ベッドの上に飛び乗った獄寺は、投げ出しっぱなしの携帯を見つけた。夕べ、眠る直前まで手にしていながらついに綱吉に電話をかけることもメールをすることもできなかった。カウントダウンの頃合いを見計らって電話をかけようかメールをしようかと考えながら、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
いそいそと携帯に近づくと鼻先をすり寄せ、獄寺は携帯の蓋を開けようとする。しかし前脚で叩いてみても、歯を立ててみても、折り畳んだ携帯はなかなか開いてはくれない。携帯のメール機能を使って綱吉に連絡を取ることができないだろうかと獄寺は思ったのだが、携帯の蓋が開かないことには始まらない。
苛々しながら不機嫌そうな声をあげると、遠慮がちにドアが開いて綱吉が顔を覗かせた。 「獄寺君……いったいどこに行っちゃったんだよ、もうっ」
綱吉の声に、獄寺は顔を上げた。自分はここにいる。目の前にいるのだと言いたげに声を張り上げたが、情けないことに猫の鳴き声がやかましく部屋に響いただけだった。
「あれ……獄寺君、携帯部屋に置いてどこかに行ったんだ……」
ベッドに近づいた綱吉は、おもむろに携帯を取り上げると折り畳まれた蓋を開けた。勝手に他人の携帯を覗くのはさすがに決まりが悪いのか、ボソボソと断りの言葉を口の中で呟いてから、電源を入れる。すぐに画面が展開したものの、電池切れのメッセージと共にスーッと画面は暗くなっていく。
「なんだよ、電池切れ?」
苛々と綱吉は携帯の蓋を閉じた。どことなくホッとしているように見えるのは、気のせいだろうか。いくらこういう時とは言え、他人の携帯を見るのはあまり気持ちのいいものではないのだろう。 「ねえ。お前、獄寺君がどこに行ったか、本当に知らない?」
ベッドに腰をおろすと綱吉は、猫の姿をした獄寺に声をかけてくる。
「あぉ!」
獄寺が声をあげると、綱吉は小さく苦笑した。
「……お前が知ってるわけないよな」
溜息と共に綱吉は、そう呟いた。
どうして自分は猫になってしまったのだろうかと、獄寺は考える。
夕べは……いや、今朝方か。正月早々の月蝕だということで、確か四時前に目を覚ましたのだ。目覚ましは正確だった。たいして大きな話題にもなっていなかったことと、適当に眺めてさっとベッドに戻るつもりだった獄寺は、寝間着の上に毛布をかぶって窓際に座った。
窓の外に見えた月は白くて大きくて、綺麗だった。
月蝕が始まるまで少し時間があったから、コーヒーを飲んだ。そこまでは確かだ。
それから……それから、どうしただろう?
コーヒーを飲みながら月を見ていると、わずかに下のほうが暗くなっていくのが見えた。 月蝕だと気付くと同時に獄寺は、願い事を口にしていた。
「十代目の右腕として、お側にずっといられますように。あと、あわよくば好きだと言ってもらえますように」
そう、口早に願ったのだ。
そうしたら、急に目の前が暗くなっていって……そうだ、自分はそんなに眠かったのかと、獄寺は思った。
目を閉じるとなんだかとてもふわふわとした感覚がして、気持ちが良かったことを覚えている。
いったいなにがあったのだろうか。
ベッドに腰かけた綱吉の顔を覗き込み、不安そうに閉じたり開いたりしている手の甲をペロリと舐めてみる。
俺はここにいます。大丈夫ですよ、十代目──そう告げたい。綱吉を安心させたいと思うのだが、いかんせん猫の口では人間の言葉を喋ることができない。
二度、三度と綱吉の手を舐めてから獄寺は、頭をすり寄せていく。
ゴロゴロと喉を鳴らしながら綱吉の手に頭をなすりつけると、指先の緊張が解れていくのが感じられた。
「お前だって気になるよな。獄寺君がどこにいて、今、なにをしているのか」
ポン、ポン、と頭を撫でられたことが嬉しくて、獄寺はいっそう大きく喉を鳴らしながら、にゃあ! と鳴いた。
昼を少し過ぎた頃になってとうとう綱吉は自分の携帯を取り出して、再び先に初詣に出かけた仲間に連絡を取った。
ここまでせ待ったのだから、なにがなんでも獄寺と初詣をするのだと綱吉は言い張った。 誰も反対する者はいなかったが、すぐ近くで綱吉の言葉を聞いていた獄寺にとっては辛い言葉だった。
自分のせいで、綱吉がこんなに困ったような顔をしている。
ボンゴレ十代目をお守りし、支えるための右腕である自分のせいで、綱吉が困っているのだと思うと、どうにもいても立ってもいられなくなる。自分はいったいなんのために、右腕でいるのだ。こんなふうに綱吉を困らせたいがための願いではなかったはずだ。
「ぁおん!」
