その日は朝から、どんよりとした分厚い黒い雲が空を覆っていた。
陰鬱な気持ちはさらに沈み込み、落ち込んでいく。
いつになったら日本へ戻ることができるのだろう。
ベッドに転がった獄寺は、ぼんやりと天井を眺めている。
綱吉がイタリアまで獄寺を迎えに来るという話もどこかしら胡散臭い。本当に十代目はイタリアへ来るのだろうかと獄寺は顔をしかめる。
枕元から煙草のケースを取り出すと、トン、トン、と箱の隅を叩いて煙草を一本取り出す。
吸うつもりはなかったが、口寂しいような気がしてならない。
足りないものがニコチンではないことは、獄寺にもよくわかっている。
もっと別のものが欲しいと思う。
ニコチンよりももっと直接、獄寺の血液を沸騰させるようなもの。高揚感。緊張感。それから安心感。
顔を見たい、会いたいとは思うものの、綱吉にイタリアまで来てほしいと自分から口にすることは憚られた。会いたいことにかわりはないが、そんなふうにして綱吉の時間を削ってまでして獄寺に会いに来るようなことはしてほしくはない。ボンゴレ十代目としての役目を放棄させるようなことは、決してさせてはならないと獄寺は常々思っている。
そういった獄寺の気持ちを、綱吉は理解してくれているはずだ。
イタリアへ来る理由は、いったいなんだろう。何か……獄寺の知らないところで、同盟マフィアの会合があるのもかしれないし、ボンゴレのボスとして、キャバッローネのボスであるディーノに会いにくるためかもしれない。理由なんて、探せばいくらでもある。そのどれもが今のところ信憑性の乏しいものだと言うだけで。
煙草を口にくわえたまま、獄寺はゴロリと寝返りを打った。その拍子に、煙草がシーツの上にポロリと落ちる。
指でつまんで、目の前に持ち上げる。
目の前にあるのは、煙草、獄寺のお気に入りの銘柄のものだ。横から見ると細長く、正面から見ると丸い小さな円形をしている。
角度によっては異なって見え、判別のつかない時もある。特に影だけの時は。
自分はいったい何を見落としているのだろう。別の角度から見てしまっていることはないだろうか。勘違いをしているのではないだろうか。
急に思いついたようにベッドの上に身を起こすと、その瞬間、傷口が引き攣るような痛みを訴えてきた。
顔をしかめ、傷のあたりを手のひらでそっと押さえる。
しばらくその場でじっとしていたが、痛みが収まると獄寺は、今度はゆっくりと体を動かしてベッドから降りる。つまんでいた煙草を手の中でくしゃりと握り潰すと、床に投げ捨てる。
いつの間にか獄寺は、昨日の温室へもう一度行ってみようという気になっていた。
今度は道に迷うことなく、隠された小道を通って温室へと向った。
いちど歩いた道だからだろうか、難なく獄寺は温室へ辿り着くことができた。
昨日は閉まっていた温室のドアが、今日はほんの少しだけ開いていた。
ドアの隙間から中を覗いてみるが、温室の木々が邪魔になって様子を見ることはできない。ガラス張りだから中の様子など簡単に見えそうなものだが、思うようにまく見ることができないのが苛立たしい。
ドアのノブに手をかけ、ゆっくりと押してみる。音を立てないように、息を殺して静かに、静かに。人ひとり通れる程度の余裕ができたところでようやく獄寺は、ドアノブから手を離した。
滑り込むようにして温室の中に入る。足音を立てないよう、気配を潜め、そっと温室の奥へと移動していく。
木々の向こうから時折、声が聞こえてくる。
ディーノと、それから雲雀の声だ。
なんだあの二人、こんなところで何を話しているのだと獄寺は、生い茂る枝の隙間に目を凝らす。ディーノがいるのはわかった。噴水の前に立っている。雲雀の姿は見えない……いや、見えないのではない。ベンチに座っているのだ。
何を話しているのか、雲雀は剣呑そうにディーノをちらりと見上げた。
「──や、だからな、それは……」
