目を開けると、隣には誰もいなかった。
シーツの窪みから、そしてほんのりと残るあたたかさに、目が覚める少し前まで綱吉隣が眠っていたことがわかる。
獄寺は小さく溜め息をつくと、寝返りをうち、天井を見上げた。
夕べはあんなにも親密だったというのに。肌と肌をピタリと合わせ、ひとつに繋がっていたというのに、今、彼はこの部屋のどこにもいない。
せっかくのクリスマスイブだから、朝まで一緒にいてもらえるのではないかと獄寺は少しだけ期待していた。
そう、ほんの少しだけ。
はあぁ、ともうひとつ、溜め息をつく。
同じ屋敷で生活をしているというのに、任務の関係で夕べは十日ぶりの逢瀬だった。時間ができたからと綱吉のほうから尋ねてきたのだ。調べものの最中だった獄寺だが、なにもかも放り出して綱吉の訪問を喜んだ。お互い、廊下ですれ違いざまに視線をちらりと交わしたり、短い報告の時間に言葉の端々に親密な意味を織り込んだり……そんなことを続けていたが、それだけでは足りないことはわかりきっていた。二人とも、相手を渇望していた。
だから夕べは、なにも考えずに抱き合った。そこには理性などなかった。本能のままに相手を求め、自分を満たすことだけしか二人とも考えてはいなかったように思う。
それにしてもと、獄寺は思った。
忙しい恋人は、もう出かけてしまったのだろうか。
昔はなにをするにも一緒だったが、大人になった今は事情が異なる。それぞれにやることを抱え、すれ違う日々も増えた。一緒に休暇をとろうと思っても、なかなか日を合わすこともできず、声をききたくてもおいそれと電話することもできない、そんな状況が繰り返されている。
会いたい気持は常にある。
だけどそれだけでは思い通りにならないのが大人の世界というものだ。一緒にいたいと思いながら、別々に行動をせざるを得ないことは多すぎて、数え切れないほどだ。
はあ、ともうひとつ、大きな溜め息をついてから、獄寺はベッドから降りた。
下着だけを身につけると、床に投げ出したままになっていた服を手に取り、拾い集める。先に起きだした綱吉の服が脱ぎ捨てたまま残っているということは、よほど急いでいたのだろうか。
サイドボードの時計を見ると、朝の六時前だった。獄寺の勤務時間までまだ少し時間がある。
かき集めた服を脱衣所のカゴに放り込むと、獄寺はシャワールームのドアを開けた。
任務の合間に綱吉から連絡があった。
たまたま獄寺は、移動中の車の中だった。運転をする部下をフロントミラーごしにちらりと見遣ってから、胸ポケットから携帯を取り出す。
着信の相手は綱吉だった。
滅多なことでは私的な連絡はしてこないはずの綱吉がわざわざ任務中に連絡を入れてくるとはと、いぶかしく思いながらも獄寺は携帯電話の通話ボタンを押した。
「もしもし?」
途端に、騒がしい声が耳に聞こえてくる。
ぎょっとして携帯を手から離しそうになる。
『遅いぞ、獄寺。ナニしてんだよ』
脳天気な山本の声が耳に痛い。その向こう、背後の騒音はもっとうるさそうだ。わー、とか、きゃー、とか、騒がしいことこの上ない。
苛っとして通話ボタンをオフにしようとしたところで、控え目な声が聞こえてきた。
『獄寺君、クリスマスパーティは夕方七時からだから、間に合うように……』
そこでプツ、と音が途切れた。
かけてきた時同様、唐突に通話を切られてしまったらしい。
しばらくの間、獄寺は呆然と手にした携帯を見つめていた。
「どうかしたんですか?」
部下の声が、どこか遠いところから響いてくるようだ。
「ああ……いや、なんでもない」
屋敷に戻れば、とりあえず任務は終わりになる。
獄寺は眉間に皺を寄せると、なんの罪もない部下を睨みつける。
「屋敷に戻れば任務完了だ。急げ」
八つ当たりだということはわかっていたが、言わずにいられなかった。
車を運転していた部下のおかげで、予定よりも早い時間に獄寺は屋敷に到着することができた。
早々に報告書を完成させ、いつもより少し早い時間に仕事をあがると獄寺は、自分の部屋に戻った。
もうすぐ綱吉に会えるのだと思うと、胸の隅っこがうずうずとする。
こうして自分に余裕ができてくると、車を運転していた部下には悪いことをしてしまったと思わずにはいられない。車内で着信を受けた時には、綱吉と一緒にいられないことが悔しくて、関係のない部下に八つ当たりをするなどといった子供じみた真似をしてしまった。次に顔を合わせた時には、それとなくくだんの部下にフォローを入れておこうと獄寺は頭の隅に書き留める。
時間をかけてシャワーを浴びると、クロゼットの中からパーティのための衣装を選び出す。てかりのある黒いシャツと淡いクリーム色のスーツ、同色のネクタイを選び出し、素早く袖を通した。鏡の前で髪を整え、手櫛でさっと前髪を梳く。
