「ただいま」
海外出張から戻ってきた綱吉は、空港のロビーで出迎えてくれた獄寺に声をかけた。
大人になり、ボンゴレ十代目として本格的に日本とイタリアとを行き来するようになった綱吉のことを、獄寺はいつも心配している。時々、鬱陶しいと思うほどに。それでもこうして出迎えに来てくれると嬉しくもある。我ながら現金だなと思いながらも綱吉は口元に微かな笑みを浮かべた。
「お疲れさまでした、十代目」
そう返す獄寺は、穏やかな表情で綱吉が手にした荷物を取り上げた。
大人になって獄寺は、随分と落ち着いた。学生の頃の青臭さは抜けて、今はどこかしら張り詰めたようなストイックな色香を放っている。
綺麗だなと思わずにはいられない。
「皆、元気にしている?」
なにかあるわけがなかった。
イタリアにいる間、毎日のように獄寺とテレビ電話をしていたのだから。
「皆、かわりありません。十代目のお戻りを今か今かと待っているところっスよ」
そう言って獄寺は、ニヤリと笑った。
今日は久しぶりに守護者たちが集まる。綱吉も交えて、いつもの面々で寿司パーティをすることになっている。人の帰省にかこつけて騒ぎたいだけだろうと思いつつも、許してしまう自分がいる。 「山本んン家に集まる時間、何時だっけ?」
さりげなくロビーを移動しながら綱吉は尋ねた。
「六時です」
返しながら獄寺は、腕時計で時間を確認している。
優秀な右腕は、優秀な秘書にもなる。
「じゃあ、あんまり時間ないんだね」
ポツリと綱吉は呟いた。
目の端では獄寺の伸びすぎた前髪が、ゆらゆらと揺れていた。
屋敷に戻ると綱吉は、スーツを脱いでラフな格好に着替えた。
なにかと獄寺が世話を焼いてくれる日本はいいなと思う。そう思いながらも、数日もすると獄寺の世話焼きが鬱陶しくなってきたりもするのだが。
「コーヒーはいかがっスか?」
砕けた口調は学生時代そのまんまだ。あれから十年が過ぎて、皆、それぞれに大人になった。それでもかわらないものがあるのだと、綱吉は嬉しく思う。
「うん、いただくよ」
声をかけると、ソファにどっしりと座り込む。
疲れたと口にするのはしかし憚られたから、胸の中でこっそりと思うに留めておく。
イタリアでは九代目を交えた同盟ファミリーとの合同会議に引きずり出され、散々あちこちを駆け回らされた。兄弟子にあたるキャバッローネのディーノが一緒だったからまだしも、一人きりであの場にいろと言われたなら、さすがに途中で逃げ出していたかもしれない。
しかし今なら、泣き言を口にしても怒られることはないだろう。
「……疲れたよ」
密かに呟くと、獄寺がコーヒーカップを手に、綱吉のほうへと向き直った。
「お疲れさまでした、十代目」
言いながらカップを差し出してくる。
「ありがとう」
カップを受け取ると綱吉は、ふう、と湯気の立つ表面に息を吹きかけた。
「やっぱり日本がいちばんだよ」
獄寺がいるからとは、口が裂けても絶対に言えないことだ。
ニコリと笑うと綱吉は、コーヒーをひとくち、口に含む。
「コーヒーはおいしいし、獄寺君はいてくれるし」
それに……と、綱吉は思う。日本にいれば、自分がボンゴレ十代目だということを、わずかな時間でも忘れることができる。忘れられるものがある。
「日本がいちばんだよ」
そう言って綱吉は、なんども頷いた。
山本の家へ行くまでに数時間ほど余裕があった。
獄寺が淹れてくれたコーヒーを飲んでしまうと綱吉は、途端に手持ち無沙汰になった。部屋の片隅では獄寺が、綱吉のキャリーバッグを荷解きをしてくれている。恋人同士だからだろうか、獄寺に荷物を触られても不快感を覚えることはない。見られて困るものがあるわけでもなし、互いにオープンな関係がここ十年ほど続いている。
ぼんやりと恋人の後ろ姿を眺めていると、獄寺の髪が跳ねているのが目に入ってきた。
さらさらとした銀髪がひと房、獄寺が頭を動かすたびにピョコン、と揺れている。
そう言えば、学生の頃もそうだった。時々、寝癖の髪が跳ねていることがあった。あの頃は、いつもは隙のないように見える獄寺の可愛らしい一面を知って嬉しく思ったものだ。
「かわらないな」
こっそりと呟いて綱吉は、獄寺の背後に立った。
優秀な右腕であり、優秀な秘書であり、そして優秀な恋人でもある獄寺の肩をぐい、と抱きしめる。
「……獄寺君」
柑橘系のコロンと、煙草の香りが綱吉の鼻先をくすぐる。
「荷物なんてどうでもいいから、少しはオレも構って?」
山本の家へ行くまで、あとどれぐらい時間があるだろうか?
