夢見る十四歳

  手を繋いだらどんな感じがするのだろう。
  この人の手は柔かいだろうか、それとも堅いだろうか。あたたかいだろうか、それとも冷たいだろうか。
  そっと手を伸ばしかけたものの距離を縮めるだけの度胸はなくて、一度は伸ばしかけた手を獄寺はこそこそと引っ込めるしかなかった。
  はあ、と溜息をつくと、半歩前を歩く人の肩をじっと見つめる。
  ほんの少し手を伸ばせば、届く距離なのに。
  拳をぎゅっと握りしめてから獄寺は、その手を開く。手のひらを覗きこむと、皺が見えた。白い肌に、ダイナマイト扱う時についた火傷の跡や小さな擦り傷の跡がついている。
  この手を、彼は気に入ってくれるだろうか。
  いつか、手を繋いでくれるだろうか?
  立ち止まってじっと手の中を見つめていたら、先を歩いていた綱吉が立ち止まり、声をかけてきた。
「獄寺君、どうかした?」
  怪訝そうな顔に、獄寺はにこりと笑みを返す。
「いいえ、なにも」
  慌てて綱吉のほうへと、獄寺は小走りに駆け寄った。
「なにかあった?」
  尋ねられ、獄寺は「いいえ」と返した。本心からではなかったが、ここで気にかかっていることを口にしても仕方がないように思われた。
  自分と綱吉は、単なるボスと右腕の関係でしかないのだ。手を繋ぐような関係でもないし、ましてやそんなお願いをすることもはばかられる。自分は男で、綱吉も男。男同士で手を繋ぐなど、どう考えても気持ち悪いと言われるに決まっている。言わなくても、気持ち悪いと思われるだろう、普通は。
  はぁ、と溜息をつくと獄寺は、もたもたと綱吉の後をついて歩きだす。
  いつもの四つ角まではあっという間で、手を繋ぐどころか、後をついて歩くのが精一杯だった。



  綱吉のことが気になりだしたのは、つい最近のことだ。
  少し前に笹川京子と言葉を交わしていて、気づいてしまった。
  もしかしたら自分は、綱吉のことが好きなのではないか──と。
  自分の気持ちを何度も確かめた。しかし獄寺の胸の内にあるのは、綱吉のことが好きで好きでたまらない気持ちばかりだった。
  寝ても覚めても、綱吉のことを考えてしまう。
  これはもう重症だと、獄寺は思う。
  こんなにも好きなのに、言葉にして伝えることはできない。躊躇っているのは、綱吉も自分も男だからだろうか。それとも、ボスと右腕の関係だからだろうか。それとももっと他に、獄寺自身ですら気づいていないような原因があるのだろうか。
  そんなことをあれこれ考えた結果、いくら考えても自分の気持ちに間違いはないという結論に至った。好きだと、気持ちのベクトルは真っ直ぐに綱吉へと向かっている。
  自分の気持ちを認めてしまうと、次は綱吉に認めて欲しいという思いが沸いてきた。綱吉のことを好きな自分を見て欲しい、想いに気付いて欲しい、そしてあわよくば綱吉にも同じ気持ちになって欲しい……そんな考えが、頭の中いっぱいに広がった。
  もしそうなったら──現実に綱吉が自分のことを好きなってくれたなら、どんなにか幸せだろう。
  まるで夢でも見ているようなふわふわとした気持ちで歩いていると、不意に声をかけられた。
「……本当に大丈夫?」
  いつの間にか綱吉がすぐそばまでやってきて、獄寺の顔を覗きこんでいた。
  まだ幼さの残るあどけない顔が、すぐ獄寺の目の前にある。
「あっ、いや、そのっ……」
  みっともないぐらいにオロオロしながら獄寺は、四肢を振り回した。
「なんでもないっスから、本当に!」
  バタバタと両腕を振り回して獄寺が告げるのに、綱吉は怪訝そうな表情をしている。
「ちょっと考え事をしてただけっス」
  わざとらしいぐらい大げさに、獄寺は言った。



  手を繋ぎたいと思うのは、好きだからだ。
  ざわざわとする気持ちを押さえこむのは至難の業で、自分の気持ちを表現することがなかなか思うようにいかず、時には苛々することもあった。
  手を繋ぐ。
  ただそれだけのことだというのに、手を伸ばすことすら獄寺にはできない。
  こんな時に限って度胸はなくなるし、後ろ暗い気持ちになってしまうのはどうしてだろう。
  たったの一言、「手を繋ぎませんか」と口にすることができたなら。そうしたら、獄寺の気持ちはそれだけで満たされるはずなのに。
  肩を落として項垂れていると、綱吉の手が、不意に伸びてきた。
「熱でもあるんじゃないの?」
  そう言いながら綱吉は、獄寺の額に手を当てた。
「えっ、わ、あ……」
  バタバタと暴れようとする獄寺の肩を、綱吉はもう片方の手で軽く押さえる。
「動かないで」
  そう告げると、手のひらをぴたりと額に押しつけ、熱がないかどうかを確かめている。どことなく小難しい顔の綱吉は、真剣な眼差しで獄寺の眉間を見つめている。
「んー……ちょっと微熱っぽいような気もするけど……」
  呟いて綱吉は、獄寺の額から手を離した。
「うちに来て、晩ご飯食べて帰ったら?」
  一人暮らしをしている獄寺を気遣って、綱吉が告げる。
「いえ、あの、そんな……十代目にご迷惑が……」
  ぼそぼそと口の中で呟く獄寺に、綱吉は駄目だと首を横に振った。
「いいから、おいでよ」
  綱吉はいつになく素早い動きで獄寺の腕を取ると、ぐい、と引っ張った。
「じゅっ……十代目?」
「いいから、行くよ」
  そう言うと綱吉は、ぐいぐいと獄寺の手を引いて歩き出す。獄寺に気を遣っているのか、足取りはそう早くはない。それでも、掴んだ手は離してもらうことができない。
「十代目ぇ……」
  情けない声を獄寺が出すと、綱吉はちらりと振り返った。
「あ、ごめん。しんどい? もうちょっとゆっくり歩こうか?」
  尋ねられて、獄寺の心臓がドキン、と飛び上がる。
「いえ……いえいえ、そんな、滅相もない……」
  慌てる獄寺に、綱吉は心配そうに眉をひそめた。
「しんどかったら遠慮しないで言っていいからね」