鏡の向こうから、目つきの厳しい男がじっとこちらを睨みつけている。
両手で頬をパン、パン、と叩くと、獄寺はふう、と息を吐き出した。
笑顔だ、笑顔。眉間に皺を刻んだままパーティに出ると、綱吉が心配する。獄寺は胸の中で自分にそう言い聞かせると、口元にニヤリと笑みを浮かべた。ふてぶてしい笑みだが、眉間に皺よりははるかにマシなように思われた。
用意がととのったところで時計を見ると、六時半を過ぎていた。
パーティは七時からだ。今夜は内輪だけで集まると聞いているが、どの程度の集まりなのだろう。自分がなにも知らされていないことに気づき、獄寺はまたもや苛っとする。
せっかく眉間の皺が消えていたのに、今のでまたしても眉間に皺が刻まれる。
舌打ちをすると獄寺は、鏡の中の男を睨みつけた。
じっとしていると、ドアをノックする音が聞こえてくる。
「はい」
ぶっきらぼうに返事をしてドアを開けると、廊下には綱吉がいた。
悪戯っぽく榛色の目を輝かせて、綱吉はまっすぐに獄寺を見つめていた。
「お疲れ様、獄寺君」
そう言った綱吉の唇が、素早く獄寺の唇を掠め取っていく。
「あ……」
呆然と獄寺は、綱吉を見つめている。
いきなりキスをされるだろうとは思ってもいなかった。されるとわかっていたら……。
「ちょ、十代目……」
頭の中が一瞬で真っ白になっていく。獄寺は口をパクパクさせて、みっともなくその場に立ち尽くしている。ふわりと鼻先に漂ったのは、甘ったるいアルコールの香りだ。きっと、先に集まってきた面々と飲んでいたのだろう。
「そろそろかなと思って、迎えにきたんだ」
いつもは獄寺が綱吉のことを迎えにくることが多いから、たまにはと迎えにきてみたのだ、と。そう、綱吉は告げた。
「……ありがとうございます」
獄寺がボソボソと告げると、綱吉は笑った。
「さあ、行こうか。皆、獄寺君を待ってるよ」
いつもよりにこやかで饒舌な綱吉は、もしかしたら少しばかり酔っているのかもしれない。手首を掴まれ、獄寺はおとなしく綱吉の後をついて部屋を出た。
廊下の向こうから、大広間のざわめきが聞こえてくるようだ。
立ち止まり、綱吉はちらりと獄寺に視線を送る。
「どうしたんスか?」
怪訝そうに獄寺が尋ねると、綱吉は小さく笑って首を横に振った。
逃げられないように綱吉に腕を掴まれたまま、広間へと獄寺は連れて行かれた。
ほとんどのメンバーがすでに大広間には集まっている。
見知った顔、馴染みの顔、あまり見たくはない顔と、様々だ。
「獄寺君が来たよ!」
言いながら綱吉は、広間へと足を踏み入れる。
「おせぇよ、獄寺!」
ケタケタと笑いながら山本が焼酎をラッパ飲みしている。他の連中も似たり寄ったりだ。飲んでいるか、そうでない者は食べてお喋りに興じているか、だ。
「うわっ、お兄さん、もう出来上がってる……」
隣で小さく呟いた綱吉の声につられて獄寺がひょいと視線を向こうにやると、笹川了平が真っ赤な顔をしてフゥ太相手に何やらとうとうと語っている。
腕を掴んでいた綱吉も、会場の空気にあてられたのか、ほんのりと目元が赤い。山本から受け取った焼酎をぐい、と煽り飲んだ綱吉は、ふう、と息を吐いた。
それからなにかを思い出したのだろうか、綱吉は獄寺の耳に口を寄せてくる。酒臭い吐息に、獄寺は苦笑いを浮かべる。
「──…宿り木の下でキスしなきゃね」
「なっ……?」
返す言葉もないままに獄寺は、広間の隅の入り口に設置された宿り木の下へと引きずっていかれた。
「十代目、あの……」
言いかけた獄寺の頬に、綱吉の唇が押し当てられた。
「恋人同士は宿り木の下でキスをするって、知ってた?」
獄寺を見つめる榛の瞳が、悪戯っぽく輝いている。
酔っているのだろうかと訝しんでいると、綱吉はフッと口元にやわらかな笑みを浮かべた。
「メリークリスマス、隼人」
低い声でそう呟くと、綱吉は今度は獄寺の唇に自分の唇を押し当てた。
チュ、と音がして、唇が離れていく。
「ん、なっ……」
皆の前でなんてことをと、獄寺は言いかけた。
すぐに綱吉の指が獄寺の唇を押さえてくる。
「大丈夫だよ。皆、自分たちのことに夢中でオレたちのことなんて気にしてないって」
確かに、そのとおりだった。ぐるりと会場を見回しても、素面なのは獄寺ぐらいのものではないかと思われた。皆、それぞれに飲んだり食べたり騒いだりすることに夢中で、自分たちのことなど気にもしていない。
隣にいる綱吉をちらりと盗み見ると、彼は楽しそうに笑みを浮かべていた。
END
(2010.12.20)
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