空の色は… 2

  ディーノの屋敷にいるのだと思うと、それだけで帰りたくなる。
  自分がいるべき場所は、ここではない。
  綱吉の隣が、自分のいるべき場所だ。
  早く、帰りたい。綱吉のにおいのする場所へ。綱吉のあの穏やかな声の届く場所へ。
  長椅子にゴロリと横になった獄寺は、天井を仰ぎ見た。
  自分のいるべき場所ではないこの場所は、ひどく落ち着かない。屋敷の中を行き交う人々のよそよそしさには息が詰まりそうだった。それから、その向こうにある雲雀の視線も。
  気がつくと、雲雀に見られていることがあった。
  なにか用事があるというわけでもなく、ただじっとこちらを見つめている。あの艶々とした黒スグリのような瞳で見られているのだと思うと、わけもなく苛々した。
  なによりも、この場所が自分の場所ではないという思いが強くて、日に日に綱吉の元へ戻りたいという思いが強くなっていく。
  帰りたい。十代目の、すぐそばへ──
  天井へと向かって、獄寺は深い深い溜息を吐き出した。
  取り上げられた煙草のかわりになるものは、なにもない。
  手持ち無沙汰でたまらない。
「……帰りてぇ」
  呟いた声は、ひどく弱々しかった。
  自分はいったい、いつからこんなに女々しくなってしまったのだろう。
  獄寺はもうひとつ、溜息をついた。



  傷が癒えるまではディーノの屋敷に留まることが正式に決定した。
  これで、また少し綱吉から遠のいたことになる。
  綱吉に会えない日がもう何日も続いている。声を聞くことだって、この屋敷では満足にできない。電話を使うことはできたが、なんとなく使いたくない気持ちが勝っている。賓客として扱われているものの、いちど違和感を覚えてしまうともうダメだった。
  ここは、自分のいるべき場所ではない。
  与えられた部屋にいることにも疲れてしまい、しまいには獄寺はディーノの部下たちの目を盗んでは屋敷の外へ出るようになった。
  本調子ではないから無茶はできない。わかりきっていることだったが、それでも目に見えない無理を重ねて屋敷を抜け出す。そんなことを繰り返しているうちにさらに日々を重ね、気づいたらディーノの屋敷に来てから半月以上が過ぎていた。
  いったい自分は、なにをしていたのだろうかと獄寺は空恐ろしくなった。
  任務半ばに負傷して、ボスと崇める綱吉の側に戻ることも許されず、こんなところでただじっと傷の治りを待つばかりとは。
  帰りたいと、獄寺は思う。
  心の底から。
「ここは、俺のいる場所じゃねえ……」
  呟くと、開け放した窓から吹き込んできた風が小馬鹿にするかのように獄寺の頬を嬲っていった。
  悔しさに獄寺は唇を噛み締める。
  綱吉からの帰還命令はまだ、こない──



  自分の不甲斐なさに落ち込んだまま、日々を重ねていく。
  獄寺の不在は、守護者達にとってどうでもいいことなのだろうか。自分はそんなに、軽く見られていたのだろうか。綱吉どころか他の誰からも連絡はなく、屋敷での日々は過ぎていく。
  忘れられてしまったのだろうか?
  獄寺隼人という人間の存在自体が、ボンゴレファミリーから抹消されてしまったのではないだろうか?
  そう思うといても立ってもいられず、獄寺はつい、与えられた部屋の中を動物園の獣のように、忙しなく行ったり来たりしてしまう。
  早く、日本に戻りたい。綱吉の側で右腕として、新たな任務につかせてほしい。そればかりが獄寺の頭の中をグルグルと回っている。
  いったい自分は、いつになったら日本へ戻ることができるのだろうか。
  ディーノとはあれから、ほとんど顔を合わすこともなくなっていた。雲雀の相手やら同盟ファミリーの相手やらで忙しいのだと聞いている。
  ちょうど獄寺が怪我をした前後に、大きな出入りがあったらしい。その事後処理で、雲雀共々ディーノはあちこちを駆け回っているのだと言う。
  もしそれが本当ならば、今頃は綱吉も忙しくしていることだろう。
  で、あれば。なぜ綱吉は、自分に帰還命令を出してくれないのだろうか。
  綱吉の一言で自分は、今すぐにでもこの屋敷を出ることができるというのに。
  やはり自分は頼りないのだろうか? 嵐の守護者としてあまりにも不甲斐ないから、戻ってこなくてもいいということなのだろうか?
  はあぁ、と溜息をついた獄寺は、同時にブルッと体を震わせた。
  風の冷たさよりも、心が寒かった。
  誰からも声のかからない自分に、存在意義はあるのだろうか?
  自分は本当に、必要とされているのだろうか?
  ベッドに仰向けに転がると染みひとつない天井を睨みつける。
  煙草を吸いたいと思ったが、手元には一本もなかった。
  溜息がまたひとつ、出た。



