忘れ物 2

  学校に戻るまで、誰にも会わなかった。
  そのおかげでずっと手を繋いでいられたからラッキーだと、綱吉は思った。
  並盛中の校門をくぐり、昇降口のところで獄寺と別れる。最初の案の通り、綱吉は教室へ、獄寺は図書室へと向かうことにした。
  上履きに履き替え、人気のない廊下を歩き進む。教室までの距離はそう長くはないはずなのに、一人で歩くとやたらと時間がかかるような気がする。
  教室のドアをガラリと開け、獄寺の机へと近付いた。
  携帯は、あるだろうか?
  机の中を覗いたが、何もなかった。すっからかんだ。几帳面な獄寺らしく、綺麗に片付いている。と、言うことは、彼は教科書やノートを毎日あの鞄に入れて持ち帰っているのだ。
  机の中に持ち帰り忘れたプリントやテストの答案用紙などがくしゃくしゃに丸まって入ったままになっている綱吉とは大違いだ。
「うーん、ここにはないな」
  呟いて、綱吉はふと顔を上げた。
  窓の向こうに見える空は、夕方の茜色をしていた。
  そう言えばもうこんな時間だったんだと綱吉が空の様子に見入っていると、バタバタと忙しない足音が聞こえてきた。
「十代目ー!」
  ガタガタと音を立てて獄寺はドアを開けた。
  くるりと振り返った綱吉は、獄寺のほうへと顔を向ける。
  手にした携帯をブンブンと振り回しながら、獄寺は教室へ駆け込んできた。
「十代目、ありました携帯! ほら!!」
  まるで小さな子どものように駆け寄ってくる獄寺に、綱吉は笑い返した。
「よかったね、獄寺君。どこにあったの?」
  尋ねると、獄寺は決まり悪そうに苦笑する。
「図書室の椅子の上に」
  鞄の中にしまってあったはずなのだが、教科書やノートを出し入れしているうちに鞄から飛び出したらしい。
「見つかってよかったね」
  綱吉が言うのに、満面に笑みを浮かべた獄寺は「はい!」と大きく頷いた。
  獄寺の、こういう素直なところが綱吉は気に入っている。
「じゃあ、遅くなったけど帰ろっか」
  そう言って綱吉は、自然な動きで手を差し伸べた。
「手、繋いでこ」
  獄寺はおずおずと手を差し出した。申し訳程度に綱吉の指先をちょこんと握り、それでも嬉しそうに隣に並んだ。
「ついでにうちで夕飯食べて行きなよ」
  手を繋いだら、なんだか別れがたくなってしまった。綱吉はちらりと獄寺の横顔に視線を走らせた。
「いや、でも……いいんですか?」
  遠慮がちに獄寺が尋ねる。
「いいよ。獄寺君一人ぐらい増えたって、母さん気にしないだろうから」
  そうでなければ、沢田家に居候があんなにゴロゴロしているわけがない。
「ね、早く帰ろう」
  獄寺の手をそっと引っ張って、綱吉は歩きはじめた。



  家に帰るとちょうど夕飯の用意ができたところだった。
  獄寺一人が増えたところで母の奈々が文句を言うはずもなく、いつもと変わらぬ賑やかな夕食となった。
  食事の後に宿題をするからと言って、綱吉は獄寺と二人で二階の部屋へ上がった。
  階段を上がる綱吉の耳に、気を利かしてくれた奈々がチビたちに、二階には上がらないようにと声をかけているのが聞こえてくる。
  ほんの少し、やましさを感じないわけでもなかった。
  宿題をすると言いながらも、獄寺と手を繋いだり……あわよくばキスしたり、することもあるかもしれない。そんなことを綱吉は、期待している。健全な中学生男子ならば当然だろう。
  獄寺を引き止めてまで宿題をするメリットは、そんなところだろう。
  宿題の量はたいしてなかった。わからないところは、獄寺の説明を聞きながらひとつひとつ問題を解いていく。
  やましさに対する引け目のようなものを感じていたからだろうか、それとも獄寺がすぐ側でこちらをじっと見ていたからだろうか、いつもより真面目に綱吉は問題に取り組んだ。
  あっという間に時間が過ぎ、綱吉の宿題が片付くとそろそろ獄寺の帰る時間になる。
  さすがに泊まっていくように声をかけることは躊躇われた。
  ひとつには、いくら恋人同士とはいえ、獄寺とはまだ手を握っただけでしかないからだ。何度か手を繋いではいるが、いつまで経ってもお互いに照れが抜けない。もっと自然に手を繋ぐことができればいいのにと、綱吉は思っている。
  もうひとつは、もっと時間をかけて親密になりたいからだ。早く次の段階へ進みたい、手を繋いだのだから次は相手の体を抱きしめて、せめてキスぐらいは……などと思う一方で、なんでもかんでも急いで進めるものでもないだろうと思う自分がいるからだ。もっとゆっくり時間をかけて、真の恋人同士になってもいいのではないかと思うのだ。
「それじゃ、十代目の宿題も片付いたことですし、俺はそろそろこれで……」
  殊勝な様子で獄寺が言うのに、綱吉は頷いた。
  寂しいけれど、これでいい。
  つきあっているとは言え、中学生の自分たちにはまだまだ色恋事は時期尚早なのだ。



