もうひとつのOMERTA

  テーブルに頬杖をついた獄寺は、はあ、と溜息をつく。
  手にしたビールを傾けてみても、中にはもう一滴もアルコールは残っていない。
「飲み過ぎなのな、獄寺ぁー」
  向かいの席についた山本がヘラヘラと楽しそうに笑う。
  仕方なく獄寺は、つまみがわりの竹寿司の寿司を口に運ぶ。イクラ、ウニ、トロ……。たまの休暇だからと山本と二人で竹寿司までやってきたのが間違っていたのかもしれない。夕飯代わりに山本の父親の寿司屋で寿司をごちそうになり、どうでもいいような会話を先ほどからポツリポツリと交わしている。
  二人とも、既にビールを何本か空けていた。久しぶりの酒に、いつもより早いピッチで酔いが回りかけている。
「ツナとナニかあっただろ、獄寺」
  ニヤニヤと笑いながら山本が尋ねてくる。単刀直入にズバリと訊かれ、獄寺は軽く咽せこんだ。ドン、ドン、と拳骨で胸のあたりを叩いていると、山本がビールをすかさず手渡してくる。咽せながらも獄寺はなんとかグラスを手にし、慌てて水のようにあおり飲んだ。
  落ち着いてきた頃を見計らって山本は、テーブル越しに身を乗り出してくる。
「で、実際どうなんだよ」
  仲間にも獄寺と綱吉とのつき合いは秘密だ。後ろめたさから隠しているのではない。綱吉の立場を思えば、隠すことがベストだと獄寺が判断をした。しかしそれでも気づく者はいつの時にもいるようで、山本はその少ない秘密の共有者でもあった。
「別に」
  そっぽを向いて獄寺が返すと、山本は「ふーん」と、面白そうに目を輝かせて獄寺を見つめてくる。
  獄寺が嘘をついていることなど、山本にはお見通しなのだ。十年来のつき合い、侮るなかれ、だ。
「で? ナニが不満なんだ?」
  わかったような顔をして、山本は獄寺の顔を覗き込む。
  しかし、自分でもこの不安の原因がわかっていないのだから、話せるはずがない。
  わかっていることと言えば、今夜は綱吉が急用で並盛にはいないということだけだ。だから獄寺は、たまにはと山本を誘って食事に出かけた。それだけのことだ。
「だーかーら、なにも不満はねえ、っつってるだろ!」
  虚勢を張った獄寺は、ぐい、とまた新しいビールを飲む。
「嘘つけ。お前がそんな表情してる時ってのはさ、いっつもツナのことで悩んでんだぜ」
  ポツリと呟いて山本も、ビールをぐい、と飲む。
  獄寺は、山本の言葉には聞こえないふりをした。
  耳を傾けてしまったら最後、自分の弱い部分から堤防が決壊して、弱さがさらけだされていくに決まっている。山本相手にそんな弱ったところを見せるほど、獄寺のプライドは落ちぶれてはいない。
  甘エビ、タコ、カニと、次々と獄寺は平らげていく。
  食べるか飲むかしていなければ、山本に余計なことを喋ってしまいそうだった。
  酔いすぎたかもしれない。こんな時は誰でも弱くなるはずだ。弱くなった状態で山本と余計なことを喋りたくはない。喋ればきっと、人の機微に聡い山本のことだから、気づかれてしまうだろう。獄寺の不安な心を。
  それはそれで、いいのかもしれない。
  なにしろ山本は、獄寺が綱吉と恋人同士であることを知る数少ない人間だから。
  しかし、心の不安までは知られたくない。
  そこまで山本に踏み込まれるようなことにはなってほしくないと獄寺は思っている。
  情けをかけられるのはご免だ。ましてや同情など、獄寺は欲しくはない。
  ちらりと上目遣いに向かいの席の山本を見ると、彼はうまそうに寿司を口にしているところだった。
「ほら、どんどん食えよ、獄寺!」
  視線に気づいた山本が、獄寺の目の前の皿を指差して言う。
「あ、ああ……」
  頷いて獄寺は、今度は穴子に手を伸ばす。
  珍しく諦めのいい山本に首を傾げつつ、獄寺は寿司を平らげていく。それからビールをもう二、三杯ほど空にして、二人は帰路についたのだった。



