空の色は… 1

  任務半ばにして怪我をした。怪我自体はたいしたものではなかった。ボンゴレに対抗するマフィアとの抗争で肩を負傷しただけだが、このまま任務を続けるにはどうしても支障が出る。単独であれば自分のペースで動いただろうが、今回はチームを組んでいた。自分がチームの足を引っ張ることはできないと、獄寺は自ら任務から外れた。それがつい昨日のことだ。
  すぐに日本へ呼び戻されるかと思っていたら、キャバッローネの屋敷へ向かうよう指示が届けられた。少し前からディーノの屋敷に滞在中の雲雀に、獄寺の口から直接、状況の報告をしてもらいたいとのことだった。
  丸一日かけてなんとかドイツからイタリアまで移動した。肩の痛みは我慢できないほどではなかったが、歩く距離が長ければそれだけ負担もかかってくる。宿泊先のホテルに運転手つきの黒塗りの車が回された時には心底ホッとした。ただし、乗り心地はあまりよくなかった。乗り込んだ後部シートにはディーノがすでに座っていたからだ。
「キャバッローネのボスが直々にお出迎えとはな」
  後部シートに乗り込んだ獄寺がちらりと嫌味を呟くと、ニヤリと意地の悪い笑みを返された。
「俺は乗り気じゃなかったんだけどな」
  頼まれてしまったものは仕方がないと、ディーノは軽く片手を振って話を終わらせようとする。
  わざとらしく肩を竦めると獄寺は、腕組みをして眠ったふりをした。
  肩の怪我が、ジワジワと痛みを訴えている。
  屋敷についた時に真っ直ぐに背筋を伸ばして歩けるだろうか。目を瞑った獄寺の眉間の皺が、密かに深くなった。



  二度、三度と怪我をしていないほうの肩を揺すられ、獄寺はハッと目を覚ました。
  ディーノだった。
「おい、起きろよ、ハヤト」
  穏やかな声に、獄寺はまだ眠い目を無理にこじ開け、車から降りた。肩の痛みは、思っていたほど今は酷くはないようだ。
「何時だ?」
  呟いて、腕時計を確かめる。午前一時過ぎ。結局、ここに来るまでにこんなに時間がかかってしまったのだと、獄寺は顔をしかめた。
「とりあえず今日のところは休めよ。報告は明日だ」
  ディーノが言うのに、獄寺は頷いた。
「報告書はアンタに預けとくから、雲雀のヤツに渡しといてくれ」
  移動中に作成した報告書は、メモリーカードに保存されている。荷物の中からメモリーカードを取り出すと獄寺は、ディーノに手渡した。
「ぜってぇ忘れんなよ」
  念押しにギロリとひと睨みすると、ディーノは相好を崩してへらっと笑った。
「大丈夫だって、任せとけ」
  そう言うとディーノは、握り拳で自分の胸をドン、と叩いてみせる。
  それが心配なのだとは言い出すこともできず、獄寺は眉間に寄せた皺をますます深くしただけだった。



  翌日、獄寺が目を覚ましたのは昼近くだった。
  よほど疲れていたのだろう。夢を見ることもなく、泥のように眠った記憶だけが残っている。
  体が熱っぽいのは怪我のせいだろうか。傷口は熱を持ち、ジクジクとした痛みを訴えている。
  のろのろと起きあがると、獄寺はなんとか着替えをすませた。昨日の昼に食べ物を口にして以来、なにも食べていないことを思い出した途端に空腹を感じた。
「アイツ、報告ちゃんと渡したんだろうな……」
  呟いて、十代目はどうしているだろうかとふと考える。
  任務に出る前の晩に、彼に初めて触れられた。それからしばらくは、顔を合わすことも声を聞くことすらしていない。彼は今、どうしているだろう。定期的な報告が彼の元へ届けられているだろうから、綱吉はおそらく獄寺の行動を把握しているはずだろう。しかし、獄寺にはなにもわからない。綱吉が今、どうしているのか、知る術がないのだ。
「……十代目」
  小さく呟いて、みぞおちのあたりをぎゅっと掴んだ。
  綱吉に会いたい。報告などほっぽり出して綱吉に会うため、今すぐ日本に戻りたい。任務が終わって彼の元に戻ることができたら、彼は本当の意味で獄寺を抱いてくれると約束してくれたのだ。
「十代目…──」
  今度はもう少し大きな声で、呼んでみた。
  任務から外れた今、獄寺にはなにもすることがない。ただぶらぶらと一日を過ごして、怪我が治るのを忍耐強く待つしかない。
  綱吉と顔を合わせた時、彼はなんと言うだろう。任務に失敗した男では、駄目だろうか? 約束通り抱いてはもらえないだろうか?
  唇をきゅっと噛み締める。ジャケットの内ポケットにしまった携帯を取り出して、今すぐ綱吉の声を聞きたい衝動に襲われた。



