ベッドの中では

  目を閉じると、すぐ側に気配を感じる。
  ゾクゾクするような危険な気配に、フゥ太は体中の産毛が総毛立つのを感じる。
「……っ」
  慌てて目を開けようとすると、背後から抱きしめられた。
  誰もいない一人だけの部屋で、いったい誰がと思う暇もなく、首筋にひんやりとした唇が押し当てられる。
「どうして……」
  言いかけたフゥ太の唇に、やはり体温の低い指先が押し当てられる。
「しっ。黙ってなさい」
  宥めるような穏やかな声に、フゥ太は微かに身震いをする。
  嫌いなのに、こうやって抱きしめられると安心する自分がいる。来てくれなくてもいいのにと口では冷たく言うものの、心の底ではこうして夜ごと訪れる男のことを、心待ちにしている自分がいる。
  悔しくてならないのは、嫌だ嫌だと思いながらも自分の気持ちが、この男に傾いていっていることだ。
  どうして自分は、こんなにもこの男のことが気になるのだろう。
  どうして、自分は…──。
  頭をブンブンと横に振るとフゥ太は、気持ちを切り替えようとする。
  男のことは、考えないのが一番だ。
  自分が彼のことを気にするから、こうして夜になるとやってくるのだ、この男は。
  律儀に毎晩、フゥ太が気を抜いた瞬間に姿を現す、腹立たしい相手だ。
「離れてください」
  冷たくフゥ太が言い放つと、耳元に吐息を吹きかけられた。
「離れたくないと思っているのに? 自分の気持ちと反対のことを言うのですか、君は?」
  心外だと言わんばかりの男の言葉に、フゥ太は咄嗟に唇を噛み締める。
  そんなことを彼から言われたくはなかった。
  男の腕から逃れるようにして身をかわすと、距離を取ろうとする。
  逃げるたびに部屋の隅へと追いつめられているのはわかっていたが、それでも逃げずにはいられない。
  男の腕を振り払って後退ろうとした瞬間、膝の裏がベッドの端に当たった。
「ほら、やっぱり。本気で逃げようとしていないじゃないですか」
  そう言った男が憎らしくてならない。
  フゥ太は目の前の男を小さく睨みつけた。



  キスは、できる。
  嫌だ嫌だと思いながらもいつの間にか慣らされていた。
  抱きしめられ、耳たぶを甘噛みされることも、嫌悪感を抱かずにはいられないが、大人しくするだけの分別がつくようになった。
  男から逃れようと思えば、大人しくしておくに限るということをフゥ太は学んだ。
  嫌いだろうがなんだろうが、自分が我慢してさえいれば、そのうち男はフゥ太に飽きてしまうだろう。
  そう思うとフゥ太の心のはじっこが少しばかり痛んだが、自分自身を納得させるにはもっともらしい言い訳のように思われた。
  腕を取られ、そのままベッドに押し倒されることもあったが、男はいつも最後までしようとはしなかった。
  フゥ太を玩具かなにかのように弄び、飽きたら放り出す、そんな感じなのだろうか。
  なによりも彼は、実際に目の前に存在しているわけではなかった。
  遠く離れた復讐者の牢獄で、今頃は彼は夢を見ているのではないだろうか。現実とリンクした、巧妙な嘘に彩られた夢を。
  押し倒されたベッドの上で、シーツが波打つ。
「んっ……」
  口づけられ、思わず鼻にかかった甘い声がフゥ太の口から洩れてしまう。
  男の口づけにフゥ太の背筋がゾクゾクとなり、唇の端から吐息が零れ落ちる。
  このまま最後まで抱かれてしまえば、なにかがかわるかもしれない。
  もしかしたら自分は、目の前のこの男のことを理解することができるかもしれない。
  一瞬、そんな馬鹿な考えがフゥ太の頭の中を掠めていく。
  男の背中に腕を回し、フゥ太はさらに深い口づけを強請った。
  嫌いで、嫌いで、大嫌いな男だが、気になって仕方がなかった。もうずっと何年もの間、フゥ太の頭の隅には彼のことがあった。水牢に囚われた彼がどうしているのか、気になって仕方がなかった。
  憎しみのようでもあり、恋情のようでもある複雑な気持ちを胸の内に抱えてフゥ太は、何年もの時間を過ごしてきた。
  兄のような近しい存在の綱吉や隼人にも相談したことはなかったが、ずっと、胸の内のつかえを吐き出してしまいたいと思っていた。
「僕のことが好きなのでしょう、君は」
  そう言って男は、柔らかな笑みを口元に浮かべる。
  憎らしいほどの優しい笑みに、フゥ太の眉間の皺が深くなった。



