秋の連休に旅行でもと誘われたのは、まだ夏も真っ盛りの蝉がやかましく鳴いている頃だった。空は青く、白い入道雲が目に痛かったのを覚えている。
日頃、デートらしいデートができないことに不満のある綱吉のほうからの提案に、獄寺はあまり気乗りのしない言葉を適当に返しておいた。八月の最初に日帰りで海に行っただけで、後は仕事が忙しいのと互いのスケジュールが合わないのとで、仕事三昧の日々が続いている。つきあう前も、つきあいだしてからも、ここ何年かは似たようなものだ。約束はすれども、実際には仕事仕事で、旅行なんて夢のまた夢だ。本当に旅行に連れていってもらえるなど、思ってもいなかったのだ。
九月に入り、連休が近付いてくると綱吉の気持ちが浮き足立ってくるのが感じられた。いつもなら部下たちの手前、浮ついた気持ちを抑えようとする綱吉が自分の目の前で浮かれているのが不思議で、獄寺は何度も眉間に皺を寄せたものだ。
宿泊先は教えてもらえなかったが、新幹線で二時間ほどの短い旅を楽しんだ。そこからホテルの送迎車でホテルへと連れて行かれ、チェックインの後、案内されたのは離れにある別館だった。数寄屋風の静かな佇まいを目の前にして、さすがの獄寺もこれはおかしいと思い始める。
「どう、獄寺君。すごいだろう」
いつにも増して張り込んだなというのが、獄寺にもわかった。畳の部屋に上がると、奥に寝室、それからこぢんまりとしたサンルームまでついているのが伺える。
「……はい、すごいです」
何かあったのだろうかと、獄寺は考え込む。こういった娯楽的なことに綱吉が必要以上にお金をかける姿はあまり見たことがない。特にここがいいと約束をしていたわけでもなく、いったいどうしてと獄寺は怪訝そうに綱吉の顔をまじまじと見つめた。
「ちょっとした臨時収入があってさ」
ニヤリと笑うと、綱吉の甘い顔つきがいっそう男前に見える。どことなく悪戯っ子のように見えないでもないのは、綱吉が隠し事をしているからだろうか。
獄寺はごくりと唾を飲み込んで、じっと綱吉の顔に見惚れた。
「夕食までだいぶん時間があるから、少しあたりを散策してみない?」
そう言って綱吉に顔を覗き込まれ、獄寺はドギマギする。最近の綱吉は、ますます男っぷりが上がってきたように思われる。目元の穏やかさは昔のままに、頬のラインなどが特にすらりとしてきたようだ。
「あ……はい、いいっスね」
戸惑いながらも獄寺は頷いた。
部屋を出て、のんびりとホテルの裏側一帯に広がる山のほうへと足を向ける。
綱吉と二人で他愛のない言葉を交わしながら、ゆっくりと苔むした石段をあがっていく。山一帯が、ホテルの敷地に含まれているらしい。何種類もの鳥の声が響く森の中で、綱吉と自分の二人だけしかいないような感覚に陥りそうになる。
石段を一歩いっぽ踏みしめて、上がっていく。振り返ると、下のほうにホテルの屋上が見えていた。それから、その向こうに整然と広がるいくつもの道が見えるような気がした。
秋の空は高く、空気が澄んでいる。空を見上げると、雲一つない真っ青な空がただひたすらに広がって、森の木々と溶け合っている。吸い込まれてしまいそうだと獄寺は思う。顔にあたる陽光を遮るために手をかざすと、小さな影ができてホッとした。秋とは言え、夏の名残の太陽は昼間はまだ暑いくらいだ。少し汗ばんだ肌に不快感を感じるものの、夏の間の不快感に比べればたいしたことはない。
目を閉じると、風が頬を撫でていくのが感じられた。夏の風と違って湿度の少ない秋の風は、ひんやりとして涼しやかだ。
ふわふわとした気分で山道を歩いていたら、前を歩く綱吉が手をさしのべてきた。獄寺は無言で手のばした。指先が触れ合い、そのままそっと手を握り込まれた。
いつもとは違う綱吉の態度に、獄寺の心臓はドキドキしっぱなしだ。
部屋へ戻ると、ちょうどいい時間になっていた。交互に風呂に入り、備えつけの浴衣姿でくつろいでいると、間もなくして部屋に夕食が運ばれてきた。和食メニューの数々に、またしても獄寺は眉をひそめる。いつもの綱吉らしくないのだ。もちろん、料理は美味しいし味だけでなく量も申しぶんないほどだったが、どうもしっくりとこない。いつもの綱吉なら、こんなことはしないだろうと獄寺には思われた。いったい、何があったのだろうか?
