夢の中にその人は、するりと、事も無げに入り込んでくる。
会いたくないと思っているのに、こちらの意志などお構いなしに唐突にやってくるのだ。 気紛れで、意地悪で……そして少しだけ、気になる存在の、人。
もしも誰かに彼のことが好きなのかと尋ねられたら、嫌いだと即答するだろう。
性格が合わない。歳が合わない。そして、同性だという事実が、フゥ太の気持ちを複雑にしている。
綱吉は、フゥ太の味方だ。誰とは言わないが、ごくたまに、特定の人についての相談を持ちかけることがある。もっとも、綱吉の持つボンゴレの超直感とやらでフゥ太の言う特定の人というのが誰なのか、だいたいの察しはついているのかもしれないが。
相談の内容は、特定の人の不作法な来訪についての愚痴が大半だ。
いつもいつも、彼は気紛れにやってくる。
フゥ太の都合など考えてくれもしない。
やってきたと思えば不埒な真似ばかりをして、自分が満足すればさっさと引き上げていく。
もう嫌だと思ったことは、数え切れないほどある。
それでも彼の来訪を密かに心待ちにしているのは、どうしてだろう。
──好き、なのだろうか?
そんな考えがふと頭の中に浮かんできて、フゥ太は慌てて首をブンブンと横に振った。
あんな男のことを自分が好きになるはずがない。
あんな……身勝手で、嘘つきで、我が儘な男のことを、どうして自分が好きになることができるというのだろう。
はあ、と溜息をつくと、フゥ太はベッドに潜り込む。
こんな時はさっさと寝てしまうに限る。
なにも考えずに泥のように眠ってしまえば、明日からまた、なにもなかったように振る舞うことが出来るだろう。
ケットを鼻のあたりまで引き上げると、ぎゅっと目を閉じる。
自分勝手な男のことは、一切考えたくなかった。
ぞわりと、寒気を感じた。
たった今ベッドに入ったばかりだというのに、彼の気配を感じ取ってしまう自分にフゥ太はうんざりとした。
「なにしに来たんだ」
目を閉じたまま、気配のするほうへと声をかける。
男はなにも返さなかった。ただ、するりと頬を撫でられただけだ。男の手つきに、フゥ太の産毛がざわりと立ち上がる。
「んっ……」
唇を噛み締めると、男の指の腹が唇の輪郭を焦らすようになぞった。
「僕が来るのを待っててくれたんですか?」
クフフと男は笑った。
吐き気がした。大嫌いな男の指が、フゥ太の唇を、そして頬を撫で回している。目を開けたくないのに、開けなければこのまま男の手はどんどん大胆になっていくだろう。唇を噛み締めたまま、フゥ太はのろのろと目を開けた。
暗がりの中に、男が──骸が、立っていた。復讐者の牢獄で、水牢に閉じこめられているはずの男が、フゥ太の目の前にいる。幻だということはわかっていたが、それでも、彼が無事だということがわかってフゥ太はどこかしらホッとしてもいる。
嫌いだが、気になるのだ。
骸などいなくなってしまえばいいと思っているが、いなければいないで、それはまた気にかかるものなのだ。
「相変わらず天の邪鬼ですね、君は」
穏やかに、骸は笑った。
「せっかく囚われの牢から出て君に逢いにきたというのに、つれないですね」
伏し目がちな骸は、どこか悲しそうな、寂しそうな様子をしている。
騙されてなるものかとフゥ太が睨み付けると、骸は嬉しそうに喉を鳴らして笑った。
「今夜は、君が眠るまでここでついててあげましょう」
ベッドの端に腰をおろして、骸が言う。
フゥ太の顔を覗き込むと、額に軽く唇を押しつけた。
「やめろよ」
そう言ってフゥ太は、男の体をぐい、と押しのけようとする。男は面白がって、ますます体重をかけてくる。フゥ太の体を押さえ込むようにしてケットごと抱きしめ、頬をすり寄せてくる。
「悪夢を見そうだから、早々に帰っていいよ」
つっけんどんにフゥ太が言い放つと、額と目尻にキスをされた。
「このまま食べてしまいたいぐらいです」
男は鼻先を、フゥ太の首筋に押しつけてくる。
冗談だろうと、フゥ太は思った。
「冗談だろ」
キスは、何度もしている。男の手で幾度となくイカされたこともあるが、まだ、最後までしたことはない。そんな甲斐性がこの男にあるはずがないと、フゥ太はクスリと笑った。
「囚人なのにそんなことまでできるんだ? 幻なのに?」
馬鹿にしたように薄笑いを浮かべて尋ねると、骸はクフフといつもの笑みを洩らした。
「何故、できないと思うんですか? わからないと言うのなら、証明してあげましょうか、君の体に」 男の手が、ケットにかかった。流れるような動きでさっとケットをはね除けると骸は、フゥ太の腕をとらえてぐい、とベッドに押しつけた。