  ベッドの上で何度も口づけられた。
  やんわりと唇を吸い上げられ、それから舌先が唇の隙間から口腔内へと侵入してきた。
  自分は、こんなことを許してしまうほどこの男に心を許しているのだろうか?
  男の背中に回した手に力を入れながら、フゥ太はぼんやりと思う。
  嫌いで、嫌いで、大嫌いで……。だけど心のどこかでこの男のことを気にかけ、好きでいる自分に、呆れてしまう。
  どうしてこの男から離れられないのだろうか、自分は。
  どうして気にかけてしまうのだろうか。
  好きでいる必要が、どこにあるというのだろうか?
  唇が離れていく感触に、フゥ太はぼんやりと目を開く。
  目の前の男は、優しげな眼差しでフゥ太を見下ろしている。
  かつて、フゥ太が兄のように慕う綱吉と戦ったことのある六道骸が、あの頃とからわぬ危なげな笑みを浮かべて自分を見つめている。
「ベッドの中で君がどんな表情をしてくれるのか、楽しみです」
  そう言うと骸は、フゥ太の唇をチュ、と吸い上げる。
「……やめろ!」
  口先だけの抵抗はしかし、骸には通用しない。
  嬉しそうな笑みと共にあっさりスルーされ、また深く唇が合わさった。
「んっ……ふ……ぅ」
  クチュ、と湿った音がした。
  唾液ごと舌を吸い上げられ、フゥ太の体がじんわりと熱くなる。
「可愛らしい唇だ」
  そう言うと骸は、指先でフゥ太の唇をちょん、とつつく。
「それはあなたの勝手な妄想だ」
  言い返すとフゥ太は、まだしつこく唇をなぞっている骸の指先に噛みつこうとした。
  その瞬間、カチ、とフゥ太の歯が噛み鳴らされ、骸は嬉しそうにクフフと笑った。
「危ない、危ない。危うく噛みちぎられるところでした」
  恨めしそうにフゥ太が骸の指先を眺めていると、今度は唇が喉元におりてくる。
  最後まで抱く気もないくせに。
  天井を睨みつけながらフゥ太は、そんなことをぼんやりと考えた。



  シャツのボタンを外された。
  骸の指は器用にフゥ太のシャツのボタンを外してしまっていた。指先が触れたところからフゥ太の肌はカッと熱を帯び、口づけられるとそれだけで体が震えた。
  シャツの影に隠れていた乳首の尖りを見咎められ、舌先でペロリと舐めあげられるとそれだけでフゥ太の下腹部は熱くなる。集まってきた体中の熱が、ぐずぐずと燻っているかのようだ。
「ぁ……ん、んっ」
  腰が揺れると、骸の太股に自分の股間を押し付けるような体勢になる。
  フゥ太の体が跳ねると、それだけで骸は楽しそうにクスクスと笑った。
「……君の体は正直で、可愛らしい」
  そう言って、骸はフゥ太の耳たぶをやんわりと甘噛みする。
  ゾクゾクとフゥ太の背筋に震えが走り、息が乱れた。
「やっ……」
  しがみついた手に弱々しく力を込めると、耳の中に舌が潜り込んでくる。クチュ、クチュと湿った音を響かせて、骸の舌がフゥ太の耳の中を蹂躙する。
「や、め……」
  はあっ、と息をつくと、すぐに骸の体は離れていく。
「今夜あたり、最後までしてあげてもいいのですよ?」
  フゥ太の隣に横臥した骸は、楽しそうにそう告げる。
  着ていたものは中途半端に脱がされて、片袖を通すばかりの格好となったフゥ太の乳首をクニュ、と押し潰しながら、骸は口元に笑みを浮かべている。
「……いらない。アンタなんか、さっさと復讐者の牢獄へ帰れよ」
  わざと捻ねた言い方をすると、骸はますます嬉しそうな顔をする。
  フゥ太は苛々と骸を睨みつけると、唇を尖らせた。
  嫌いで、嫌いで、大嫌いで、それでも憎むことのできない相手を抱きしめるため、言い訳を探しながらのろのろと手を動かす。
  男の言葉通り、どうにかなってしまえばいいとフゥ太はこっそりと思う。
  そうすれば、二人の曖昧な関係にも終止符が打たれるかもしれない。
「君が素直になってくれたら、その時は大人しく帰りますよ」
  そう言って骸は、フゥ太の首筋の皮膚をやんわりと吸い上げた。
  チュウ、と音を立てて唇が離れていくと、むず痒いような痛いような感じがした。指でそっと触れてみると、微かに熱い。
「この痕を僕だと思って、大事にしてください」
  そう言われて、フゥ太は無性に悲しくなった。
  やっぱり今夜も最後まではしないのだと、そんなふうに無言で骸を責める。
「……また、来ます」
  フゥ太の心の内を知ってか知らずしてか、骸はそう告げると艶やかに微笑んだ。
  それからフゥ太のまぶたと耳の下にキスをしてから、姿を消した。復讐者の牢獄へ帰っていったのだ。
「骸……」
  大嫌いな相手がいないと、怒ることもできやしない。
  唇を噛み締め、フゥ太はじっと天井を睨み続けたのだった。



(2011.10.14)


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