「十代目、たまにはドライブでもいかがですか?」
朝食を終えた綱吉に、二十四歳の獄寺が声をかけてくる。
綱吉は自分よりもはるかに背が高く、逞しくなった男に愛想笑いを浮かべてみせた。
十年後の世界にやってきてからいったい何日が過ぎただろう。いつの間にかこの世界に馴染んできている自分がいることに、綱吉は気付いていた。
二十四歳の獄寺は甲斐甲斐しく、面倒見のいい大人の男に成長していた。その一方で二十四歳の自分は、獄寺に対してひどく独占欲の強い我が儘な男になっていた。あれが本当に十年後の自分なのだろうかと、疑わずにはいられないこともある。
「ドライブ……?」
綱吉が口ごもるのに、二十四歳の獄寺はニコリと微笑む。
「はい、ドライブです。今日は山のほうまで足を伸ばしてみませんか?」
獄寺が言うのに、綱吉は戸惑いながらも頷いた。
本音を言うならば、このところ十四歳の獄寺と言葉を交わす機会さえなかったから、今日は二人でこちらの時代にきてからのことを話し合いたいと思っていた。なにかというとこの時代の綱吉と獄寺に邪魔をされ、なかなか十四歳の獄寺と一緒に過ごす時間を持てないことで、綱吉は微かな苛立ちを感じてもいる。このままだと、モヤモヤとした気持ちがいつかどこかで爆発してしまいそうな気がする。
「そんな難しいお顔をしないでください、十代目。ちょっとした息抜きですよ」
そうは言うものの、この時代にやってきてからの綱吉は、息抜きばかりしているような気がしてならない。
まだなにか言いたそうにしている綱吉を尻目に、獄寺はさっさと出かける準備を始めてしまった。
獄寺の運転する車に乗って、屋敷を後にした。
聞けば、山奥のキャンプ場へ行くのだと獄寺は返した。
別に嫌ではなかったが、何故キャンプ場なのだろうかと綱吉は思う。
息抜きなら、あの屋敷の自室でぼんやりと一日過ごすだけでも構わない。こうして二十四歳の獄寺にあちこち連れ回されることのほうが疲れるような気がするのは、気のせいだろうか。
「お昼はバーベキューですよ、十代目」
ハンドルを切りながら獄寺は、嬉しそうに喋っている。
「いつの間に用意したんだよ……」
呆れながらも綱吉は、獄寺に言葉を返す。
ドライブを楽しんでいるのは、どちらかというと獄寺のほうだ。息抜きをしようと声をかけてきたのも、もしかしたら獄寺自身にその必要があったからかもしれない。
「時間があれば、テントを設営して泊まることもできるんですけど……」
そう言って獄寺は、ちらりと綱吉の様子をうかがった。
「ああ……うん、そうだね。次の夏にも俺がまだここにいたら、その時はキャンプに連れて行ってくれる?」
そんな長い間、この世界にいるつもりはない。十年バズーカの動作に問題があるのならば、さっさと直して元の時代に戻りたいと綱吉は思っている。それでもこんなふうに答えたのは、何故だろう。
「もちろんです、十代目!」
嬉しそうに獄寺が返すのに、綱吉は胸の底で罪悪感を感じていた。
本当はそんな気などさらさらないのだ。ただ獄寺を喜ばせたくて、上っ面だけの言葉を口にしてしまっただけなのだ。
「き…期待しないで、楽しみにしてるよ」
乾いた笑みを浮かべて、綱吉は返した。
十月の風が頬に心地よい。
キャンプ場の上空は雲ひとつなく、青空がどこまでも広がっていた。
ここの空気は、町の空気よりも甘く感じられる。青々しい葉っぱのにおいと、土の香りをいっぱいに吸い込んで、綱吉は芝生の上に寝転がった。
「ねえ、獄寺君。息抜き、ちゃんとしてる?」
自分に気遣ってばかりの獄寺に、綱吉は声をかける。
「はい。ちゃんと息抜きしてますよ」
芝生の上にじかに腰をおろした獄寺は、やはりどこか寂しそうに見える。