耳たぶを甘噛みすると綱吉は、さっと獄寺から身を離す。
肩越しに振り返った獄寺は目元をほんのりと朱色に染めて、恨めしそうに綱吉を見上げていた。
綱吉が獄寺とつき合いだしたのは、中学生の頃のことだ。
気づいたら獄寺のことが気になっていた。いつしかなくてはならない存在になっていたことに気づいたのは、いったいいつのことだろう。
ただ好きなだけではない。親友としても、右腕としても、そしてもちろん恋人としても、大切に想っている。獄寺隼人という一人の人間の存在があるからこそ、自分は自分らしくいられるのだと思うことがある。
空気のようにさりげなく側にいてくれる人だが、綱吉にとってはとても大切な人だ。
「十代目……」
荷物から離れて立ち上がった獄寺の喉が、ゴクリと音を立てて唾を飲み込む。上下する喉の動きに、目を奪われてしまいそうだ。
恥じらっているのか、躊躇いながらもゆっくりと獄寺は足を踏み出した。
「構ってくれる?」
尋ねると、伏し目がちに獄寺は頷いた。
首筋にさっと朱が広がっていく。白い肌が色づく様は、艶めかしかった。まるで綱吉を誘っているかのようだ。
焦れた綱吉は獄寺の手をぐい、と引くと、大股に部屋を横切って寝室のドアを開けた。
続き部屋になっているドアを大きく開け放つと、脇目もふらずにベッドへと向かう。形ばかりの抵抗を獄寺が見せるのに、綱吉の肌がざわめく。
「ダメだよ、獄寺君。逃がさないから」
言いながら、獄寺の身体をベッドに押しつける。
出張の間、獄寺の声を聞くことはできても、その身体に触れることはできなかった。
ほんの二週間ほどの出張ではあったが、その間、獄寺に触れることはできなかったのだ。たまらなく肌寂しかった。獄寺の体温を感じていたいとなんど思ったことだろう。
「十代目……」
ベッドに押さえ込まれてしまっても獄寺は、おとなしく綱吉にされるがままになっている。
この従順さが苛立たしくもあり、もどかしくもあった。
もっと自分を出してくれればいいのにと綱吉は思う。自分に対して一歩引いたようなところのある態度を見せるようになってきたことが、時折、無性に腹立たしくもあった。
顔を近づけて、唇を奪った。
チュ、と音を立てて下唇を吸い上げると、獄寺の唇がうっすらと開く。
自分の恋人がこんなにも従順で、艶めかしいのだと思うと、嬉しくもある。
なんて矛盾しているのだろう、自分は。従順だと苛立つくせに、従順であることを嬉しくも思うとは。しかしどちらの感情も、獄寺に対する自分の正直な気持ちだ。恋人でなければこんな気持ちを持つこともないだろう。
唇をそっと離すと、すかさず獄寺の腕が綱吉にしがみついてきた。
「時間が……」
時間を気にするふりをしながらも、獄寺の腕は綱吉の体をしっかりと捕らえて離そうとしない。
「大丈夫だよ」
鼻先で獄寺の首筋をなぞると、はあ、と甘い溜息が聞こえてくる。色っぽい。獄寺の上に重なるようにしてのしかかると、ぎゅう、とさらに体を抱きしめられる。綱吉の腹の底に集まってきた熱が、解放されたくてうずうずとしている。
「いい?」
獄寺の答えは決まっているはずだ。
返事も聞かずに綱吉は、獄寺の着ているものを脱がし始めた。手際よくネクタイを解き、シャツのボタンを外していく。時折、獄寺の体や顔にキスを落とすと、焦れたようにほっそりとした体がベッドの上でよじれた。
「無茶はしないよ」
言いながら綱吉の手が、獄寺の肌を這い回る。忙しなく肌触りを確かめたかと思うと、するりと胸の尖りを嬲り、素早く離れていく。
もどかしげな獄寺の目元が、綱吉をじっと見つめている。
「……十代目」
掠れた声が、愛しくてならない。
自分は日本に帰ってきたのだと綱吉は思った。恋人の……獄寺の元へ、帰ってきたのだ。 たかだか二週間程度離れていただけで、なんとみっともないのだろう、自分は。こんなにも獄寺に飢えていただなんてと、綱吉はこっそりと苦笑する。
だけどとてつもなく嬉しいのだ、獄寺と過ごす時間が。
「……山本のとこに行くのがちょっとぐらい遅れたって大丈夫だよ」
いつもならそんなことは思わないはずだが、どうも理性のタガが外れてしまっているような気がする。
ままよ、とばかりに綱吉は、獄寺の首筋に顔を埋めた。
煙草と、柑橘系のコロンの香りと、獄寺の香りと。鼻いっぱいに恋人のにおいを吸い込んで、綱吉はホッと息を吐き出したのだった。
END
(2011.3.18)
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