14 Trouble 11

  これは、自分の身勝手なのだろうか。
  それとも二十四歳の自分だからできる身勝手なのだろうか。
  納得いかない理不尽さに、十四歳の綱吉は歯を食いしばった。
  目の前にいる獄寺に手が届かないことが、たまらなく悔しい。
  ほんの少し、手を動かせばいいだけだ。さしのべて、二十四歳の自分を突き飛ばして、獄寺をこの部屋から連れ出せばいい。そうすれば、こんな理不尽な状況はすぐに解消されるはずだ。
  それがわかっていながらも、綱吉はなにもできない。
  自分からアクションを起こすことを怖れているのだろうか。
  それとも…──
  のそりとベッドから降り立つと綱吉は、獄寺に背を向けた。この部屋にいることが居たたまれなかった。
  ダメツナと呼ばれる自分にできることは、この程度しかない。
  肩を落として背を丸くして、廊下へ出た。
  薄暗い廊下の向こうに、踊り場のあかりがぼんやりと見えている。
  ふと、二十四歳の獄寺はどうしているだろうかと、綱吉は思った。
  のろのろとした足取りで、綱吉は長い廊下を歩き続けた。屋敷の中央にある踊り場には薄暗いあかりがついていたが、人の気配はまったくなかった。部下たちが屋敷の目立つ場所で護衛についているのは明るい時間帯だけだと昼間、獄寺は説明してくれた。日が暮れてからはどうしているのだろうと思いながら綱吉は、右翼棟へと足を向ける。
  せっかく時間稼ぎをしてくれた二十四歳の獄寺はどこにいるのだろう。
  十四歳の獄寺のことは気にかかったが、それ以上に今、綱吉は、二十四歳の獄寺のことのほうが気にかかって仕方がなかった。



  広くて長い廊下を曲がった先にも、似たようなドアがずらりと並んでいた。
  どうしようかと少し迷ってから綱吉は、手近なところでわずかにドアの開いていた部屋に飛び込んだ。
  廊下よりも薄暗い部屋の中で、誰かの呻き声が聞こえたような気がする。
  目が慣れるまでに時間がかかった。ドアを閉め、手探りであかりを探す。スイッチがカチリと音を立てた途端、反射的に綱吉は目を細めた。
「じゅ…う、代…目?」
  うっすらと目を開いた綱吉の前に、裸の獄寺がいた。
  二十四歳の獄寺は、腕をネクタイで縛られていた。ネクタイにひっかけたベルトはベッドの支柱へと伸びていて、獄寺がベッドから逃げ出すことができないようにしていた。
「獄寺君、なんて格好して……!」
  言いかけて綱吉は、ふと気付いた。これはもしかしたら、十年後の自分の仕業ではないのだろうか、と。
  口元を手で覆い、綱吉はそっとベッドのほうへと近づいていく。
「ねえ、獄寺君。まさかとは思うけど……」
「足止めにもならず、すみませんでした」
  すかさず獄寺が言い放った。
「十代目は、もしかして…──」
  綱吉は、恐る恐るベッドに繋がったベルトに手を伸ばす。獄寺のほうへは、敢えて目をむけないようにした。時間はかかったが、なんとか支柱に巻き付けられたベルトを外すことができた。
「十年後のオレが、部屋に来たよ。今、獄寺君と、その……」
  どう告げたらいいのかわからずに、綱吉は言葉尻を濁した。
「十年前の俺と一緒にいるんですね、あの人は」
  獄寺はそう言うと、眉間に皺を寄せる。
  綱吉は、ネクタイで縛られた獄寺の手をそっと指で撫でた。きつく結んであったため、なかなか解けない。ようやく結び目を見つけたと思ったものの、硬くて硬くてどうにもならないのだ。
「ハサミかなにかで切ってください、十代目」
  獄寺がそう言うのに、綱吉は躊躇った。
「でも……」
  このネクタイがいったい幾らするのか知らないが、スーパーで売っているようなバーゲンセールの安物でないことだけは確かだ。ハサミを入れることを躊躇っていると。構わないからと、獄寺に強く言われた。
  獄寺に言われてサイドテーブルの引き出しを漁ると、ハサミが出てきた。ネクタイの生地に刃をあて、一息に結び目を切った。



「助かりました、十代目。来てくださらなければ、どうなっていたことか」
  縛られた痕が赤く残る手首をさすりながら、獄寺は呟いた。
「獄寺君の役に立てて嬉しいよ」
  お世辞などではなく、本心から綱吉はそう思った。
  獄寺の格好はあまり気にしないようにした。裸の白い肌は生々しく、綱吉の目には刺激が強すぎる。
  ベッドの片隅に寄せられたケットを取り上げると綱吉は、押しつけるようにして獄寺に手渡した。
「どうぞ。その……ひどい格好だから……」
  部屋には、わずかに青臭いにおいが残っている。綱吉がここに来るまでになにがあったのか、この歳になればだいたいのことは想像することができた。
「ありがとうございます、十代目」
  あかりの下でケットを受け取る獄寺が、痛々しかった。手を縛られて……それも素っ裸で彼は放置されていたのだ。十年後の自分は、大切な右腕であり恋人でもある獄寺になんとひどいことをしたのだろう。
  獄寺から目を背けると、綱吉はベッドの端に遠慮がちに腰をおろした。
  ケットを体に巻きつけた獄寺はもぞもぞと居心地悪そうにしている。どう考えても綱吉のほうがよっぽど居心地が悪いのだが、獄寺はそんなことにも気付いていないようだ。
  なんとなく喋りづらくて綱吉が黙っていると、いつの間にか重苦しい空気が二人を包み込んでいた。
  これから、どうしたらいいのだろう。
  こっそりと溜息をつくと、獄寺がどうしましたかと尋ねる。
  居心地の悪さがさらに増して、綱吉はもうひとつ、今度は深い溜息をついたのだった。



