ありふれた……

  体の芯まで凍えてしまいそうな冷たい風が、頬をなぞっていく。
  はあ、と息を吐き出す。薄暗がりの中なのでよくわからないが、吐き出す息は白く見えたような気がした。
「もう少しですよ、十代目」
  先を歩く獄寺が振り返って声をかけてくる。吐く息は荒い。山道を歩き続けているのだから当然だ。
「……うん」
  息も切れ切れに返事をして、綱吉は目の前を進む背中を追いかける。
  ちらりと視線を逸らすと、山の向こうがうっすらと明るんできていた。もうすぐ夜明けだと思うと、自然と足取りが急いてくる。歩きながら綱吉は、今しがた自分が登ってきた山道を振り返ってみる。白んできた景色の中に、剥き出しの岩肌が浮かび上がる。ゴロゴロとした岩が点在する斜面を、たった今、二人して登ってきたのだ。
  風は冷たいし、息は切れるし、汗だくだしで、いい加減に山頂についてほしいものだと思わずにはいられない。
「もうすぐ山頂っスね」
  荒い息を吐きながら、獄寺が告げる。
  前方を見ると、山道の先、切り立った崖の向こうに展望台らしき東屋の屋根が見えた。
「ああ、本当だ」
  ほうっ、と綱吉は溜息をついた。
  もうすぐ山頂だと思うと、俄然やる気が出てくる。
  目の前の背中を追いかけるつもりで、綱吉は足を動かし続けた。



  朝日を見たくて、獄寺と並盛山に登った。
  前夜、日付がかわるの少し前からカウントダウンをして皆で新年を祝った。
  それだけでは物足りないと言ったのは、獄寺だ。
  皆で新年を祝うのもいいけれど、二人きりで新年を祝いたいと、獄寺は呟いた。だから綱吉は、二人して並盛山で朝日を見ようと思ったのだ。
  カウントダウンの後、二人は綱吉の部屋で時間を過ごした。ゲームをしたり、ウトウトとしたり。そうして、夜が明ける少し前にこっそりと家を出ると、二人して並盛山を目指した。
  夜明け前の風は冷たくて、肌に突き刺さるようだった。
  ダウンジャケットのポケットに使い捨てカイロを入れておいて正解だったと綱吉は思ったものだ。しかし山道を歩きだしてすぐに、暑くなってきた。頬に当たる風は冷たいのに、ジャケットの中では体温があがり、いつのまにか汗だくになっていた。前を開けると汗でむわっとしていた。
  それから二人して山道を歩いた。最初のうちは喋るだけの元気があったが、そのうちに道は険しくなり、歩くことで精一杯になった。黙々と歩き続けているうちに、あたりが白んでくる。家を出た時にはまだ真っ暗だった夜空が次第に薄くなり、灰色へとかわっていく。それからぼんやりとした淡いピンクやオレンジ色が夜の色に混ざりだし、あたりが明るんできた。
  夜明けはもうすぐだ。
  展望台を目指して二人は、歩き続けた。喋るだけの元気もなく、たとえ体力に余裕があったとしても今は、何故だかわからないが喋ることが躊躇われた。
  はあ、と息を吐き出すと、息は白かった。
  歩き続けているからあたたかいように思うが、やはり気温は低いのだ。
「……十代目!」
  不意に獄寺が声をあげた。
  崖を回り込むようにして急な勾配が続く向こうに、展望台へとあがる階段が見えた。
「ついた……?」
  綱吉が呟くのに、獄寺は大きく笑みを浮かべた。
「朝日が昇っちまいますよ、十代目」