「さて、これからどうしましょう」
口元に浮かべた男の笑みが、癪に障った。
自分は、昔のように弱い人間ではない。あの時、幼かった自分は大人になり、男と対等に喋ることができるようになった。恐くなどないというふうにギロリと男を睨み付けると、また、笑われた。 「そんな眼をしていると、悪い男に犯されても知りませんよ」
その言い方にフゥ太はムッとした。
自分は馬鹿にされているのだ。どんなに頑張っても、この男には敵わないということだろうか。
「そんなこと、わからないよ」
フゥ太は言った。
だいたい、この男が最後までフゥ太を抱いたことがこれまでに一度としてあっただろうか。
どんな理由があるかわからないが、今まで骸がフゥ太を最後まで抱いたことはないのだ。一度として。言葉だけなら、なんとでも言うことはできるだろう。
おそらく……この場に、骸が実際に存在していないことが関係しているのではないだろうか。この場にいないから、いつも最後まで抱くことができないのだ。
ニヤリと口の端をつり上げてフゥ太は笑った。
「……できないんだろ?」
水牢に閉じこめられているのだから、おとなしくしていればいいものをとフゥ太は思った。こんなところまで出てきて、気を持たせるようなことばかりして、本当に腹が立つ。
「ここには存在していない人が、そんなこと、できるわけが……」
言いかけたフゥ太の唇を、骸の唇がやんわりと塞いだ。
「本当に可愛いお馬鹿さんですね、君は」
クフフと、男が喉の奥で笑う。嫌味な笑いかただ。産毛が逆立つような男の眼差しに、フゥ太ははあ、と息を吐き出さねばならなかった。
たった今、自分に触れているこの手も、この唇も、実際にはこの場には存在していないものなのだ。言葉ではなんとでも言えるだろうが、存在していないものが人を犯すことなどできるはずがない。
「無理だろ」
やや語調を荒げてフゥ太が告げるのに、骸は悲しげに首を横に振った。
「試してみないことにはわかりませんよ?」
キスは、できる。
確かに目の前に骸がいるのだと感じられる、あたたかなキスだった。
ひんやりとした骸の指先がするりとフゥ太の頬をなぞり、パジャマのボタンにかかる。指先が喉元に触れると、それだけでフゥ太は体を震わせた。
「おや。恐いのですか?」
からかうような男の声に、フゥ太はムッとなる。唇を噛み締め、じっと骸の顔を睨み付ける。
「そんなに睨まないでください。せっかくのムードが台無しだ」
そう言うと骸は、フゥ太の鼻先をちょん、と指でつついた。
最後までこの男に抱かれるのが恐いのではない。そうではなくて、この男が最後まですることなく自分の前から姿を消してしまうのではないかと思うと、恐くてたまらなくなる。
この男のことが好きかと尋ねられたら、もちろんフゥ太は嫌いだと即答することができるが、その気持ちは複雑に入り組んでいる。
好きとか嫌いとか、そんな単純に区別することができるようなものではないのだ。
「本当に、最後まで……」
言いかけたフゥ太の唇を、骸の指先がやんわりと押さえる。
「最後までして欲しいと言ったのは君ですよ、フゥ太」
ひんやりとした骸の指先がフゥ太の唇をなぞる。うっすらと口をあけると、骸の唇が合わさった。チュ、と音を立てて深く唇を合わされた。
「ん……」
口の中に潜り込んだ骸の舌が、歯列をなぞり、舌に絡みついてくる。互いの唾液が混ざっていく感触に、フゥ太はぞわりと体を震わせた。
「ぅ……んっ……」
躊躇いながらも手を、男の背に回した。
骸の体は、手よりもひんやりとしていた。たとえ目の前にいる彼が幻覚だとしても、水牢の中から抜け出すのは至難の業だったろう。
「んんっ……」
すがりついた背中の広さに、フゥ太はつい、ポロリと涙をこぼしてしまった。
今、自分は確かに骸に抱かれている。夢ではなく。フゥ太が密かに待ち望んでいたものは、これだったのだ。
息を吐き出すと、唇が震えた。
骸の背中に腕を回し、ぎゅっとしがみついたフゥ太は、胸の中でギスギスとしていたものが満たされていくような気がした。安心したような笑みを浮かべると、泣き笑いになった。
骸の指がフゥ太の目尻をするりとなぞり、滲んだ涙をぬぐい取る。
夢ではないのだと、フゥ太は骸の指先をとらえると唇を押し当てた。
(2010.5.30)
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