藤の花を見に行こうと誘われた。
紫色の可愛らしい花が房になって咲いているから見に行こうと、獄寺に声をかけられたのだ。
花なんてと思いながらも、誘われたことに気をよくして綱吉は二つ返事で頷く。
花を見に行くのではなく、デートだと思えばいいのだ。獄寺とデートだ。
お弁当を持って、二人きりで公園の藤の花を眺める。ついでにそこいらをぐるっと二人で歩いて回るのは楽しそうだ。
夕方からは藤棚がライトアップされているらしいから、暗くなってから出かけてもいいかもしれない。夜の暗がりの中、ライトアップされた紫色の藤の花はどんなに綺麗だろうかと綱吉は考える。ライトに照らされ、ほんのりと紫色に光を放つのだろうか。
楽しみだ、と思う。
デートだと思うと俄然、気分が盛り上がってくる。
フフ、と小さく笑う。自然と笑いが込み上げてきて、嬉しくてたまらない。
今の自分はどうかしているかもしれない。獄寺とのデートに、浮き足だっている。リボーンに気づかれでもしたら、ネチネチとお小言を食らうかもしれない。
昼休みに声をかけられてからそんなことをずっと、考えている。浮かれている。ダメだなと思いながらも、気を抜くと顔がふにゃけてくるのだ。
実のところ最初は、あまり乗り気ではなかった。昼休み、しかも山本と三人で弁当を食べている時に出た話だから、てっきり三人で行くことになるだろうと思い込んでいた。
それがどうだ。
よくよく話を聞くと、山本は家の手伝いで行けないと言うではないか。
山本が行けないのは残念だが、獄寺と二人きりという事実に、綱吉は舞い上がっている。 なんとかしてリボーンに気づかれないように獄寺と待ち合わせをして、夜の藤を見に行こう。そんなことを考えながら綱吉の一日はゆっくりと過ぎていく──
その日、放課後までの時間は飛ぶように過ぎ、あっという間に夕方になった。
少し前までは放課後になるとすぐに日が落ちて真っ暗になっていたというのに、この頃は夕方になっても空の向こうは明るく、なかなか暗くはならない。
それでも、春を過ぎ、少しひんやりとした初夏の風は肌に心地好い。
結局、母に言われ獄寺も一緒に家族で夕飯を食べてから出かけることになった。
いつもどおりの賑やかな夕飯を終え、少し休んでから獄寺と二人で家を後にする。
肩を並べて家を出ると、のんびりとした足取りで公園へと向かう。月が出ていた。南の空にぽっかりと浮かんで見える上弦の月は、色の薄い夕方の空に、白くぼんやりと浮かんでいる。あの月は、これからゆっくりと西の空へと帰っていくのだろうか。
「雨のにおいがしてますね、十代目」
ボソボソと獄寺が呟く。
言われてみれば、頬を通り過ぎていく風の中に雨のにおいがしているような気がする。獄寺の言うとおり、もしかしたら雨が降るかもしれないと綱吉は思った。これから藤の花を見に行くというのに。空は、もってくれるだろうか?