  展望台から見た朝日はきれいだった。
  雲の隙間から溢れ出す靄のように微かで頼りない光がゆっくりとあたりに広がっていき、幾筋もの光が降り注いだ。やがてそれらは天と地を繋ぐ柱となり、世界を包み込んでいく。
  やわらかな光の色に、二人はしばし見とれていた。
  灰色だった空の色がしだいに薄く色づいてきて、薄青へと変化する様を眺めていると、溜息が零れそうになる。
「……きれいだね」
  呟いて綱吉が身じろぐと、右肩に獄寺の肩があたった。
「来年も再来年も……ずっと、十代目と一緒に朝日を見たいっス」
  うっとりと獄寺が言った。
  綱吉は黙って頷いた。
  しばらくそうやって二人きりで朝日を眺めてから、持ってきたココアを飲んだ。汗が引いてひんやりと体温の下がってきた身体には、母の用意してくれたあたたかなココアが嬉しかった。
  ひんやりとした風の中で二人は、今年初めての朝日を見つめていた。
  たなびく雲はほんのりと朱が差したように赤みがかって、どこかしら恥ずかしそうに見える。
  二人で見た朝日は美しく、濁りのないオレンジ色は目に鮮やかで、とてもきれいだった。



  山を下りると、人々はすでに起き出していた。
  初詣に出かける人たちを横目に、二人はそそくさと綱吉の家へと戻った。
  ドアをあけると中から漂ってくる雑煮のにおいに、腹の虫が騒ぎ出す。
「ただいま!」
  玄関口で綱吉が声をかけると、居間にはすでに皆が揃っていた。母とビアンキ、リボーン、それにフゥ太とランボ、イーピンだ。
「遅いぞ、ツナ」
  リボーンが舌足らずな声で不服を述べ、ランボはお腹がすいたと騒ぎ立てている。
「わ、遅くなった? ごめん」
  慌てて獄寺と二人して居間に駆け込んだ。
「お帰りなさい、ツッ君、獄寺君」
  母の奈々は、楽しそうだ。
「お雑煮食べたら母さんたち初詣に出かけるけど、お留守番頼めるかしら?」
  初詣なら、獄寺と二人で並盛山に登るついでにすませてきた。まだ暗い境内にあがって、お願い事をしてきたのだ。綱吉は頷いた。
「いいよ。オレも獄寺君も、とっくにお参りすませてきたし」
  お節料理に箸をつけながら、綱吉は言った。
  皆が出かけている間に獄寺と二人きりで過ごせるなんて、新年早々、自分はなんてラッキーなんだろうとこっそりと思う。
  二人で並んで朝日を見たら、一気に気分が盛り上がってしまったのだ。お節を食べたら、部屋でしばらくはのんびりとしたいものだ。
「じゃあ、皆で初詣に行ってくるから、お留守番お願いね」
  母の言葉に綱吉は、力いっぱい頷いた。



  家族揃って新年の挨拶を交わした後で、お節料理とお雑煮に舌鼓を打った。ブリの照り焼きは甘辛くて、やさしい味がした。お子様なちびっ子たちに人気なのは、栗きんとんだった。甘い、甘い栗の味に、ホロホロと笑みが零れる。
  お正月だからとお屠蘇も一口いただいた。子どもたちにはこっちと、母に渡されたお屠蘇は漢方薬くささのあまりしない甘いみりん味のものだった。母やビアンキのお屠蘇は日本酒で作っているらしく、漢方薬の独特のにおいがいっそうきつく感じられた。
  帰宅してすぐに着替えさせられた着物の帯が苦しくなるまで料理を食べた。綱吉はほんのりと赤味がかった墨色の、獄寺は瞳の色によく似た薄青の着物だ。二人とも男前だと母は言ってくれた。馬子にも衣装だと言ったのは、リボーンだったかビアンキだったか。
  母やリボーンたちが初詣に出かけた後の家は、獄寺と二人きりだ。
  静かで、穏やかで。いつもと違う種類の空気が流れているような感じがする。
「──ヒマ?」
  尋ねると、すぐに声が返ってくる。
「そんなことないっスよ」
  嬉しそうな獄寺の声に、綱吉もつられて顔をほころばせた。
  二人いっしょにいられるだけで、楽しくなってくる。お屠蘇にお酒は入っていないはずだが、ホロ酔い気分というのはこんな感じなのだろうか。胸の奥底からあたたかいものがじわりと滲んできて、ふわふわとた気分になることを言うのだろうか。
  着物姿でミニテーブルを挟んで、まるでお見合いの席の二人のように畏まっては時々、見つめ合う。
  そんなふうにして、元旦の日はゆっくりと過ぎていった。



(2010.12.26)



BACK