14 Trouble 22

  十年後の獄寺が帰ってくるのを待って、今度は四人で中庭へ出る。
  皆、言葉少なだった。
  十四歳の綱吉はというと、逸る気持ちを抑え込むのに必死だった。
  うまくいったら、自分と獄寺は元の時代、元の世界に戻ることができるのだ。
  自分たちのいるべき場所へ帰ることができるのだと思うと、それだけで嬉しくてたまらなくなる。
  それだけ、今回は期待しているのだ。
  そもそもこの世界にいること自体を、綱吉は不自然に感じていた。
  二十四歳になった自分と獄寺のいるこの世界は、十四歳の自分と獄寺のいるべき場所ではない。
  ここは違う、この場所ではないといったある種の違和感が、事の始まりらかずっとつきまとっていた。
  だから、元の世界に戻ることができるかもしれないとわかって、ホッとしたし嬉しかった。安心した。本音を言うなら、一分でも一秒でも早く戻りたい。元の、世界に。
  気持ちとは裏腹にのんびりとした足取りで四人は、さっきの場所へと向かった。



  場所さえ特定できれば後は楽勝ですと、二十四歳の獄寺は告げた。
  本当に楽勝かどうかは別として、そうであればいいなと綱吉は思う。
  十四歳の獄寺と二人で、自分たちが元いた世界へ戻ることが叶うのなら、綱吉はそれで充分だった。
「戻れるといいね」
  すぐ右隣を歩く獄寺に、綱吉はそっと囁きかける。
  戻るのなら、二人一緒でなければならない。
  二人で十年後の世界へ飛ばされてきたのだから、戻る時も当然、二人は一緒に戻るのだ。そうでなければ意味がない。
  二人が一緒でなければ、戻る意味はなくなってしまう。
  もっとも、どちらか片方がこの世界に取り残されてしまったとしても、その時には十年後の自分たちが力を貸してくれるはずだ。それだけははっきりと綱吉にも感じられる。だが、やはり獄寺と離れ離れにはなりたくない。
「……戻れますよ、絶対」
  十代目を信じてますから……と、獄寺はにこりと笑みを浮かべた。この自信は、いったいどこからくるのだろうかと綱吉はいつも不安に思う。獄寺が自分のことを過大評価しているように思えてならないのだが、本人曰く、そうではないらしい。ダメなところも何もかもわかった上での評価だと、獄寺は言う。獄寺の、自分に対する褒め言葉はいつも話半分に聞き流すようにしているが、やはり褒められると嬉しいのは誰しも同じことだろう。綱吉だって、嬉しくないわけがないのだ。ただ、自分がそこまで評価されるべき人間なのかどうか、今ひとつ信じられないというだけで。
  そうこうするうちに四人は中庭を通り抜けていた。
  その奥へと続く小道の向こうに、例の大樹が見えてくる。
「あそこですね」
  やや緊張したように、十四歳の獄寺が呟いた。
  後ろを歩いていた二十四歳の綱吉と獄寺の気配も、のんびりとしたものから少し硬いものへと変化する。
「そろそろICタグを用意したほうがいいかもしれないな」
  二十四歳の綱吉が声をかけてきた。
「用意ならできてる」
  少しムッとしたように返す綱吉の隣で、十四歳の獄寺は愛想よく「こっちは準備万端っス」と笑っている。
  どうして二十四歳のオレに愛想を振りまくんだよと言いたいのをぐっとこらえて、綱吉はまっすぐ前を向いた。
  タグを握り締める手が、緊張で汗ばんでくる。
  ──光れ……光れ、光れ!
  綱吉が胸の中で強く願った瞬間、手の中がカッと熱くなった。汗ばんでいるからではない。それとは違う熱っぽさが、まるで手のひらを焼き焦がそうとしているかのようだ。
「熱っ……!」
  パッと手を開くと、タグが光を放った。
  見間違いではない。確かにICタグは、光っている。
「獄寺君」
  隣にいた獄寺のほうへと視線を向けると、彼が手にしたタグもまた、白い光を放っていた。
「光ってる……」
  互いに互いを呼び合っているかのように、白い光は強さを増していく。
「……戻れるのかな」
  戻りたいと、綱吉は思った。
  元の世界に。
  十四歳の自分がいて、十四歳の獄寺がいて。
  にぎやかないつもの面々と一緒に笑ったり、悩んだり、時に喧嘩をしたり、じゃれあったりして、日常を過ごしていくのだ。
「獄寺君、オレたち…──」
  白い光が眩しいほどに大きく輝いて……その場にいる誰もが眩しさのせいで、目を開けていることができなくなった。