食事をしながらちらちらと綱吉のほうを見ていたら、気づかれていたらしい。
「なに?」
箸を置いて、綱吉が尋ねてくる。
穏やかな榛色の瞳が、じっと獄寺を見つめている。
「あの……いつもの十代目じゃないみたいっス」
正直に獄寺が告げると、綱吉は困ったようにふい、と視線を逸らした。
「うん。自分でもわかってる」
小さな声で、綱吉は呟く。
「だってさ、ディーノさんが言うんだよ。たまには部下を労ってやれ、って」
だから? と、獄寺は首を傾げる。
「ここ何年も獄寺君が長期休暇を取っていないのは周知の事実だから、いちど旅行にでも連れていけってうるさくってさ」
他の守護者たちは、定期的に長期休暇を取得しているらしい。が、獄寺と言えば十代目一筋で、大怪我でもしない限り、長期休暇を取ることもなかった。休暇らしい休暇を、というのが、優秀な家庭教師の命令なのか、それとも兄弟子からの忠告なのか、はたまた嫉妬深い守護者の一人の言葉なのかはわからないが、獄寺は素直に「嬉しいっス」と返した。
考えてみれば、純粋に長期休暇を取るのは獄寺にとって初めてのことだった。
しかも綱吉も一緒だ。
少し前に誕生日を祝ってもらったばかりだというのに、贅沢すぎるのではないだろうか。自分はそんなに甘やかされていいのだろうかとも思ってしまう。
食後は二人してサンルームに移動した。
それぞれ一人がけのソファにどっしりと腰を下ろし、のんびりと窓の向こうの景色を眺めた。
サンルームのはめ殺しのガラスの向こうは日本風の庭園が広がっている。真っ白な砂利が敷き詰められており、灯籠には火が入れられていた。その奥に、小さな橋と滝が見えている。
「滝まであるなんてすごいよね」
溜息をつきながら綱吉が呟いた。
「そうっスね」
それにしても、と、獄寺は思う。いったい誰が、綱吉にこのホテルを紹介したのだろう。 「さすが雲雀さんだよね」
何度目かの溜息と共に、綱吉がポツリと呟いた。
ああ、そうか。獄寺は思った。いつだったか、雲雀が名家の子息だという噂を聞いたことがある。ホテルの情報はおそらく、雲雀経由で、或いはディーノ経由で綱吉が仕入れてきたものなのだろう。
それ以上のことは聞きたくなかったから、獄寺はソファから立ち上がり、寝室へと避難した。
襖を開けた途端、目に飛び込んできた二組の布団に、獄寺はドキッとする。
「……う、わ」
口元を押さえた獄寺が襖を開けたところで立ち竦んでいると、綱吉が肩越しにちらりと寝室を覗き込んでくるのが感じられた。
「なんか、生々しい……」
耳元で綱吉がポソリと呟く。
ドキン、と獄寺の心臓が飛び上がりそうになる。そんな獄寺の様子に気づいているのかいないのか、綱吉の手がそっと腰に回される。それから、背後からぎゅっと抱きしめられた。
「ベッドだとそんなにイヤらしく思わないのにね」
綱吉の言葉に、また獄寺の心臓がドキン、とする。つきあいだしてそう時間は経っていないが、キスだってセックスだって、数え切れないほどした。それなのに今夜、寝室に少し離して敷かれた二組の布団に、どうしてこんなにもドキドキするのだろうか。
鳩尾の少し下あたりで組まれた綱吉の手に、獄寺は自分の手を重ねた。
「初めての時よりドキドキしてます」
獄寺は言った。滅多にないシチュエーションだからだろうか。それとも、綱吉と体を重ねるのが久しぶりだからだろうか。心臓がドキドキと鼓動を打ち、首から頬にかけてが熱くてたまらない。
背後の綱吉が、フッと笑ったような感じがした。首筋に吹きかけられた吐息は甘く、獄寺の体を微かに震わせる。
「初めての時って、どんなだっけ」
からかうように綱吉が尋ねる。
「意地悪っスね、十代目は」
ムッとした表情を作ると獄寺は、綱吉の手の甲をきゅっと抓った。
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