キスをひとつ

  十年後の時代に飛ばされて、もう何日も経っている。
  いったいいつになったら元の時代に戻ることができるのだろうかと、時折、不安に駆られることがあった。
  十四歳の綱吉と一緒に飛ばされたのがよかったのかどうかは、今も獄寺にはよくわからない。
  今の獄寺は、一日の大半を二十四歳のこの時代の綱吉と一緒に過ごしている。
  同じように十四歳の綱吉は、二十四歳の自分と過ごしているのだと思うと、胸の奥がどうにもモヤモヤしてたまらないことがあった。
  今日のような日は特に、気持ちが不安定になってしまう。
  十四歳の自分にとっての十代目は、同じ十四歳の綱吉のほうだ。今日が誕生日と聞いて祝いたい気持ちでいっぱいだというのに、十四歳の綱吉とは朝から一度も顔を合わせていない。聞けば、二十四歳の自分と一緒に出かけてしまい、帰ってくるのは夕方になるらしい。
  親指の爪を噛み締め、獄寺はじっと窓の外を見た。
  つまらないのは、綱吉が……十四歳の綱吉がいないからだ。ここしばらく、綱吉とは言葉を交わすこともできず、互いに連絡を取ることができないでいる。二十四歳の綱吉経由で聞かされる十四歳の綱吉の日々の行動に、二十四歳の自分が関わっているのだと思うと、軽い嫉妬を覚えることも多々あった。
  溜息を吐き出すと、獄寺はまた爪を噛んだ。
  自分のほうこそ、十四歳の綱吉と一緒に過ごす時間が必要だ。
  これからどうやって元の時代に戻るのだとか、そういった諸々の話をしたいと思っているというのに。
「つまらないかい?」
  窓の外を睨み付けていると、不意に綱吉が声をかけてきた。二十四歳の綱吉は、声のトーンも落ち着いて、穏やかな雰囲気の大人の男に成長している。同じ男の自分から見ても、格好良いと思わずにはいられない。
「いえ、そういうわけでは……」
  慌てて言いかけたところで、綱吉はニコリと微笑んだ。
「遊びに行こうか、今から」



  ちょうどお昼前に屋敷を後にした二人は、ショッピングモールにある小洒落た雰囲気のオープンカフェで昼食をとった。石畳の続くモールを見渡すようにして華奢な作りのテーブルセットがいくつか並ぶ中で、二人は向かい合って食事をした。
  屋敷で食べてから出かけてもよかったのにと獄寺が言うと、綱吉はふと難しそうな顔をした。せっかくのお昼を外で食べないでどうするのだと、逆に綱吉に駄々をこねられてしまった。綱吉にしてみれば、たまのお昼ぐらいは屋敷ではなく、外で気楽に過ごしたいと思うこともあるのだろう。獄寺はそれ以上はなにも言わなかった。
「ここを出たら、どこに行こうか」
  食後のコーヒーに口をつけながら、綱吉が尋ねる。
  獄寺は少しだけ考えた。
  今日は綱吉の誕生日だ。本当なら十四歳の綱吉に「おめでとう」の言葉を真っ先に告げたかったのだが、それは叶わなかった。だったらこの「おめでとう」は、二十四歳の綱吉に告げても構わないはずだ。しかしだからといってところ構わず適当に言ってしまうのも癪に障る。どこかにこの言葉に相応しい場所がないものかと、獄寺は朝からずっと思っていた。
「俺は、どこでもいいですよ」
  綱吉が行くところならどこへでも、獄寺はついていくだろう。それが十代目の右腕としての務めだと獄寺は信じている。
「そう? 嬉しいな」
  綱吉はそう言うと、獄寺の銀の髪にそっと手を伸ばす。
「糸くずがついてる」
  そう言って、髪についていたゴミを綱吉は指に摘んだ。
  目の端で、石畳の向こうから小さな子どもが風船を手に駆けてくるのが見えた。遊園地に行きたいと、手を引く両親にせがんでいるところなのだろう。必死になって遊園地、遊園地と叫んでいる。
「……遊園地に行こうか?」
  ふと思いついたように、綱吉が呟いた。
「遊園地…ですか?」
  怪訝そうに獄寺が返すと、綱吉はすくっと椅子から立ち上がった。
「今からなら時間もいいし、せっかくだし行ってみようか」
  綱吉は、獄寺の腕を掴んで歩き出した。
  モールの専用駐車場へ向かうと、二人は停めておいた車に乗り込んだ。
「あの……十代目、本当に遊園地に行かれるのですか?」
  獄寺が尋ねると、綱吉はハンドルの上に肘をついて嬉しそうに笑った。
「当然だろ。せっかくの俺の誕生日なんだから、獄寺君とどこか行きたいと思っも罰は当たらないと思うよ?」
  その顔があまりにも嬉しそうだったものだから、獄寺はつい、頷いてしまった。



