泣きそな夜

  夢の中でも綱吉は、綱吉だった。
  獄寺の崇拝する綱吉は、小市民的で気さくで人当たりがいい。男惚れして一生この人について行こうと思ったのは、獄寺がまだ日本に来たばかりの頃のことだ。
  綱吉の内に秘めた強さや、滅多に表に出すことのない一本筋の通ったところが好きだと思った。この人となら、共に生きてみたいと思った。
  そのうちに想いが高じて男女の恋愛感情と同じ感情を持つようになった。
  一人の人間として獄寺は、綱吉のことを好きになった。
  獄寺が綱吉とつき合っていることを知っているのは、せいぜい山本とリボーン、それにディーノあたりだろうか。他の連中には悟られないように気をつけてきた。
  綱吉のことだからきっと、男同士でつき合っていることが他人にバレたらとんでもなく慌てることだろう。常識だとかモラルだとか、そういったことを気にする人だからこそ、自分は好きになったのだろうと獄寺は思う。
  告白をして、恋人としてつき合うようになったのは少し前のことだ。
  綱吉のことが好きで好きで、たまらない。どうしようもないぐらいに胸が痛むのは、綱吉が好きだからだ。恥ずかしいぐらいに女々しい自分がいて、そのくせそれが、やたらと心地よい。もしかしたら綱吉のことを想っている自分に酔っているのかもしれない。
  その綱吉から、放課後、屋上へ来るようにと告げられた。
  喜び勇んで屋上へ向かうと、既に綱吉が隅っこのフェンスのところでじっとグラウンドを見下ろしていた。
「十代目?」
  声をかけると、綱吉が振り返る。
  夕日が綱吉の背後から照りつけてきて、獄寺には彼の表情があまりよく見えない。
「遅かったね、獄寺君」
  どこかよそよそしい雰囲気の綱吉は、硬い声でそう言った。
「すっ……すんません、十代目。俺、今週掃除当番らしくって、掃除してたんス……」
  掃除なんかほっぽり出して、ここへ来たいと思っていたのだ。それなのに、あの忌々しい黒川花に引き止められ、箒を手に握らされてしまったのが運の尽きだった。
  掃除が終わり、ようやく綱吉に会えるのだと思うとそれだけで獄寺の胸はドキドキと高鳴った。
  それなのに、と、獄寺は思う。
  綱吉の態度がどこかおかしいのだ。
  いつもと違うのは、夕日を受けて綱吉の表情がはっきりと見えないからだろうか? それとも、声のトーンがどことなく低く感じられるからだろうか?
「なにかありましたか、十代目?」
  悩み事でもあるのだろうか?
  気持ちの優しい人だから、綱吉は些細なことで思い煩うことがあった。なにかまた、綱吉の手に余るようなことが出てきたのだろうか?
  そんなことを思っていたら、いつの間にか綱吉がすぐ側まで近づいてきていた。
  綱吉の手が、獄寺の頬に触れる。ひんやりと冷たい指先は、彼が冬の屋上で長時間、獄寺を待っていたからだ。
「十代目……」
  言いかけた獄寺の唇に、そっと綱吉の指先が触れる。冷たかった。
「オレたち、別れよう」



  足下がガラガラと音を立てて崩れていくような感じがした。
  クラリと目の前が真っ暗になったかと思うと、獄寺の身体が宙へ投げ出される。
  ──落ちる!
  慌てて体を捻ろうとしたところで、ゴン、と鈍い音が後頭部に走った。
「あ?」
  目を開けると獄寺は、ベッドから上半身がずり落ちた体勢で眠っていた。
  今し方の鈍い音は、床に頭をぶつけた音だ。
「……夢、か?」
  やけに生々しい夢だった。
  ベッドからはみ出した姿勢のままで窓のほうへと視線を向ける。雲一つない晴れ渡った青い空が広がっている。まるで獄寺を嘲笑うかのようだ。
「バカにしやがって」
  呟き、獄寺はノロノロとベッドから抜け出した。
  フローリングの床の上にあぐらを掻くと、はあ、と溜め息をつく。ベッドの下に置いてある煙草を灰皿ごと引きずり出した。こんな寝覚めの悪い朝は初めてだ。取り出した煙草を口にくわえると、さっと火を点ける。とにかく、気持ちを落ち着かせなければならない。
  すう、とニコチンの香りを吸い込んで、息を吐き出す。白煙がふわりと口から出ていく。それを見て、ほんのわずかに気持ちが落ち着いてきたような気になる。
  それでも、不安なことにはかわらない。
  灰皿へ灰を落とすと、たいして吸いもしないうちににじり消す。
  寝覚めが悪かろうがなんだろうが、もう少ししたら綱吉の送り迎えの時間だ。いつまでもこんなふうにのんびりとしているわけにはいかないぞと、獄寺は着ていたものをベッドの上に脱ぎ捨てた。
  クロゼットの中から素早く制服を引きずり出すと、さっと袖を通す。
  朝食は、夕べのうちにコンビニで買ってきた菓子パンとコーヒーだ。
  これまた手早く胃の中に掻き込んでしまうと獄寺は、改めて身支度を整え、自宅を後にする。
  右腕が十代目を迎えに行かなくてどうするのだ。沢田家までの道のりを歩きながら、獄寺は思った。
  春はもうすぐそこまできているというのに、朝の風はまだ少し冷たく、ポケットに両手を突っ込んだ獄寺は知らず知らずのうちに首を竦めていたのだった。