神経質そうに尻尾を左右に大きく振りながら、獄寺は綱吉の腹の辺りに頭を押しつけた。ぐいぐいと頭を寄せていくと、綱吉のにおいが鼻腔いっぱいに広がっていく。不謹慎にも、おおっぴらに綱吉に触れることができて幸せだと獄寺は思った。
綱吉はまだ、獄寺が猫の姿になってしまったことに気付かない。
すぐ目の前に、手を伸ばせば届くところにいるというのに。
あまりの焦れったさに獄寺は、なんども鳴き声を上げた。綱吉に気付いてほしくて、声を張り上げる。猫の声は喉に負担がかかるのか、繰り返し鳴き続けていると、そのうち声がひび割れてきた。心なしか喉も痛い。
「よしよし。お前も獄寺君がいなくて不安なんだろうな」
その言葉に、獄寺は不意に気付かされた。
自分は、十代目の右腕として充分に責任を果たせていない──と。
こんなのは願っていない。
自分は、十代目の側にいたいと言ったが、右腕としての責務を果たせないままに側にいることは望んではいない。
獄寺は窓の外へと視線を向けた。
月はもう、どこにもない。
かわりに太陽が、真っ青な空の天頂を少し過ぎたあたりにかかっている。
「にゃおぉん!」
声を張り上げると、喉が痛かった。
ひび割れた声に気付いたのか、綱吉が猫の姿をした獄寺をそっと腕に抱き上げる。
「お前も心配なんだよな、獄寺君のことが」
優しい声でそう言われ、獄寺はもぞもぞとするのをやめた。抱き上げられた腕の中でじっとすると、綱吉の顔を見上げる。
「大丈夫。獄寺君はちゃんと戻ってくるよ」
そう告げた綱吉の表情はどことなく厳しくて、冷たかった。
獄寺はもういちど、鳴いた。決して綱吉を心配させたくて、こんな願いをしたわけではないのだ。そう言いたくて、声を張り上げた。
「あおん」
掠れた声で鳴くと、不意に頭の中がスーッと暗くなっていく。
「獄寺君……」
不安そうな綱吉の呟きが、獄寺の耳にはっきりと聞こえる。
抱きしめられた獄寺は、頭に綱吉の唇が押しつけられる感触に気付いた。
綱吉に心配をかけさせてしまったことが悲しくて悔しくて、たまらない。こんなはずではなかったのだ。
いつまでも綱吉のお側にいるという獄寺の願いは、あくまでも右腕の自分でなければならないのだ。こんな……役に立たない猫の姿で側にいることを望んだわけではない。それとも、綱吉に好きだと言ってもらいたいと願ったことが悪かったのだろうか。そのせいで猫の姿になってしまったのだろうか。 薄れていく意識の中で獄寺は、ああでもない、こうでもないと言い訳じみたことを考えていた。
目を開けると、いつもの自分の部屋だった。
ベッドの中ではなく毛布にくるまっているものの、距離感や目線が低すぎるなどの異常はない。いつもとかわることのない同じ景色だ。
獄寺は安心して、ホッと息を吐き出した。自分が猫になったというあれは、夢だったのだ。
起きあがってベッドに近づくと、携帯が投げ出されたままになっていた。電源を入れると、すぐに画面が展開する。まだ電池切れにはなっていない。その直後に着信音がして、獄寺は慌てて電話に出た。
「はい……も、もしもしっ、獄寺です!」
勢い込んで名乗ると、受話器の向こうで小さく笑われたような気がする。
「おはよう、獄寺君。あの……」
喋り始めた受話器の向こうの人に、獄寺は満面の笑みを浮かべた。
「あ、あけましておめでとうございます、十代目!」
綱吉から電話がかかってきたことが嬉しくてたまらない。見えるはずもないというのに獄寺は、ニコニコと愛想のいい笑みを浮かべて受話器に喋りかける。
「おめでとう、獄寺君。あの、今日なんだけどさ、うちに集まって皆で初詣に行こうって話になったから、よかったら獄寺君も一緒に行かないかなー……なんて、思って、さ」
どことなく歯切れが悪いのは、綱吉のいつもの癖だ。彼は無意識のうちにだろうか、人の都合や感情を気にしながら喋ることがある。今もそうだ。なにか気になっていることでもあるのだろうか。 「ああ…はい、行きます、十代目と一緒に初詣に行けるのなら、地球の裏側からでも飛んで行きます」 新年早々からなんて幸先がいいのだろう。まさか綱吉のほうから誘ってもらえるとは思ってもいなかったと獄寺はガッツポーズをとりながら、受話器に耳を押し当てる。
「……それで、悪いけど十一時になったらうちに来てくれるかな?」
綱吉の家でお昼を食べてから、皆で並盛神社までお参りに行くのだと説明された。獄寺に異論はない。
二つ返事で同意をすると、通話を終わらせた。
いそいそと出かける用意をする獄寺は、幸せそうに鼻歌を歌っている。
自分の居場所はやはり、十代目である綱吉の右隣なのだと、そんなふうに思いながら獄寺は部屋を後にしたのだった。
END
(2010.01.02)
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