  居心地の悪さを感じながらも綱吉は、獄寺のそばを離れることができないでいた。
  さっきの部屋に戻ったところで、自分の居場所はない。どうせ二十四歳の自分が十四歳の獄寺をいいようにしているところだろうから、自分は邪魔者以外の何者でもない。だったらこの部屋にいたほうがずっとマシだと、綱吉は思った。
  本当のことを言うと、獄寺のことが心配でならなかった。
  二十四歳の獄寺のことも心配だが、それ以上に十四歳の獄寺のことが気にかかる。
  あのまま部屋に置いてきてしまったが、今頃どうしているだろう。見捨ててきた自分が心配するのもおかしいかもしれないが、それでも気になってしまうのだ。今頃、二十四歳の自分にひどいことをされてやしないかと、気にかかって仕方がない。
  きっとそんなことを考えながら綱吉は、何度も溜息をついていたのだろう。
  不意に獄寺が、思いあまったように綱吉の肩を抱き寄せた。
「ご心配なさらないでください。俺なら、大丈夫ですから」
  その言葉に綱吉は、十四歳の獄寺を重ね見た。
  大丈夫だと言い張る獄寺は強がっているだけだろうか。それとも、本心から大丈夫だと告げているのだろうか。
  肩にかかる重みを感じながら綱吉は、小さく頷いた。獄寺の体温が心地よく感じられ、白く華奢な腕にしがみつく。
「獄寺君、俺オレ……」
  言いかけて、ふと口を噤んだ。いったい自分は、なにを言おうとしていたのだろう。十四歳の獄寺を二十四歳の自分にとられてしまったから、かわりに二十四歳の獄寺に慰めてもらおうと思っていたのだろうか。そんな虫のいいことを自分は考えていたのだろうかと綱吉は、眉間に皺を寄せた。
「どうかしましたか?」
  尋ねる獄寺の声は、いつもとかわらず優しい声だ。
「オレ…──」



  気がつくと、唇が触れ合っていた。
  無造作に体に巻き付けただけのシーツがずり落ちて、獄寺の白い肌が見えている。肩口の白さに、綱吉の心臓はドキドキとした。
「ん……」
  耳に届いた甘い声は、獄寺のものだ。しっとりとして艶を含んだ声に、綱吉の体が熱を持ち始める。
  獄寺の腕から逃げるようにして、綱吉は体をずらそうとした。その瞬間、はらりとケットが獄寺の体から滑り落ちた。白い肌が、目に痛い。
「あっちはあっちで楽しんでいるんですから、少しぐらい大丈夫ですよ、十代目」
  獄寺の言葉が、綱吉の耳に飛び込んできた。
  本当にそうだろうか?
  そう思ったものの、綱吉の視線は目の前の白い肌に釘付けになっていて、身動きをすることさえ躊躇われた。
「俺が……お教えしますよ、十代目」
  耳元に囁きかける獄寺の声に、綱吉は目眩を感じた。
  甘い吐息がくすぐったい。白い指に触れられると、そこから肌が焼けるように熱くなっていく。
「獄寺君……」
  顔をあげると、すぐさま獄寺の唇に唇を塞がれた。
  反射的に綱吉が唇を硬く引き結ぶと、獄寺はいったん唇をはなして微かに笑った。
「口、開けてください、十代目」
  そう言われた綱吉がうっすらと口を開くと、すぐにまた獄寺の唇がキスをしかけてくる。そのまま今度は、舌を口の中に差し込まれた。
  滑らかな感触の舌がぬるりと口の中に入り込んできて、綱吉の歯の裏をねっとりとねぶりあげる。控え目に綱吉が舌先で獄寺の舌に触れると、きゅっと絡みついてきて、唾液ごと吸い上げられた。
「ん……」
  薄目を開けると、白い肌がほんのりと上気して淡いピンク色に染まっていくのが目に飛び込んでくる。
  きれいだと思った。触れたい、とも。
  手を伸ばして、獄寺の腕に掴まった。
  ゆっくりと指先で腕を辿り、肩口から鎖骨、首筋と触れて、頬に辿り着いた。
「獄寺君……」
  呟いて、今度こそ綱吉のほうからキスをした。
  口の中に、煙草と甘い獄寺のにおいが広がって、綱吉はそっと目を閉じた。



NEXT
(2009.12.9)


BACK