中学校時代にキスをされた。
後にも先にもその時いちど限りで、それ以後、そういったことはないままにきているが、あの時の記憶は今も鮮明に残っている。
柔らかかったなと、時折、記憶の中の唇の感触を思い出しては、綱吉はあれこれ想像してみる。 あの時、うたた寝の最中に不意に唇に触れた柔らかな感触は、今もはっきりと覚えている。 もういちど、あの日の感触を確かめたいと思いながら、行動に移す勇気が出てこない。心の中で自問自答を繰り返しながら、十年の月日が過ぎ去っていた。
今、綱吉は二十四歳だ。
思い出の中の彼はいつも微笑んでいた。今もそうだ。あれから十年の歳月を経たものの、二人の関係はかわらず続いている。
この関係は、嫌ではない。
十年来の慣れというのもあるのだろうが、このところ綱吉は、この関係に違和感を感じている。
何かが、違う。
自分の右隣に獄寺がいて、山本やリボーンをはじめとする仲間たちが、いる。
十年前からかわることのない、顔ぶれ。新しく増えた顔はいくつもあるが、それでも、旧来の顔ぶれがかわることは一度としてなかった。
それなのに、何故、自分は違和感を抱いているのだろうか。
獄寺が自分の隣にいるというのに、何かを自分は感じ取っている。
この、モヤモヤとした感じ。
いったい、何だろう。
今も、そうだ。
苛々としているのは、どうしてだろう。
今日は特に苛々が酷い。朝からずっと苛々しっぱなしだ。
明日から、同盟ファミリーでもあるキャバッローネのアジトのひとつに滞在することが決まっている。だからだろうか、神経が高ぶっているのかもしれない。
小さくためいきを零すと綱吉は、親指と人差し指とで下唇をつまんだ。
何か、忘れているような気がしてならなかった。
並盛海岸を思い出してみる。
中学時代、夏になると皆でよく、遊びに行ったものだ。
並盛のすぐ近くにある海水浴場で、皆で泳いだり、遊んだりした。お腹がすいたら屋台の焼きそばやたこ焼き、かき氷を買って食べ、眠たくなったら砂浜で一眠りした。ビーチボールを投げ合って、スイカ割りをして楽しんだ、あの、浜辺。
その日はしかし、綱吉は獄寺と二人きりだった。
夏ではなく、まだ春先の、冷たい風の中、二人きりで海まで行ってきた。
どうしてそんな時期に海へ行ったのかは、定かではない。何か話をしたのかもしれないし、何も話していないのかもしれない。
春の砂浜は白くて、ところどころにゴミが埋もれていた。通りがかりに捨てていったものなのか、それとも漂着物に混じっているものかは、わからない。どちらにしても、夏とは比べものにならないぐらいゴミが多いような気がしたことだけは確かだ。
そんな砂浜で、二人で海を眺めていた。
学校が半日しかない日で、途中、通りかかったコンビニで買ったおにぎりを二人で食べた。ペットボトルのお茶を、二人で回し飲んだ。
それから夕方までポツリポツリと他愛のない言葉を交わした。
二人以外は誰もいない砂浜に、直に座り込んで、ぼんやりと海と空とを眺めて過ごした。
夕方になって獄寺が、声をかけてきた。
「そろそろ帰りましょうか」
言われて始めて綱吉は、この場所には自分たち二人きりしかいないということを意識した。
海岸にいる時から、なんとなく熱っぽい感じがしていた。
どうしてだかわからない。
わからないが、顔が火照ってしかたがなかった。
列車に乗り込むとやはり乗客が少なく、途中から、二人がいる車両は貸し切り状態になってしまった。
ブラインド越しに差し込んでくる夕日が心地よくて、綱吉はうたた寝をしてしまった。
半日、海にいたからだろうか、獄寺もどことなく疲れた様子をしていたから、二人して肩を寄せ合ったまま眠ってしまっていた。
背中があたたかいのは、夕日のせいだ。駅に停車するごとにドアが開くとひんやりとした風が入ってくるのに、ブラインド越しの夕日は優しくて、穏やかで、あたたかい。そういえば、右肩もあたたかい。 ぼんやりとした意識の中で綱吉は、右肩のあたたかさに口元に笑みを浮かべていた。このあたたかさは、獄寺の体温だ。
列車の振動が心地よく、降りる駅が近いというのに、なかなか目を開けることが出来ない。
どうしようかと思いながらもうとうとしていると、不意に、唇に柔らかいものが押し当てられた。
柔らかい。
「ん……?」
身じろぎをしようとした瞬間、唇に触れていた柔らかな感触はするりと逃げていってしまった。
薄目を開け、キョロキョロとあたりを見回してみる。
「どうしました、十代目」
気遣わしげな獄寺の頬が、どことなく赤らんで見えるのは夕日のせいだろうか。
「あ……ううん、なんでもない」
そう言って綱吉は、誤魔化し笑いを浮かべた。
「夢、見てたみたいで」
夢の内容は覚えてないんだけどと続けると、獄寺は全身で綱吉の言葉に聞き入る体勢に入っている。
「今日は楽しかったね」
ガタゴトと列車が音を立てている。
今日のこの気持ちを、どう表現したらいいのかがわからなくて、綱吉は頼りない笑みを浮かべて獄寺に告げた。
「今度は皆で行こうよ、海」
「そうっスね」
返す獄寺は、どことなくよそよそしい感じがする。何かを気にしているような、そんな様子がする。
さっき、うたた寝の途中で唇に触れたものが何なのか、綱吉は知りたいと思った。
しかしそれを獄寺に尋ねるのはいけないことのような気がして、結局、何も尋ねることはせず、また、気付いている素振りを見せることもせず、その日はおのおのの家路についたのだった。
あれから、十年。
あの時の唇の感触を、綱吉は今でも時折、思い出す。
あれは夢だったのだろうか。
あの、唇に触れた柔らかであたたかな感触は、いったい何だったのだろう。
自分の、そうだったらいいという都合のいい思いこみだったのだろうか?
それとも。
それともあれは、夢ではなくて…──
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(2009.5.8)
(2024.5.1加筆修正)
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