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  玄関のドアが開く気配がして、綱吉は台所からひょい、と顔を覗かせる。
  脱いだ靴を丁寧に並べ直しているのは獄寺だった。
「おかえり、獄寺君」
  声をかけると、獄寺は嬉しそうに顔をあげた。
「ただいま帰りました、十代目」
  整った顔立ちは大学生になってさらにシャープになった。銀糸の髪を後ろでキュッと一纏めにした獄寺は、どことなく浮き足だったような様子で綱吉の顔をうかがっている。
「あー……ええと、ごめんね、獄寺君」
  困ったように、綱吉が小さな声で言った。
「え? なにがです?」
  怪訝そうに尋ね返す獄寺に、綱吉は両手を合わせて謝った。
「ごめんっ、今日もレトルトで勘弁してくれる?」
  申し訳なさそうに綱吉が言うのに、獄寺はなんでもないことのようにさらっと返した。
「十代目が用意してくださる料理なら、なんでもOKっスよ」
  そう言われることがわかっていたから、綱吉はよけいに居たたまれないような気持ちになるのだ。
  彼なりに頑張った。母から聞いた料理を試してみたり、京子やハルに相談をしたこともあったが、結局、自分は料理に関してはレトルト止まりでしかないということがはっきりとわかっただけだった。今もそうだ。教えてもらったメモを頼りに頑張ってみたものの、結局、料理はできなかった。レトルトのご飯とカレー、それにスーパーで買った小分けのサラダにドレッシングをかけたものがテーブルの上に並んでいるのを横目でちらりと見て、綱吉はこっそりと溜息をついた。
  同居生活をすることになった当初、二人で決めたことがいくつかある。掃除当番と食事当番は交代でする、というものだ。今日の食事当番は、綱吉だ。初めの頃の獄寺は、掃除も食事もすべて自分がすると言い張ったのだが、それでは不公平だからと交代ですることにした。
  とは言ったものの、二人とも料理の腕は五十歩百歩といったところで、レトルトやカップ麺、ほか弁ばかりの日々が続いている。
  それでも、楽しいことは楽しい。
  二人でいる時間が増えたことで、今まで気付かなかった些細なことが、ひとつひとつ、明らかになっていく。
  お互いに相手のことが好きで同居を決めたものだから、まるで新婚ごっこの予行演習のような気がしないでもない。
  嬉しそうに食卓につく獄寺を眺めながら綱吉は、こっそりとそんなことを思ったのだった。



  レトルトのカレーだったが、二人で食べるカレーの味はおいしかった。
  基本的に獄寺は、褒め上手だ。綱吉がレトルトの料理を出そうが、失敗した料理を出そうが、関係ないらしい。とにかく綱吉が自分のためになにかをしてくれることが嬉しいのだと、獄寺は言う。
  母の大らかさにもある種通じるところのある獄寺の喜びようが、綱吉には時に心地よく、時に煩わしいことがあった。
  綱吉は時々、薄情なことがある。それは重々承知しているものの、やはり誰かからいきなりそう指摘されれば腹も立つ。飴と鞭の使い分けだと言ったのは、リボーンだったかディーノだったか。
  とにかく、両手放しに自分を褒めてばかりの獄寺に、綱吉は物足りなさを感じることがあった。
  もっと本音で向き合ってくれないのだろうかと、そんな不満を感じることがあるということを、獄寺は知らない。
  言葉にしてはっきりとそのことを告げることができたならと、思わずにはいられない。
  向かい合わせのスツールに腰かけて、二人で黙々とカレーを食べる。今日のレトルトは辛口だったかもしれない。食べながら口の中がカッと熱くなってくるのを感じて、綱吉は手元のグラスに入った水を飲んだ。ごくごくと喉を鳴らして水を飲みながらも視線を感じて綱吉がちらりとそちらのほうを見ると、獄寺が嬉しそうに綱吉を見つめていた。
「なんでこんなにウマいんでしょうね、十代目」
  そう言われると、綱吉としては苦笑するしかない。
  自分はレトルトのパックをレンジであたためただけだ。買ってきたサラダのパックを破いて小皿に盛り分け、ドレッシングをかけただけだ。それだけのことだというのに、獄寺はどうしてここまで喜んでくれるのだろう。
「そう? ちょっと辛くない?」
  ムッとして綱吉が尋ねると、獄寺は不思議そうに淡い緑色の瞳で見つめ返してきた。
「そんなことないですよ、十代目。そもそもカレーは辛いものだって決まってますからね」



  獄寺の言葉に、綱吉はドキッとした。
  そんなことを言われるとは、正直なところ、自分でも思っていなかった。
  不意に、獄寺の言葉が腹立たしく感じられた。カレーが辛いことなんて、自分だって知っている。その事実を改めて自分の前に突きつけられたことが綱吉は、面白くない。
  ムッとした表情で綱吉は、獄寺を睨みつけた。
「俺が言ってるのは、そういうことじゃないよ」
  そう告げると綱吉は、俯いて黙々と食べ続けた。
  獄寺はなにか言いたそうにしていたが、綱吉はひたすらに彼を無視し続ける。今は一言も喋りたくない気分だ。そのうちに諦めたのか、獄寺はスプーンを手に、再びカレーを食べ始めた。
「……意気地なし」
  ポソリと綱吉は、呟いた。
  聞こえたのか、獄寺がふと顔をあげて綱吉のほうを見る。
「なんで言わないんだよ?」
  綱吉は言った。
「はっきり言えばいいのにさ、まずい、って」
  レトルトのご飯に、レトルトのカレー。サラダは手作りでもなんでもない、ただの野菜のパックを買ってきて、ドレッシングをかけただけだ。
  こんな料理がおいしいはずがない。
  挑むように、押さえつけるように綱吉は、獄寺の目を覗き込む。
「そんなことないっスよ」
  静かに獄寺は返した。
  綱吉を見つめ返す瞳は真っ直ぐで、強い光を秘めている。
「十代目が用意してくださった晩飯です。こうして一緒に晩飯を食べることができて俺は、充分に幸せです。レトルトだろうがカップ麺だろうが、十代目が用意してくださったものにケチをつけるなんて、そんなこと俺にはできません」
  そう言うと獄寺は、一気にカレーを口の中にかきこんだ。
「ごちそうさまでした」
  空っぽの皿を前に、獄寺は告げる。
「あ……うん……」
  ただただ綱吉は、頷くことしかできなかった。