  その瞬間、綱吉の目の前が真っ白になった。
  何も見えないほど眩しくて、きつく目を閉じた。
「十代目!」
  十四歳の獄寺の声が聞こえた。
  獄寺君、と呼び返そうとしたが、それすらもできないほどに眩しくて、綱吉は喉の奥で低く呻いただけだった。
  よく覚えていないが、二十四歳の綱吉と獄寺の声も聞こえたような気がする。
  何もかもが真っ白で、眩しくて、見えなくて、綱吉はただただその場に立っているのが精一杯だった。
  手のひらが熱かった。
  火傷しそうなぐらい熱いのに、タグを手放すことができなかった。
  手を振って、何度もタグを投げ出そうとしたが、できなかったのだ。タグはぴたりと手のひらにくっついてしまったように、綱吉の手の中に納まっている。
  これほどまでに眩しくなければ、もっと早くにタグを投げ捨てることもできたかもしれないのに。
  目を閉じていると、自分が立っているのかどうかもわからなくなってくる。体がフラフラと不安定なような気もするが、まっすぐに立っているような気もする。フワフワとした感じが大きくなってくると、そのうちに足元が崩れていってしまうように感じだす。怖い。獄寺は大丈夫だろうか。気になりながらも、眩しくて目を開けることができないから、呻くように獄寺の名前を呼んだ。
  返事が聞こえたのか、それとも聞こえなかったのかもわからない。
  自分のことで精一杯で、それどころではなかった。
  それでも心配なことにはかわりはない。目を開けることができさえすれば、と思いながらも綱吉は、光から逃れるようにして目を瞑り続けた。
  光はまだ、あたりを包み込んでいる。
  轟々と音を立てながら綱吉の頬を叩きつけてくるのは、風だろうか。冷たくはないが、強くて痛い風の勢いで、いっそうあたりの音が聞こえなくなってしまう。
「──…獄寺君!」
  どうにかして張り上げた自分の声すら、聞こえない。
  激しい風と光の中で綱吉は、獄寺が自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。



  目を開けると同時に綱吉は、あたりが眩しくないことと、手のひらが熱くないことに気づいた。
「……獄寺、君?」
  恐る恐る名前を呼んでみる。
  景色はさっきと違っていた。
  いつもの見慣れた景色、並盛公園ののんびりとした景色が綱吉の目の前には広がっている。
  戻ってきた……の、だろうか?
  きょろきょろとあたりを見回してみるが、小さな子どもたちが何人か、思い思いの場所で遊んでいる姿しか見当たらない。その近くにいるのは、遊んでいる子どもの母親だろうか。
  獄寺はいったいどこにいるのだろう。
「獄寺君!」
  声を張り上げ、公園内を歩き回った。獄寺はこの公園のどこかにいるような気がしたのだ。
  しかし隅から隅まで歩いて何度も捜してみたものの、獄寺はどこにもいなかった。
  もしかして自分だけ、元の世界に戻ってきたのだろうか。
  ふと、十年後の未来の世界に取り残されてしまった獄寺の姿が綱吉の頭の隅をよぎった。
「まさか……ね」
  不意に乾いた笑いが洩れた。
  感情のこもらない笑い声に、ゾクリと綱吉の背筋が総毛立つ。
「獄寺君!」
  再び綱吉は、声を張り上げた。
  近くにいた親子連れが、妙なものでも見るような目で、綱吉をちらちらと見ている。
  人目を気にしているどころではなかった。空を見ると、太陽が西のほうへと傾きかけている。そろそろ日が暮れてきそうな時間でもあることだし、一刻も早く獄寺を見つけなければと綱吉の気は焦るばかりだ。
  もう一度だけ獄寺を捜して公園を回ってみようと駆け出しかけた途端、背後から声をかけられた。
「……十代目?」
  耳に馴染んだ声が、怪訝そうに尋ねかけてくる。
  咄嗟に足を止めたものの、背後を振り返るだけの勇気が出ない。固まったようにカチコチになった体をぎこちなく動かして、綱吉は声のほうへとなんとか振り返る。
「どうかなさったんスか、十代目」
  視線の先には、獄寺の姿があった。
  髪は乱れ、木の葉が絡まっているが、間違いない。あの場所から獄寺も、無事に戻ってくることができたのだ。
「……獄寺君」
  どう、声をかければいいのか綱吉にはわからなかった。
  押し黙ったままその場を動かない綱吉に、獄寺は照れくさそうな笑みを浮かべた。
「どうやらタイムラグが出たみたいっスね。十代目と同じタイミングで向こうの世界を後にしたと思ったんですけど……」
  その言葉に綱吉は、何故だか泣きたいような笑いたいような、なんとも言えない気持ちになった。
  そう言えば、向こうの世界へ飛ばされた時もそうだった。二人一緒に十年後の世界へ飛ばされたはずだったのに、どういうわけか、向こうに辿り着いた時は別々だった。だから帰ってくる時も時間差が出たのだろうか。
  なにはともあれ、無事に戻ってこれて本当によかった。
  あのまま戻ってくることのできない可能性だってあったのだ。二人とも、或いはどちらか一方が未来の世界に取り残されたまま、いつか戻れる日を夢見て未来の世界で生きていくということだって、あり得たかもしれない。
「戻ってこれてよかったよ」
  綱吉は大きな溜息をついた。
「俺は、大丈夫だって信じてましたよ、十代目」
  喉の奥で小さく呻いた綱吉は複雑な心境で獄寺を見つめ返した。
  そんなふうに自信満々に獄寺に言われてしまうと、どう返せばいいのかわからなくて、困ってしまう。
  言葉が出てこないから、黙って手を差し出した。
  おずおずと差し出された獄寺の手が、綱吉の手に重なる。
  手を握り締めると、あたたかかった。
  ああ、戻ってこれたのだと綱吉はようやくホッとすることができたような気がする。
「帰ろう、獄寺君」
  綱吉の言葉に獄寺は、大きく頷いた。



END
(2013.1.9)


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