キスと花びら

  遅咲きの桜が強い風にあおられて、ハラハラと飛んでくる。
  まるで雪みたいだと思いながら、綱吉は校庭の向こうに見える桜を眺める。
  放課後の校庭には、部活動で教室から出てきた生徒たちがあちらこちらで集まり始めている。
  じっと見ていると、視線に気づいたのだろうか、向こうのほうにいた人影がこちらにむかって大きく手を振る。山本だ。手を振り返して、それから踵を返して校門へと向かって足早に歩きだす。
  いつもは一緒に下校をする獄寺がいないことに、山本は気づいただろうか?
  そんなことを考えながら帰路につく。
  疚しいことはなにもない。後で会う約束をしたから、今日はたまたま別行動をしているだけだ。そう自分に言い聞かせると綱吉は、歩く速度を少しだけ速める。
  学年がかわり、新学期が始まって何日かが過ぎた。
  なにもないのはあまりにも味気ないから、花見をしようと獄寺を誘った。山本は野球部の活動でいないから、二人きりの花見だ。
  学校が終わったらそれぞれにスナック菓子とジュースを持ち寄って、並盛神社の境内で待ち合わせを約束している。山桜やしだれ桜が花びらを散らし、ちょうど遅咲きの八重桜が花を綻ばせ始めた頃だ。
  きっと、二人で見る桜は美しいだろう。
  獄寺と会うことを考えると綱吉の口元は、自然と緩んでくる。
  獄寺に告白をされ、つきあいだして何度かデートを重ねたが、いつまで経っても初めての時のようにドキドキしている。
  並盛神社の桜の景色を獄寺は気に入ってくれるだろうか? そればかりが、綱吉の頭の中をグルグルと回っている。
  足早に家に辿りつくと「ただいま」とおざなりに声をかけ、綱吉は二階の自室へと駆け上がった。
  制服をベッドの上に脱ぎ捨てると、素早く私服に着替える。それから財布の中を確かめ、スナック菓子とジュースを買う資金の確認をする。ここで小遣いを使い切ってしまったら後が苦しいのはわかっていたが、恋人にいいところを見せたくもある。
  悩みに悩んで財布の中の小銭の半分を机の引き出しにしまうと部屋を後にする。台所を覗くと誰もいなかった。中庭のほうからチビたちの声がしているから、きっと母の奈々は洗濯物でも取り込んでいるのだろう。
「母さん、ジュースもらうよ」
  声をかけると、冷蔵庫のドアを開ける。
  栓を捻っていないペットボトルのジュースが三本。リンゴジュースとオレンジジュース、それに炭酸系のジュースが入っていた。
「もらってくよ」
  申し訳程度に声をかけ、綱吉はペットボトルを二本、手に取った。それらを無造作にナップサックに突っ込むと、綱吉は家を出た。



  コンビニでスナック菓子を買ってから、並盛神社へと向かった。
  獄寺はまだ来ていなかった。
  人気のない境内はシンと静まり返っており、時折、鳥の声が森の奥から聞こえてくるばかりだ。
  本堂へあがる石段に腰をかけてぼんやりとあたりの景色を眺めていると、階段を駆け上がってくる獄寺の頭が見えてきた。
「……スンマセン、遅くなって」
  いったいどのあたりから走ってきたのだろうか、獄寺は息を切らしていた。
  片手にはコンビニのビニール袋を提げて、それでも嬉しそうな顔をしている。
「いいよ。オレが誘ったんだし」
  昼休みに屋上で、並盛神社で遅咲きの桜を一緒に見ようと声をかけたのは綱吉のほうだ。
  なにもないけれど、紙パックのジュースと持ち寄ったスナック菓子で二人きりで花見をしようと誘ったのだ。
  デートっスね──と。そう、獄寺は嬉しそうに言った。山本の部活がなかったなら、きっと他の仲間たちも誘って皆で来ていただろう。
  だから疚しさを感じるのだろうかと、綱吉は胸の内に問いかけてみた。
「新しいお菓子が出てたから買ってきましたよ、十代目」
  誇らしげに獄寺は、コンビニのビニール袋を掲げてみせる。
「オレは、コンビニでポテトチップ買ってきたよ。あと、これ。家にあったジュースを持ってきたんだ」
  ほら、と綱吉は、ナップサックの中からペットボトルを取り出した。
「さすが十代目!」
  綱吉のすることになら、大概のことに獄寺は喜んでくれる。綱吉が持ってきたジュースに目を輝かせてくれるのは獄寺ぐらいのものだろう。
  石段の上にスナック菓子とジュースを並べると、綱吉は「さ、食べよう」と獄寺に声をかけた。