  獄寺があまりにも穏やかな声で喋ったものだから、綱吉は怒り出すタイミングを失ってしまった。
  本当は、胸の内に苛々としたどす黒い気持ちが渦巻いていた。鎌首をもたげて、この嫌な気持ちをぶつける瞬間を待ち構えていた。
  自分はなんと、醜い人間なのだろう。
  獄寺は、綱吉をこんなにも信じてくれているというのに。
  食事の後片づけを獄寺が申し出てくれたので、綱吉はありがたく任せた。
  自分は疲れているのかもしれない。
  学業とは別に、マフィアのボスになるための修行は相変わらず続いている。獄寺との同居に踏み切ったものの、リボーンの要求は以前よりも増えているし、昔とは比べものにならないくらい難易度があがっている。無理だ、こんなことは嫌だと口にする回数こそ減ったものの、いまだに綱吉は、ボンゴレ十代目という肩書きを重荷に感じている。
  もしかしたら自分は、獄寺がいるから頑張っているのかもしれない。時々、綱吉はそんなふうに思うことがあった。
  好きなのだ。
  なんだかんだと言ってはみるが自分は、獄寺に対して好意以上の気持ちを持っている。獄寺のほうも自分と同じ気持ちでいてくれることは、もうずっと以前に確認ずみだ。
  だから困るのだ。
  この気持ちを、持て余してしまいそうになることがある。
  自分はいったいどうすればいいのだろう。
  自分はいったい、なにをすればいいのだろう。
  獄寺はきっと、綱吉に従うだろう。
  十代目の命令ならと、そう言われた時にいったい自分は、どうしたらいいのかが綱吉にはわからない。そんなもので獄寺をつなぎ止めたいと思っているわけではないのだが、それをどのようにして獄寺に伝えたらいいのだろう。
  早々に自室に引き取った綱吉は、重苦しい溜息をついた。
  灯りをつけないまま部屋を移動し、ベッドに腰かける。
  獄寺の顔を見ることが、声を聞くことが、ひどく恐ろしいことのように思われ、綱吉は頭を抱えた。
  噛み締めた唇から、赤い雫がたらりと零れ落ちていく──



  翌朝の気分は最悪だった。
  頭の中はぐちゃぐちゃで、自分がなにをしたいのかもはっきりとわからないような混乱した状態だった。
  ぼんやりとした頭のまま綱吉はごそごそと起き出す。目覚ましはまだ鳴っていない。いつもよりだいぶん早い時間に目が覚めてしまったらしいが、これから二度寝をするような気にもなれない。
  仕方なく綱吉は、服を着替え、台所に立つ。
  トーストとコーヒーぐらいなら、料理下手な自分にも用意はできる。だから朝は、そんなに困ることもない。
  インスタントコーヒーの入ったカップを両手で包み、トーストが焼き上がるのを待つ。
  静かだった。
  獄寺はまだ自室で眠っているのだろう。
  寝室が別れていてよかったと、今ほど思ったことはない。
  これまでに何度か、いい雰囲気になりかけたことがあった。そのたびに綱吉は自室に逃げ込み、獄寺から逃げてきた。獄寺を好きな気持ちに偽りはなかったが、そういった行為に進展するにはまだ早いと、綱吉は思っていた。
  恐いのではない。
  照れてしまうのだ。
  そして、いくらかの苛立ちが常に、綱吉の中にあった。
  きっと獄寺は、綱吉が言えばなんだってするだろう。命令でなくても、綱吉の言葉に彼はきっと従うはずだ。お互いに好きだという気持ちに嘘はなくとも、綱吉が望めば、獄寺はきっとその体を主のために進んで開くはずだ。それが、綱吉には辛かった。
  そういったものを求めているのではない。
  綱吉が求めているものはそういったものではなく、ただ獄寺が、素直に自分の感情を表現してくれればいいと思っている。獄寺がどうしたいのか、綱吉とどんな関係を築いていきたいのかを、はっきり口にしてくれればそれで充分なのだ。
  たった一言。その一言だけを、綱吉は待っている。
  コーヒーを一口、カップからすする。熱い。
  自分はこれまで、獄寺に振り回されてきた。進学先の大学を決めた時も、同居を決めた時も、獄寺が率先して動いていた。
  だからというわけではなかったが、今回も、獄寺のほうからはっきりと口にしてほしいと思わずにはいられない。
  自分たちの関係をどう進展させたいのか、獄寺の口から、言って欲しい。
  台所の窓から差し込んでくる朝の薄日に、綱吉は口元に淡い笑みを浮かべた。
  自分の気持ちは、獄寺に好きだと言われたその時から決まっている。
  あとは、獄寺が自分の気持ちに正直になるだけだ。
  手にしたカップをテーブルに置いて、綱吉は台所のドアに視線を向けた。
  ちょうど、起き出したばかりの獄寺がドアを開けて台所に入ってくるところだった。
「おはようございます、十代目」
  まだどことなく眠たそうな獄寺に、綱吉は笑いかけた。
「おはよう、獄寺君」



END
(2009.11.6)


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