  放課後、学校の屋上に呼び出された。
  昨夜の夢と同じシチュエーションだと、獄寺はこっそり思う。
  いつもなら授業が終わると綱吉と並んで帰宅するのに。用があれば帰宅の道すがら、言葉を交わしながら帰るのに。それなのに、今日に限って屋上に呼び出された。
  いったいどうしたのだろかと獄寺は屋上へとあがる階段を一段飛ばしに駆け上がる。
  息を切らしながら屋上へと続くドアを開けると、先に教室を出ていた綱吉が人気のない屋上の隅っこ、フェンスのところでじっとグラウンドを見下ろしているのが目に入った。フェンスを掴む綱吉の手の角度まで、夢の中と寸分違わず同じ角度だ。
「お待たせしてスンマセン、十代目」
  恐る恐る、獄寺は声をかける。
  綱吉と一緒に教室を出ようとしたところで、邪魔が入ったのだ。今週、獄寺の班は掃除当番だ。こっそり教室を出ようとしていたのに、目敏いあの女……黒川花に見つかって、掃除用具を押しつけられ、教室の掃除をさせられた。あの女、覚えておけよと獄寺は胸の中で呟く。
「掃除当番お疲れさま、獄寺君」
  にこりと笑みを浮かべて綱吉が言う。
「いえ、そんな……滅相もない……」
  言いながら、夢の中の出来事を思い出していた。確か、夢の中でも自分は、綱吉に屋上に呼び出されていたっけ。教室を出ようとしたら花に呼び止められて、掃除をするハメになった。ここまでは、夢と同じ。
  ……と、言うことは、だ。
  もしかして、と、獄寺は唾をゴクリと飲み込んだ。
  もしかして自分は、綱吉に別れ話を切り出されるのだろうか?
  やはり男同士はダメだということなのだろうか? それとも、獄寺の気持ちが綱吉には重すぎたのだろうか? なにごとにも真面目に向き合うきらいのある綱吉だから、もしかしたら人一倍、獄寺とつき合うことに悩み、あれこれと考えてくれたのかもしれない。
  別れたいのだろうか、綱吉は。
  男同士で恋人ごっこをするよりも、可愛らしい女の子……そう、笹川京子のような可愛らしい女の子と恋人になりたいのだろうか?
  ダメなのだろうか、自分では?
「……やっぱダメなんスかね、十代目」
  気づいたら、弱々しい声で尋ねかけていた。



「なにが?」
  怪訝そうに綱吉が返す。
  獄寺は誤魔化すかのように口元を引きつらせ、笑みを浮かべた。
「や、あの、その……」
  口ごもりながらどう答えようかと考えていると、綱吉が素早い動きで近づいてくる。
  手を差し伸べたかと思うとさっと獄寺の頬に触れる。ひんやりとした指先は、綱吉が長いこと寒空の下にいたことを示している。
「今日の獄寺君、どこかおかしくない?」
  指先がするりと頬の輪郭をなぞり、ついで唇に触れる。
  ドキッとした。
「あ……」
  獄寺の身体が小さく震えたのは、綱吉の指先を知っているからだ。
「ダメだよ、こんなところでそんな声出したら」
  そう言うと綱吉は、チュ、と獄寺の唇をついばんだ。
  優しい唇の感触に、またもや獄寺の心臓がドキリと鼓動を打つ。
  ああ、自分はこんなにも目の前にこの人に恋い焦がれているのだと、獄寺は思う。好きなのだ。どうしようもないぐらいに。



  結局、屋上に呼び出されたのはたいした用ではなかった。
  冬のこの時期、空気が澄んでいると屋上からの夕日がとても綺麗に見えるから、一緒に見たかったのだと綱吉は言った。
  ひんやりとした寒空の下で、男二人が並んで夕日を眺めるというのは、これはデートにカウントしてもいいのだろうかと目下のところ獄寺は悩んでいる。
  要するに獄寺は、綱吉の一挙一動が気になって仕方がないのだ。
  綱吉から離れて自分は、いったい生きていくことができるのだろうか?
  これほどまでに綱吉にぞっこんだということを胸を張って主張したいと思うと同時に、自分の気持ちが綱吉に重荷となっているのではないだろうかと不安になる時がある。
  好きな気持ちを押し出すことは悪いことではないはずだ。はっきりと言葉にして告げて、綱吉からも好きだと告げてもらって。そうして互いの気持ちを確かめ合って、つき合ってきたはずだ。
  それなのに自分は、いったいなにに怯えているのだろうか? なにが、不安なのだろうか?
  このまま綱吉のことを信じていきたいと思うが、その前に自分の気持ちを綱吉が重荷に感じないだろうかと、そればかりが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えしている。
  自分はどうしたらいいのだろうか?
  はっきりと、気持ちが定まらない。
  自分の部屋のベッドの上でゴロゴロと転がりながら獄寺は、溜息をつく。
  綱吉のことは好きだ。だけど、負担になりたくはない。この気持ちは恋ではないのだろうか? それとももっと別の気持ちなのだろうか?
「よくわかんねース、十代目」
  ポツリと呟くと、無性に綱吉の顔が見たくなった。声が聞きたい。綱吉のにおいと体温を、身近に感じたい。
「……十代目」
  掠れた声で獄寺は言葉を唇に乗せると、はあ、と溜息をついた。
  目尻に滲んだ涙で、視界が曇っている。
  そう、まるで今の自分の不安定な気持ちのようだと、獄寺はまた溜息をついたのだった。



END
(2011.2.27)



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