  結局、綱吉に連絡はしなかった。
  声を聞きたいことにかわりはないが、任務から外れたばかりできちんと報告も上げていないというのに個人的に連絡を取るのはズルくはないだろうか。合わせる顔がないというのに、声だけでも聞きたいというのは、これは自身の我が儘に他ならない。
  部屋の中をぐるりと見渡してから、ふと気付いたように獄寺はベランダへ出た。
  木々の向こうで、何かがキラリと光るのが見えた。
「なんだ?」
  じっと見ていると、キラキラと気紛れになにかが反射していることがわかった。
  森の中になにかあるなと思いながらも、ここがキャバッローネのテリトリーなのだと考えると、あちこちをうろつくこともできないだろう。
  雲一つない空は青々しく、風は澄み渡っている。なんて長閑な景色が続いているのだろうか。
  はあ、と獄寺は溜息をついた。
  途端に肩全体に痛みが広がり、獄寺は一瞬、息を詰める。
  医者に診てもらったほうがいいだろうことは自分でもわかっているが、どうにも面倒だった。傷口を清潔にさえ保っていれば、そのうち治るだろう。
  部屋の中へと引き返しかけたところで、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
  わざと不機嫌そうな声をあげると、ドアが開いた。
  嫌になるほど陽気な笑みを浮かべたディーノが立っていた。
「お、ちゃんと起きてるな」
  言いながらディーノは、ズカズカと部屋に入ってくる。そのすぐ後に続くのは、ロマーリオともう一人、知らない男だ。ディーノの部下というには違和感がある。雰囲気が……彼の持っている空気がどことなく違うのだ。
「隣の部屋に昼飯を用意させてるから、その前に医者に診てもらっとけよ」
  ディーノが言った。
  ロマーリオの後ろにいた初老の男が、のんびりとした足取りで獄寺に近付いた。
「こちらはキャバッローネのお抱え医師です」
  愛想よくロマーリオが獄寺に告げる。
「ああ……」
  腹が減ったと、獄寺は胸の内で呟く。
  怪我の手当をしてもらってからでなければ食事にありつくことができないとは。
  はあ、と溜息をつくと獄寺は、医師に言われたとおりベッドの端に腰かけた。
  苦労して着込んだ服の上だけを脱いでしまうと、肩の怪我を見せる。鉄パイプのようなもので肩を殴打され、尖った先の部分で刺されそうになったのだ。骨を逸れたおかげで薄皮一枚ですんだようなものだ。貫通もせず、掠り傷程度ですんでよかったかもしれない。
「しばらくは毎日、消毒をしましょう」
  穏やかな声に、獄寺はホッと溜息をつく。
  もっとなにか言われるのではないかと思っていたが、この医師はどこぞの女好きの医師とは違って無駄口を叩くこともなく、素早く手当だけをすませるとさっとその場を後にした。



  不意に続き部屋のドアが開いた。
  屋敷に仕える年配の女中が、「失礼します」と声をかけてドアの隙間から頭をのぞかせている。医師が退室するのを見計らったかのようなタイミングだ。小太りの女はお節介そうな笑みを浮かべると、獄寺のほうへと視線を向けた。
「お食事の用意が隣の部屋にできておりますよ、ディーノ様」
  軽く片手を振って、ディーノは頷く。
「わかった、ありがとう」
  ドアの隙間から、なるほどいいにおいが漂ってきている。
  ディーノの後について隣の部屋に移動すると、いっそう空腹を感じて惨めな気持ちになってしまいそうだ。
  ドアをくぐり、隣の部屋に足を踏み入れる。部屋の真ん中に用意された料理に獄寺の腹の虫がはしたなく鳴り響く。食い意地の張ったヤツだとディーノがニヤニヤと笑っていた。
  不機嫌そうな表情の獄寺は渋々といった様子で椅子に腰をおろした。
  ちらりと女中とディーノの顔を見比べてから、ボソボソと「いただきます」と声をかける。
「どうぞ召し上がれ」
  女の言葉で獄寺は、テーブルの上の料理に手をつけることができたのだった。



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(2010.6.26)


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