  沢田家を後にする獄寺の後をついて、綱吉も家を出る。
「ちょっとそこまで獄寺君を送ってくるよ」
  そう言って居間へ声をかけると、奈々の間延びした声が返ってきた。
「いってらっしゃい、ツッくん。もう遅い時間だから気を付けるのよ」
  はーい、と返事をして綱吉は家を出た。
  獄寺と手を繋ぎ、道を歩く。
  人通りのない夜道だから、人目を気にしなくてもすむのがありがたい。
「今日はありがとうございました、十代目」
  獄寺がポソリと呟いた。
「え?」
「ほら、ケータイを探していただいたり、夕飯をご馳走になったりしたので……」
  そう獄寺が言うのに、綱吉は「ああ」と呟いた。
「そんなの。俺だって、獄寺君に宿題教えてもらったじゃんか」
  ところどころわからないところもあったが、一人で宿題をするよりはずっとはかどった。獄寺の教えかたはどことなく綱吉には馴染めない部分もある。それでも獄寺なりに綱吉のためを思って必死に教えてくれているのだと思うと、それだけで綱吉は嬉しくなる。
「それぐらい、十代目の右腕としては……」
  言いかけた獄寺の手をぐい、と引いて、綱吉は唇を尖らせた。
「違うだろ」
  握りしめた手にさらに力をこめ、綱吉は獄寺と向かい合った。
「そうじゃなくて、恋人同士だからじゃないの? 恋人だからとか、そーゆー言葉、獄寺君の口から聞いたことないんだけど、俺」
  二言目には、右腕、右腕、だ。
  いい加減にうんざりしてくるのだと、綱吉は吐き捨てた。



  可哀想なほどおろおろしてしまった獄寺の手を、綱吉はするりと離した。
  恋人同士なのに「右腕」と言われることの辛さに、獄寺に気付いてほしいと思わずにはいられない。
「俺、右腕よりも恋人の獄寺君のほうが欲しいよ」
  今は、恋人のほうがいい。
  手を繋いだり、キスするタイミングはどこだろうとチャンスをうかがう、そんなつきあいがいい。
  マフィアだとか、十代目だとか、そういうのとは少しでも離れていたいと思わずにはいられない。
「恋人……だけですか?」
  困ったように獄寺が尋ねてくる。
「え?」
  聞き返すと、眉間に深い皺を寄せた獄寺は、何事か考えているようだった。
「──…恋人としての価値しか、俺にはないって言うんスか、十代目は」
  そうじゃないのにと、綱吉は思った。
  そうではなくて、十代目と右腕という関係は獄寺にとってはもちろん大切なのだろうが、それよりも親友であったり恋人であったりするほうが大切なのだ、綱吉にとっては。そのことを、どうしたら獄寺に理解してもらえるのだろうか。
「ええと……」
  もごもごと口の中で呟くと、獄寺の顔がずい、と綱吉のほうへと近付いた。
  目の前の獄寺は、怒っているというよりも、どことなく悲しそうに見えないでもない。
「今は……そう、今は、恋人の獄寺君と一緒にいたい気分なんだ!」
  咄嗟に、そんな言葉が口をついて出た。
  綱吉の言葉を、獄寺はどう捉えたのだろう。
  言ってしまってから綱吉は、自分の言葉に照れを感じている。恥ずかしい。自分がまさかこんなことを言うとは思いもしなかった。そんなに獄寺のことが好きなのだろうか。それとも、ただ獄寺との性的なことに興味があるだけなのだろうか。
「あ…の……」
  獄寺君、と声をかけると、彼も照れたように微笑んだ。
「もう遅いから帰りますね、十代目」
  そう言って獄寺は、綱吉に背を向けた。
「獄寺君……」
  言わなければならないことがあるような気が、綱吉はした。
  しかし適切な言葉はひとつとして見付からなかった。



  とぼとぼと帰路を歩いた。
  一人で歩く道は寂しくて、悲しかった。
  いったいどうしたら、獄寺に自分の気持ちを理解してもらうことができるのだろうか。気持ちを伝えるというのは、なんと難しいことなのだろうか。
「ただいまー」
  玄関のドアを開けた綱吉は、投げやりに声をかけた。
  母の言葉は、耳を素通りしていった。
  のろのろと足を引きずって二階の自室へと向かうと、ドアをパタンと閉めた。
  今夜はもう、誰とも喋りたくなかった。
「はぁ……なんで俺って、いつもこんななんだろ」
  呟いて、綱吉はベッドにドシンと腰をおろした。
  先ほどの獄寺とのやりとりの中で、綱吉は自分が何かまずいことを言ってしまったのではないかと思っている。あの時、獄寺は何故、そのまま帰ってしまったのだろう。
  いつもなら……いつもの獄寺なら、あんなふうにして逃げ出すようなことはしなかったはずだ。きっと、綱吉にどこか悪いところがあったのだろう。
  はぁ、と溜息をつくと、天井を仰ぎ見る。そのままパタリと後ろへひっくり返ると、ベッドがギシ、と音を立てた。
  目を閉じると、眠気が襲ってくる。
  眠ってしまおう。
  もう、今日はこのまま眠ってしまえばいい。
  ごちゃごちゃした訳の分からないことは、また明日、考えればいいではないか。
  そう思って綱吉は、ゴロリと寝返りを打つ。
  視界の端に、見慣れないものが映る。ゲーム機ではないが、ゲーム機のようにコンパクトなあれは…──。
「あ!」
  ガバッと起きあがると、綱吉はベッドから降りた。
  部屋の隅に転がったままの携帯を拾い上げる。
  黒い折り畳み式の携帯は、獄寺がいつも手にしているものだ。夕方、図書室まで取りにいったはずなのに、今度は綱吉の部屋に忘れていくとは……。
「わざわざ取りに戻ったのに、今度は俺の部屋に忘れて行くなんて」
  そう呟くと、綱吉は携帯を手にしたまま、ベッドに転がった。
  明日の朝、獄寺が迎えに来た時に返してあげよう。そう思いながら綱吉は目を閉じた。



END
(2010.05.05)


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