  男二人で遊園地というのも、どこか妙な感じがする。
  綱吉の運転は危なげなく遊園地の駐車場に入っていく。時間が時間だったからだろうか、駐車場は満杯近くまでいっていた。入場ゲートを潜った家族連れや友人連れの客が、園内を所狭しと歩き回っている。皆、楽しそうな顔をして、親しい人たちと言葉を交わしている。
  甘い香りとアトラクションの賑やかな音楽、それにカラフルな色彩に、日常とはまったく異なる世界に入り込んでしまったような錯覚を覚える。
「俺たちって、なんだろう。歳の離れた兄弟に見え……ないよ、ね」
  乾いた笑い声をあげて、綱吉が不意に言った。
「ええっ、兄弟っスか?」
  兄弟よりももっと別のものに見えたらいいのにと、獄寺はぼんやりと思う。そんなものになりたいのではない。そうではなくて、自分は、綱吉と恋人同士に見えたらいいのにと思ってしまったのだ。
「やっぱり無理だよね」
  苦笑して綱吉が言うのに、獄寺はそうではないと言い返したかった。
  兄弟に見えるのが嫌というわけではないのだ。ただ、それ以上に獄寺が望んでいる関係があるというだけのことだ。
「いえ、無理とかじゃなくて……あの、どちらかというと俺は……」
  口ごもる獄寺に、綱吉は優しかった。
「いいよ、そんなに気にしなくても。それよりもほら、アトラクションに乗りに行こうよ」
  さりげなく手を引いて、綱吉は笑う。
  おおっぴらに触れても、こんな賑やかな場所では人目を引くことも滅多にないだろう。
  手を繋いだまま、二人は園内を移動して回った。ぐるぐると歩き回っては、目に付いたアトラクションに片っ端から乗ってみた。
  楽しくて仕方がないと綱吉は、獄寺の耳元にこっそり囁いた。



  楽しすぎて気付かなかったが、いつの間にか二人は園内の外れ近くまでやってきていた。
  さすがにこのあたりまでやってくると人目も途切れがちで、のんびりと息をつくこともできる。
「十代目、少し休憩しませんか?」
  獄寺が声をかけた。
  今日の綱吉は、いつもよりはしゃいでいるように見えた。ボンゴレの屋敷にいる時の綱吉はどことなく不機嫌そうなことがあったし、外出中もなにかに縛られているような様子のことがあった。しかし今日は、違う。今日の綱吉は、楽しそうだ。獄寺と一緒だからそう見えるのだと言われたなら、きっとこの従順で年若い右腕は飛び上がって喜ぶだろう。
「そこのベンチで休もうか」
  綱吉に言われて、獄寺は頷いた。
  アトラクションは楽しいが、いかんせん人が多すぎた。家族連れや友人連れの人々が行き交うのを眺めるフリをしながら獄寺は、チラチラと綱吉の様子をうかがっている。
「さすがにノンストップで遊び回っただけあって、疲れましたね」
  獄寺が言うのに、綱吉は「そうだね」と返す。やさしい笑みが、獄寺をまっすぐに見つめている。
「ここの遊園地、割と夜遅くまでやってるから、最後まで残ってようか」
  さりげない綱吉の言葉に獄寺は、言葉の意味も考えずに頷いた。
  それから二人は、時間など気にせず、遊べるだけ遊んだ。露天で飲み物とホットドッグを買うと、歩きながら食べた。獄寺の炭酸飲料を綱吉はほしがった。獄寺が口をつけたストローに、綱吉は躊躇うことなく口をつける。間接キスだ。獄寺の心臓がドキドキと騒ぎ始めるころには空は夕方の茜色に色づきだしており、頬だけでなく耳までもがほんのりと同じ色に染まっていった。
「あ……」
  ふと綱吉が、獄寺のほうへと身をかがめてきた。
「ケチャップがついてる」
  少しだけ掠れた声がして、獄寺の口元をざらざらとした舌がペロリと舐めあげた。
「んなっ……じゅ、十代目!」
  弾かれたように獄寺が顔をあげると、綱吉は悪びれた様子もなく、ニヤリと笑う。
「大丈夫だよ。皆、自分たちのことに一生懸命で、他人のことなんて見てないから」
  その言葉に獄寺は、ムッとしてみせる。眉間に皺を寄せて軽く綱吉を睨み付けると、今度は唇をペロリと舐められた。
「誕生日なんだから、いいよね?」
  そう言うと綱吉は、獄寺の唇をそっと唇で塞いだ。
  遠くから、賑やかな音楽が聞こえてくる。
  観念したように獄寺は目を閉じると、綱吉の腕にぎゅっとしがみついた。



END
(2009.10.24)


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