言い繕うディーノの様子がどことなく綱吉と似ているように思える。兄弟弟子だと、言動までも似てくるものなのだろうか。
「いいよ、もう。あなたには頼まない」
つん、と顎を上げた雲雀は、ベンチの上にゴロリと横になった。
「そこにいられると、邪魔。これから昼寝するから、どっかに行ってくれる?」
素気無く言い放つと雲雀は大口を開けてあくびをし、目を閉じた。どうやら本当に昼寝をするつもりでいるらしい。
獄寺は慌ててきびすを返した。自分が二人の会話を盗み聞きしていたということは理解している。獄寺にとっては意味をなさない会話ではあったが、あの二人にしてみれば充分に意味のある会話だったはずだ。自分たち以外の誰かが、会話を聞いていたとわかればいい気はしないだろう。
獄寺は、来た時以上に気をつけて、足早に温室を後にした。
やっぱり、行くのではなかった。
あんなふうに二人で話している姿を目にしてしまうと、綱吉を思い出してしまう。自分がそばにいるべき人の、ことを。
唇を噛み締め、獄寺は小道を足早に駆け抜けたのだった。
あれから何日かが過ぎた。
傷は、まだ癒えない。
ジクジクとした痛みと、引き攣れとが残った肩では、表へ出て体を動かすにも限界がある。
こんなことをしている場合ではないのに。こんなところで、傷の回復を待つばかりの日々にはもううんざりだ。
少しでも何か手伝いたい。綱吉のためになることなら、何でも。キャバッローネの使い走りでも構わないからとディーノに何度目かになる直談判をしたものの、あっさり却下されてしまったのは朝一番のことだ。
本当に何でも構わないのだと、獄寺は思っていた。
ディーノのために動くのではない。綱吉のために、動くのだ。すべては綱吉のため、ボンゴレのために。
そのあたりの獄寺の気持ちはディーノだってわかっているはずだというのに、なかなか首を縦には振ってくれない。
原因は、雲雀だった。
ディーノが雲雀にどこかしら遠慮しているように見えるのは、どうしてだろう。雲雀が、ボンゴレの守護者にあたるからだろうか? それとも、何かもっと別の理由があるのだろうか。
理由なんて何でもよかったが、獄寺にもわかるように教えてほしいと思わずにはいられない。
ディーノと雲雀、二人の間では既に話をすり合わせてあるようだが、獄寺には一切何も知らされていない。そんな状態で、二人の様子から今の状況を察しろと言われるのは無理な話だった。
二人の間の不自然なぎこちなさが気になる。
それから、時々感じる、雲雀の視線も。
そして何よりも、無力さしか感じることのできない自分の置かれた中途半端な立場が、気になって仕方がない。
早く日本に戻りたい。
綱吉の顔を見たい。
数日後には綱吉がイタリアへとやってくることになっているが、いまだ獄寺はそのことを信じられないでいる。
バルコニーから空を見上げては、獄寺は溜息をつく。今日の空も、陰鬱な曇り空だ。
曇り空の向こうにはきっと、青く澄んだ空が広がっているのだろう。それと同じで、目の前の雲が晴れればきっと、獄寺の置かれた立場にも明確な意味が見えてくるはずだ。
綱吉と再会する日は、そう遠くはない。
再会の時に今の、ダラダラとした自分の姿を見せたのでは、イタリアくんだりまで足を運んでもらう綱吉に対して申し訳がたたない。
体を動かそうと獄寺は思った。
まだ傷は完治していないが、それを待っているほどの時間の余裕があるわけもない。すぐさま取りかかったとしても、鈍った体がこれまでのように動くことはないだろう。
それでも、できるだけのことはやっておこうと獄寺は決心した。
綱吉と顔を合わせた時に恥ずかしくないように、やるべきことはしておいたほうがいいだろう。
綱吉のためでもあるが、自分自身のためでもある。
嵐の守護者として、恥ずかしくないように。
またボンゴレ十代目の右腕として、恥ずかしくないように。
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