少し冷たい風を頬に感じながら、河原を自転車で走り抜けた。
空は青く、空気中には春の濃い香りが含まれている。土のにおい、新芽のにおい、花のにおいが入り混じった向かい風に顔を心持ちつきだして、風を肌で感じる。
風の冷たさを日差しが和らげてくれるのに綱吉はニコリと笑みを浮かべると、川べりに自転車をとめた。
等間隔に並ぶベンチには、のんびりとお喋りに興じる人や、ピクニックを楽しむ家族連れが集まっている。
しばらくキョロキョロとしてあたりを眺め回してから綱吉は、見知った顔ぶれの集団に大きく手を振った。
「ツナー!」
同じように手を振って、山本が声をあげた。
ビニールシートには、重箱がいくつかと、ペットボトルのジュースが何本か置いてある。ランボとイーピンが子どもらしく駆け回り、フゥ太は年長者らしく二人のためにジュースを用意している。ハルと京子が紙皿や割り箸を用意し、獄寺は苛々しながら煙草をふかしている。その隣で、京子の兄の了平がやけに熱心に話をしている。
自転車に跨り直すと綱吉は、砂利道の石ころに気を付けながら仲間のところへと向かって走り出す。
「おせぇぞ、ツナ」
黒いスーツ姿の赤ん坊に言われて、綱吉は決まり悪そうに苦笑した。
花見をしようと最初に言い出したのは、誰だったのだろう。
今となってはどうでもいいことだが、もしかしたら言いだしっぺはリボーンかもしれない。突拍子もないことを言い出したり、思い付きを口にしたりするのは得意中の得意だから、おそらくリボーンが言い出したのだろうと綱吉は思う。
既に集まっていた仲間たちから少し離れたところに自転車を置くと、綱吉は皆のほうへと小走りに駆けていく。
「ゴメンね、遅くなって」
声をかけると同時に、リボーンがひょい、と綱吉の頭に飛び乗った。
まだ少し早い春のにおいが、ふわんと綱吉の鼻先で漂う。
「せっかく来たのに、まだ蕾でしたね」
ジュースが入った紙コップを手渡して、ハルは言った。
「ああ……うん、そうだね」
ちらりと綱吉は、獄寺のほうへと視線を飛ばす。ランボと二人でなにやら言い争っているところを見ると、またつまらないことで張り合っているのだろう。
「花はまだ咲いてねーけど、このちらし寿司食おうぜ。気分だけでも花見に来た気になれっからさ」
そう言って山本が、重箱を差し出してくる。竹寿司のちらし寿司は、寿司飯がほんのり桜色をしている。うすい豆にたけのこ、しいたけ、高野豆腐などが混ざった上に、錦糸卵と海苔、花をかたどった生麩がパラリと撒かれている。
「わー、おいしそうだね」
京子が感嘆の声を上げるのに、山本は「そうだろ?」と、嬉しそうに笑った。今日のちらし寿司は、山本が朝から気合を入れて作ったものだと言う。
「ちょっと味見させてください」
重箱を覗き込んで、ハルが言う。
「じゃあ、少し早いけどお昼にしようよ」
綱吉がそう言うと、待ってましたとばかりに皆が集まってきた。
風は少し冷たかったが、楽しかった。
山本が持参したちらし寿司の他に、京子とハルがおにぎりを用意していた。卵焼きやミートボール、ソーセージの入った重箱や、ウサギの形に剥いたリンゴやカップケーキもある。
これで桜の花が咲いていたら完璧だったのにと、綱吉はおにぎりを頬張りながら思った。 まだ蕾だけの桜はどこか恥ずかしそうに見えないでもない。
ちらりと獄寺のほうを見遣ると、彼は不機嫌そうな表情ながらも必死になってちらし寿司を食べている。
「あ……」
綱吉の声に、目だけを動かして獄寺がちらと視線を向けた。
「獄寺君、ほっぺたにご飯粒がついてるよ」
こっそりと耳打ちをすると、指先でつんと頬をつついて桜色のご飯粒をとってやる。その瞬間、ぱあ、と獄寺の頬が赤くなった。
「え……?」
色白の顔がほんのりと染まり、まるで桜の花びらのように色付いている。
「わ、顔が真っ赤だよ、ハヤト兄」
目敏く見つけたフゥ太が、指を差して声をあげる。
「おお、本当だな」
紙コップを握りしめた了平の声に、皆の視線が獄寺へと集まってくる。
「こっ……これはっ……」
もごもごと獄寺が言い訳をしようとしている。
綱吉は立ち上がると獄寺の腕をぐい、と引っ張った。
「獄寺君、俺、お茶が飲みたくなったからコンビニまで一緒に行こう」
そう言うと綱吉は、まだ口の中で咀嚼を繰り返している獄寺を無理に立たせる。
「ほら、早く、早く」
綱吉がまくし立てる。
「お茶ならこっちにまだあるよ、ツナくん」
と、京子がペットボトルを差して言う。
「うん、でも俺、別のメーカーのが飲みたいから」
自分でも苦しい言い訳だとわかっていたが、そう言って綱吉は、獄寺の手を引いて川べりの道を駆けだしていた。
「ああ、待ってください、十代目!」
背後の獄寺が、片方靴が脱げかけた状態で小走りに追いかけてくる。
しばらく走って仲間たちから充分に離れたところで、綱吉は不意に立ち止まった。
二人とも、息が切れていた。
「十代目……あの……」
言いかけた獄寺に、綱吉はごめんねと声をかけた。
「さっき、俺が余計なことしたから……」
言いかける綱吉に、獄寺は照れ笑いを浮かべた。
「あれぐらい、なんでもないっスから」
驚いて顔が赤くなったのだと後寺は言った。目元がほんのりとピンク色を帯びて、綱吉にはそれがとても綺麗に見えたのだ。
「ごめんね、これからはあんなことはしないから」
そう言うと、獄寺は少しだけ残念そうな表情をした。
「さ、早くコンビニに行こう。帰りが遅いと、また皆にからかわれるから」
微かな苦笑を浮かべて綱吉は言った。
コクリと頷くと獄寺は、綱吉の後をついて歩きはじめる。
今度は綱吉は、ゆっくりと歩いた。手をさしのべて、獄寺にも手を伸ばすように小さく笑いかける。おずおずと差し出された指先を、綱吉はきゅっと握った。
前を向いて少しゆっくりと綱吉は道を歩いていく。
横顔を見らてしまわないだろうかと少し不安に思いながらも、ちらちらと獄寺のほうへと視線飛ばす。
恥ずかしかったが、獄寺も同じ気持ちだったらしい。ほんのりと頬をピンク色に染めて、黙って歩いている。
「今度は……」
少し掠れた声で、綱吉は小さく呟いた。
「え?」
聞こえなかったのか、獄寺が聞き返してくる。
「今度は、二人だけでこっそり来ようね、お花見」
そう言うと綱吉は、恥ずかしさを誤魔化すために歩く速度をほんの少しだけ早くした。
END
(2010.3.13)
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