが辛すぎて、これ以上は耐えられそうにない。
「頼ってください、十代目。俺が全力で十代目をお守りしますから」
  その言葉に嘘はないと、綱吉は知っている。
  だけどその言葉に縋ってばかりいられないのだということもまた、綱吉は気づいてしまった。
  これ以上、獄寺に甘えていてはいけない。
  彼の手を離すことを決めたのは、他の誰でもない、自分自身なのだから。
「うん、獄寺君。頼りにしてるよ」
  呟いた言葉は、微かな震えを含んでいた。



END
(2011.1.18)


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