  猜疑心の塊のようになってしまった獄寺の元に、綱吉からの連絡はこない。
  届かない連絡を待って、獄寺は一日、一日を過ごしている。
  どうにかなりそうだと獄寺は思う。綱吉に会えないまま、行動も制限され、自分はいったいいつになったらこの屋敷から自由になることができるのだろうか。
「十代目……」
  呟きは弱々しく、掠れた声しか出なかった。
  肩の傷はいまだジクジクと痛みが残っている。完治するまではもうしばらくかかると言われていたが、それがいつなのか、獄寺にはわからない。見た目には傷は塞がっているように見える。負荷をかけると痛みはするが、日常生活に支障はないところまで治ってきている。
  もうそろそろ、日本へ……綱吉の側へ戻らせてくれと、獄寺はなんどもディーノに頼み込んだ。
  日に幾度となく、多忙を極めるディーノの元を訪れ、屋敷を出たいと獄寺はごねてもみた。もう傷は治っている、大丈夫だとなんど言っても、ディーノは聞き入れてくれない。獄寺の傷が完治するまで屋敷に留めておくようにと綱吉から言われていると、すげなく返されるばかりだ。
  このままでは、どうにかなってしまいそうだ。
  そのたびに獄寺は、屋敷を抜け出してはディーノやディーノの部下たちを翻弄した。
  綱吉のいないイタリアは、寂しくて孤独でしかない。
  自分はこんなにも綱吉に焦がれているのに。
  どうして誰も、獄寺の気持ちを理解してくれないのだろうか。こんなにも日本へ帰りたがっているというのに、誰一人として獄寺の言葉に耳を傾けてくれようとしない。
  いったいどうなっているのだ、この屋敷は。
  いくらディーノの屋敷とは言え、ボンゴレの嵐の守護者の言葉に耳を傾ける者は誰もいないのかと、怒り心頭に発するところまで獄寺はいっている。
  帰らせてくれ、十代のお側へ行かせてくれと執拗に言い募るのだが、どうにも耳を傾けてくれない。ディーノばかりでなくロマーリオですらそんな状態だったから、他の者となると言うまでもない。
  いったいなにが、綱吉の気に障ったのだろうか?
  ここまでくると、もう、そう思うしか他はなかった。



  空を見上げると、真っ青な晴れ間が見えていた。
  嫌になるほど綺麗な空だ。
  苛々とベランダに出ると、少し前に屋敷を抜け出した折に手に入れた煙草を口にくわえる。
  久しぶりの煙草だ。煙草の香りを肺いっぱいに吸い込むと、頭がクラクラした。
  ああ、ニコチンの香りだと、獄寺は口の端をわずかにつり上げる。
  手摺りに肘をつき、ぼんやりと中庭を眺める。
  照りつける太陽はあたたかで、やわらかな風が吹いている。
  ふと見ると、中庭の向こう、森の奥でなにかがキラキラと光っているのが見えた。ここへきて最初の頃に気付いた反射光は、気紛れにキラキラと光を放っている。まだその正体を確かめてはいなかったが、そのうち、あの光がなんなのかを確かめに行きたいと獄寺は思っていた。
  とは言え、いちど落ちてしまった体力はまだまだ回復したとは言えない。あくまで日常生活には支障がないようになったと言うだけで、少し無茶をするとそれだけで体が悲鳴をあげるのを獄寺は感じていた。
  ディーノやロマーリオが口を揃えてまだ治っていないと言うのは、あながち嘘ではないということか。
  それでも、獄寺は回復したと思いこみたかった。
  そうしなければ、自分はいつまでたっても綱吉の元に戻ることができないではないか。
  こんなにも長い時間、綱吉と離れたままでいるのは怖かった。
  抱いてくれると綱吉に約束をしてもらって、もう半月が過ぎているのだ。
  本当なら任務を完遂し、とっくに綱吉に抱いてもらっていたはずなのに。
  ふーっ、と息を吐き出すと、白い煙がふわん、と立ち上った。
  嫌になるほど青い空が、獄寺を見下ろしている。
  俺は別に悪いことをしているわけじゃねえからな──そう胸の内で呟いて、獄寺は煙草を手摺りの縁でもみ消したのだった。



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(2011.2.22)


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