  結局、綱吉の家に着くまで獄寺は手を離してもらうことができなかった。
  あんなにも手を繋ぎたいと望んでいたのに、こんなにも呆気なく想いが叶うと、欲が出てくる。
  獄寺の調子が悪いと勘違いして綱吉は手を繋いだだけかもしれないが、それでも嬉しいことにかわりはない。と、同時に、これまで、あんなにも悩んでいた自分が情けないやらみっともないやらで、どうにもやりきれない気持ちが獄寺の中に沸き上がってきた。
  本音を言うなら、もっとロマンチックなシーンで手を繋いでもらいたかったのだ、獄寺は。
  例えば……あくまでも例えばだが、夕暮れの四つ角近くで、そっと綱吉のほうから手を握ってきたりしたら……そしたら獄寺は、嬉しくて悶え死んでしまうかもしれない。そんなムーディな理想を持っていたのだ。
  なのに、調子が悪いと勘違いされた挙げ句、病人扱いで手を繋がれ……これでは、ムードなんてどこにもないではないかと獄寺は思う。時折、心配そうな眼差しで綱吉がちらちらと獄寺を横目で見てくるが、なんとなく罪悪感を感じてしまう。病気ではないのだ。単に、綱吉に手を繋いで欲しいと疚しい気持ちを抱いていただけなのだとも言うに言えなくなってしまったのは、獄寺に意気地がないからだ。
  はぁ、と深い溜息を零した途端、綱吉が立ち止まる。
「どうしたの、獄寺君。しんどい? あっ、もしかして歩くの早かった?」
  矢継ぎ早に綱吉に尋ねられ、獄寺は気まずい気持ちでせ首を横に振った。
  沢田家の家の前で、綱吉はようやく手を離してくれた。
  するりと離れていく瞬間、綱吉の指先がもどかしそうに獄寺の指先をさっと掠めた。離れがたい気持ちを指先に代弁させているかのように感じられる。
「しんどいなら、俺の部屋で休んでていいよ。夕飯ができたら、呼んであげるからさ」
  そう告げる綱吉は、どことなく嬉しそうだ。学校が終わってようやく家に辿り着いたのだから、当然だろう。母親の手料理は美味いし、嬉しいに決まっている。
「さ、入って」
  そう言うと綱吉は、獄寺の後ろに周り、背中をそっと押した。
  もたもたと玄関のドアの向こうに獄寺は足を踏み入れた。



「ただいま、母さん」
  玄関先からキッチンへと、綱吉は声を張り上げた。
「お帰りなさい、ツッくん」
  声に反応したのか、ちらりと綱吉の母が顔を出した。いつものようにニコニコと優しげな笑みを浮かべている。
「あら。いらっしゃい、獄寺君。今日のお夕飯、ハンバーグなんだけど獄寺君も一緒に食べていかない?」
  綱吉が何も言わないうちから奈々はそう言って、また顔を引っ込める。キッチンからいいにおいがしてくるのを考えると、ちょうど今まさに、夕飯の支度をしているところなのだろう。
「あ、母さん。獄寺君、調子が悪いみたいなんだ。今日、泊まってってもらってもいいだろ?」
  奈々の消えたキッチンに向かって綱吉が声をかけると、声だけがかえってきた。
「まあ。そうね、泊まっていってもらったほうがいいわね。じゃあ、ツッくん、後でいいからお布団と着替え用意してあげてね」
  はーい、と返して綱吉は獄寺の手を取った。
「ほら、早くあがって。調子悪いんだから、さっさと休んだほうがいいよ」
  急かされるようにして獄寺は、綱吉の部屋に連れて行かれた。
  散らかった部屋の床をさっと片付けるまでの間、獄寺にベッドで寝ているようにと告げた。
  調子が悪いのではないのだと、獄寺は何度も告げようとした。
  そうではなくて、ただ単に綱吉に手を繋いで欲しかっただけなのだ。手を繋いでもらったらもらったで、さらに欲が出てきた。それだけのことなのだ。
  なのに、正直に告げることができない。
  綱吉のにおいがするベッドに潜り込むと獄寺は、はあぁ、と溜息をついた。
  肩口までしっかりケットを引き上げられた獄寺に、綱吉がしばらく眠るようにと言ってきた。
「夕飯の時間になったら教えてあげるから、それまで寝てなよ」
  綱吉の手が伸びてきたかと思うと、額にかかる獄寺の前髪をすっと指で梳いた。
  獄寺が何か言い返そうと口を開いた途端、綱吉の指が、唇をやんわりと押さえた。
「黙って寝てること」
  少し厳しい綱吉の声に、獄寺は観念して目を閉じた。



END
(2010.5.29)


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