  久しぶりに並盛の道を歩いた。
  子どものころに仲間たちと歩いた道は、今では車で移動するばかりでゆっくり目を向ける暇もない。
  夜空の下でのんびりと歩を進めながら、二人はあたりの景色に視線を馳せた。
  ところどころかわっているところもあるが、基本的に街並みは昔とあまりかわらないような気がする。いや、違う。知っているからだ。この街に生きてきて、綱吉と共に風景の変遷を見てきたからそんなふうに思えるのだろう。
  この道を、綱吉と歩きたかったと獄寺は思う。
  今、山本ではなく、綱吉が隣にいてくれたならと思わずにいられない。
  はあ、と溜息をつくと、少し前を歩いていた山本が振り返って、笑った。
「な、獄寺」
  笑っているのに目は、笑っていなかった。
  真っ直ぐに獄寺を見据える瞳は、いつになく真剣だ。
「オレにしとけよ。そしたらお前、こんなに悩むこともないんじゃね?」
「はあ?」
  なんの冗談かと思った。山本の口から、こんな言葉が飛び出してくるとはよもや思いもしなかった。
  獄寺は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「なんでテメェなんだよ、バーカ」
  同情されているのだろうか? うかがうように山本の目を覗き込むが、獄寺にはよくわからない。
「ツナになにかあるたび、そうやって気もそぞろになってるお前を見てるのが歯痒いんだよ。ツナは親友だけどな、オレだったらお前を、そんなふうに不安にさせたりはしねえぜ?」
  酔っているなと、獄寺は頭の隅でぼんやりと思った。
  山本は酔っている。自分もだ。酔っぱらいの口にすることなど、信用できるはずがない。
  だいたい、山本は綱吉の親友ではないか。その親友の恋人を横からかっさらっていくような真似を、山本がするだろうか?
「酔っぱらいが偉そうにフいてんじゃねーよ」
  そう言うと獄寺は、スタスタと歩きだす。
  スーッと酔いが醒めていくのが感じられ、同時に気分がむしゃくしゃしてくる。こんな野球バカに説教をされるとは、自分も落ちぶれたものだと奥歯を噛み締める。
  山本の目の前を通り過ぎようとしたところで、ぐい、と腕を引かれた。
「ちょ、おまっ……ナニしやがるんだ!」
  反射的に声を荒げた瞬間、山本の腕がぐい、と獄寺の身体を羽交い締めにしようと背中に回される。
  慌てて身を捩ると、大きな手が獄寺の頬をがっしと捕らえた。唇が近づいてくる。
「オレ、キスはなかなかなんだぜ?」
  そう言って片目を軽く瞑ってみせた山本の腹に、獄寺は力いっぱい拳を叩き込んだ。
「こんなところで盛ってんじゃねーよ、野球バカ」
  今まで山本は、自分のことをどう見ていたのだろうかと、急に心配になってくる。同じ仲間、守護者として、友人として、自分のことを見てくれていたのではなかったのだろうか? そうでないなら、獄寺のことを山本は、どう見ていたのだ? あまり考えたくはなかったが、仲間としてではなく、綱吉の男の愛人──とでも思われていたのだろうか?
「今夜のことはなかったことにしといてやる。俺もお前も、酔ってたんだ。一晩ぐっすり眠って、忘れちまえ」
  道ばたに腹を抱えてうずくまる山本の足下に唾を吐き捨て、獄寺はスタスタと歩きだした。
  綱吉のことで不安になってはいるが、原因はちゃんとわかっている。
  山本になど口を挟ませてしまった自分の未熟さを反省しなければと、獄寺は足音も荒く歩き続けた。部屋に戻ろうにも、怒りで頭がカッカして、戻る気にもなれない。
  歩きながら獄寺は、唇に手を押し当てる。
  唇が震えていた。
  他の誰かにキスなんてしないで欲しいと強請った十年前の自分の台詞が、ふと頭の中に浮かんでくる。
  ──他のヤツに、キスしちゃダメっスよ、十代目。
  並盛山へ向かうと獄寺は、展望台の小さな東屋に足を踏み入れた。いかにも手作り風ですといった感じの丸太を縦半分に切っただけのベンチの隅に腰をおろすと、膝を抱える。
  唇を押さえたまま身じろぎもせず獄寺は、交互に込み上げてくる怒りと嗚咽を堪えて過ごした。
  もしかしたら、危うくキスされるところだったのだろうかと気づいたのは、酔いも醒め、すっかりあたりが明るくなってからのことだった。



END
(2011.7.28)


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