獄寺のこんな様子を見ていると、本当は、二十四歳の綱吉と一緒にいたかったのではないかと思えてならない。自分だってそうだ。十四歳の獄寺と一緒にいたくて仕方がないのだから、獄寺だっておそらく、同じ気持ちではないだろうか。
「ちゃんと息抜きしなきゃ、ダメだよ」
ごろりと寝転がったまま綱吉は、獄寺を見上げて言った。
「……はい」
殊勝にも獄寺はおとなしく頷いた。
いつもの獄寺ではないように見える。傷ついたような、どこか苦しそうな大人の表情をして、彼は綱吉を見おろした。
「息抜きならちゃんとしてます。あなたと一緒にいると、俺は……」
口元に淡い笑みを浮かべた獄寺の目がすっと細められたかと思うと、翡翠色の瞳が濡れたように潤んでくる。
慌てて綱吉が起きあがろうとすると、獄寺に肩を押さえつけられた。
「スンマセン、十代目」
掠れた獄寺の声が、綱吉の耳元で聞こえた。
「少しだけ、じっとしててください」
芝生の上で男同士で抱き合って、いったい自分たちはなにをしているのだろうかと綱吉は思った。
抱きしめてくる獄寺の手が痛い。
衣服越しの獄寺の体温が感じられ、綱吉の心臓の鼓動はドキドキとうるさいぐらいだ。
「本当は、この時代の十代目とご一緒したかったんです」
くぐもった獄寺の声が、言い訳がましく綱吉に告げる。
「せっかくのお誕生日ですから、一緒にいて、お祝いしてさしあげたかった……」
泣いているのだろうか?
獄寺の声は、掠れた鼻声になっている。
そういえば今日は自分の誕生日だったかと、綱吉はぼんやりと思った。
「……なのにこの時代の俺は、十四歳の獄寺君とどこかへ出かけてしまった? 君に、なにも言わずに?」
綱吉が尋ねると、獄寺は微かに頷いた。
「スンマセン。あなたを身代わりにするような失礼なことは、してはならないのに……」
やはり獄寺は泣いていた。二十四歳の綱吉は、十四歳の獄寺とさっさと二人で出かけてしまったのだから仕方がない。だから自分は、二十四歳の獄寺の心の空白を埋めるため、このキャンプ場へ誘われたのだと綱吉はようやく思い至った。
自分は獄寺が言うように、二十四歳の綱吉の身代わりだったのだ。
「あまりいい気はしないな」
呟いて綱吉は、縋りつく獄寺の体をぐい、と押しやった。
芝生の上に上体を起こすと、獄寺を正面から見つめる。
「身代わりなんて冗談じゃない」
ぷう、と頬を膨らませて、綱吉は言った。
「きっと俺と一緒でよかったと思うはずだよ、獄寺君は」
やや強引にそう言うと綱吉は、にっこりと笑った。
そんな綱吉を獄寺は、じっと見つめている。言葉が出てこないのは、驚いているからだ。いったいなにを驚くことがあるのだろう。綱吉はそっと獄寺の頬に手を伸ばすと、下唇に軽くキスをした。 「ね、お腹がすいてきたから、そろそろバーベキューにしようよ? 俺、カルビが食べたいな。俺の誕生日を祝ってくれるために、獄寺君はわざわざここに連れてきてくれたんだろ?」
そう尋ねかけると、獄寺は慌ててすっくと立ち上がった。
「は…はい、ただいま! すぐにバーベキューの用意をしますね、十代目!」
今にも駆けだしていきそうな様子で獄寺は、バーベキューの用意を始める。
キャンプ場の風に乗って、草葉の青く甘いにおいが綱吉の鼻をついた。
いい天気だと、綱吉は思った。
誕生日日和だなと口の中で呟くと綱吉は、先にバーベキューの用意に取りかかっていた獄寺の後を追って、駆けだした。
雲ひとつない秋の空は、鮮やかな青一色で彩られていた。
END
(2009.10.21)
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