  風は少し強かった。
  せっかく咲いたばかりの桜の花びらを舞い上げ、翻弄する風の気紛れさに綱吉は一瞬、見とれてしまった。たくさんの桜の花びらが風に舞っているところは、ひどく美しかった。
  獄寺と一緒に見ているからだろうか?
  声をかけようとして隣に座る獄寺の顔を見ると、彼は真剣な表情をして桜を見つめていた。
「綺麗っスね」
  八重桜の濃い緋色が宙を舞っている。山桜のほとんど白に近い花びらの色も、ほんのりと緋色の花びらも綺麗だと思うが、八重桜の濃い緋色ほど艶やかなものはないと綱吉は思う。
  小さな気流に乗って、はらりはらりとその濃い緋色の花びらが飛び交っている。
  そしてその向こう、舞い落ちる花びらの渦の中に、八重桜の木々がずらりと並んでいた。
「校庭の桜も綺麗だけど……ここの桜にはかなわないだろ?」
  夜になってライトアップをすれば、もっと綺麗だろうと綱吉は思う。幸い、この神社の持ち主はそういった派手なことはあまり好まないらしい。あるがままの自然の姿を、ここの神主は愛でているようだ。
「こんなにたくさんの花びらが風に舞うところは、初めて見ました」
  真剣な表情で獄寺が告げる。
「じゃあ、獄寺君とこれてよかった」
  綱吉は思わず呟いていた。こんなにも喜んでもらえるとは思いもしなかった。普通に二人で桜を見て、いつものようにスナック菓子を食べてジュースを飲んで、適当なところで帰るものだとばかり思っていた。
「俺も……十代目と一緒にここに来られてよかったっス」
  獄寺はそう告げると、綱吉に笑いかけた。
  綺麗な笑みだと綱吉は思った。



  時間が過ぎると、風が冷たくなってきた。
  いくら四月とは言え、夕方の風はまだまだ肌寒い。二人とも、日中のあたたかさに油断をして半袖を着ていた。このままここにいたら、風邪をひいてしまうかもしれない。
「そろそろ帰ろっか」
  声をかけ、ナップサックの中に持ってきたお菓子やジュースをしまい直す。結局、二人してただぼんやりと桜を見つめるばかりだった。境内でお菓子を食べるような空気ではなかったのだ。
「桜の花は綺麗だったし、獄寺君は喜んでくれたし。ホント、よかった」
  つまらないと言われたらどうしようかと思っていたのだ。しかしそんな思いは杞憂に終わった。獄寺は熱心に桜を眺めていた。ポツリポツリと交わした言葉は、他愛のない会話ばかりだったが、デートにしては充実していたと綱吉は思う。
「楽しかったっス」
  立ち上がり、やたらと大人びた表情をして、獄寺は言う。下から見上げた横顔の角度はどこかしら色っぽい。
「帰りましょうか、十代目」
  言いながら獄寺は、照れたように手を差し伸べてくる。
  綱吉はその手に自分の手を重ねた。そっと指と指とを絡め、それから繋いだ手に力を入れる。
  ぐい、と手を引くと獄寺の体が近づいてくる。
「十代目?」
  怪訝そうな獄寺に、綱吉は口の端だけで笑い返した。
  近づいてきた獄寺の顔を覗き込むようにして綱吉は、さっと唇を奪い取った。チュ、と軽い音を残して、唇が離れていく。
「じゅっ……ちょ……」
  慌てて体を離した獄寺の反応が純情すぎて、可愛くてならない。
  ナップサックをさっと掴みあげると綱吉は石段から勢いよく立ち上がった。
「帰ろっか、獄寺君。うちで、一緒に宿題するだろ?」



  石段を下りかけて綱吉は、ふと立ち止まった。
  後ろをついて歩いていた獄寺が、怪訝そうな顔をする。
「やっぱり綺麗だな」
  そう言って綱吉は、境内の奥にずらりと植わった八重桜をじっと見つめる。濃い緋色の花びらが、風に吹かれてハラハラと舞い落ちてくる。
  同じように立ち止まった獄寺も、つられて背後の桜へ視線を向けた。
「来年もまた、二人で来ましょうね、十代目」
  そう言った獄寺の声が少し掠れていたのが酷く色っぽくて、綱吉はドキリとした。
「う…うん、そうだね」
  慌ててそう返すと、さっと前へと向き直る。
「ほら、帰ろう」
  言いながら後ろ手に手を差し伸べる。
  うつむいてじっとその場に立ち尽くしていると、獄寺の指先が、遠慮がちに綱吉の手に触れてくる。獄寺の指先はひんやりとして冷たかった。
  捕らえた指先をぎゅっと握りしめ、綱吉は帰り道を歩きだした。



END
(2011.4.17)



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