ちらりと獄寺のほうへと視線を向けると、彼は「しゃーねーっスね」とでも言うかのように肩を軽く竦めてみせる。
そのうち降り出すのだろうか。気づかれないようにこっそりと溜め息をつくと綱吉は、心持ち足早に公園へと向かう。
雨が降り出す前に、藤の花が咲いているのを見たかった。
雨が降ってきたら、もしかしたらライトアップは中止になってしまうかもしれない。
せっかく二人で藤の花を見ようとしているのだから、せめてもうしばらくだけ空がもってくれたらいいのにと思わずにいられない。
それなのに、いちど気になりだすとよくないほうへと思考は向かいがちになる。
空模様が気になって、自然と足取りは早くなっていく。ちらりと隣を盗み見ると、獄寺も同じ気持ちだったのだろうか、しかつめらしい顔をして、心なしか大股に道を歩いていく。
夕方の風が勢いよくふきつけてきて、ふと綱吉が顔を上げた途端、公園の奥まったところにある藤棚がライトアップされた照明の中に浮かんで見えた。
ぼんやりとした紫色の優しい光の中に、藤の花は咲いていた。
人工の、控え目な淡い紫色の照明に包まれた花の房々は、風が吹くと穏やかにたわんでいる。
ただ純粋に、綺麗だと綱吉は思う。
紫と言っても、色の幅は広い。
淡い紫、薄い緋色がかった紫、パンジーのようにはっきりとした紫、青味がかった紫、濃い紫……それ以上のバリエーションの紫色があたり一面に広がっているのを目のあたりにして、綱吉は溜め息を零すことしかできなかった。
「綺麗だね」
囁いた声は、少しかすれていた。
「そうっスね」
返す獄寺の声も、どこかしら抑え気味だ。
しばらくそうやって二人して藤の花に見とれていたが、そのうちにポツリ、と頬に冷たいものを感じた。
「──…ありゃ……降ってきましたね」
夜空を見上げて残念そうに獄寺が呟く。
その言葉に続くようにして、細い針のような雨が降りだしてきた。
ゆっくりと着ているものが濡れていくのが感じられたが、立ち去りがたいような気がして、綱吉はその場からなかなか動くことができなかった。
獄寺も同じ気持ちなのだろうか?
藤棚の前にじっと佇む綱吉の隣で獄寺は、黙って立っている。
このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。
声をかけようとして手をあげかけた綱吉は、獄寺の横顔に照明の淡い紫色が照りつけているのを目にしてゴクリと唾を飲み込んだ。
獄寺の銀髪は、照明の色によく映えた。ぼんやりと光って見える。薄紫の光が、獄寺の髪に反射しているのだ。
黙ったまま、綱吉はそっと手を伸ばした。
獄寺の、両脇にだらりと垂らした手に自分の手を重ね、指を絡めた。
繋いだ指を伝って、相手の体温が伝わってくる。
あたたかい。
指を滑らせ、手を繋ぐ。ぎゅっと手を握りしめると、獄寺も握り返してくれた。
「そろそろ帰ろうか」
声をかけると、獄寺は従順にも頷いた。
常に綱吉の気持ちを優先する獄寺に、綱吉は小さく「ありがとう」と囁いた。
「誘ってくれてありがとう、獄寺君」
こんなに綺麗な藤の花を見たのは、おそらくこれまでで初めてだろう。こんなに綺麗なものを、好きな人と二人きりで見ることができるだろうとは思ってもいなかった。
「すごく……楽しかった」
それだけを告げると綱吉は、照れ隠しにぷい、と顔を背ける。
少し前に互いの想いを確かめ合い、体の関係も持っているというのに、何故だか恥ずかしくてならない。
「うちに寄ってく?」
歩きながら綱吉が尋ねると、逆に獄寺は自分の家に綱吉を誘ってきた。
「たまには家に寄っていきませんか、十代目。狭いところですが」
そう言われて綱吉は、二つ返事で頷いていた。
雨に濡れた服は冷たかったが、繋いだ手の温もりが、綱吉には嬉しかった。
獄寺の部屋でシャワーを借りた。
すっかり濡れて冷たくなった体を温めて、獄寺のパジャマを借りた。
獄寺がシャワーを使っている間に綱吉は、家に電話をかけさせてもらった。今夜は獄寺の家に泊まることを、母に連絡したのだ。母は快く外泊を許してくれた。
雨は、獄寺の家に着いたあたりから激しく降りだしていた。横殴りの雨だ。無理をして家に帰ったところでずぶ濡れになってしまうのは必至だった。
それにしても、気恥ずかしくてならない。
心臓がドキドキとしている。
母についた小さな嘘と、これからすることへの期待とがごっちゃになって、綱吉の心臓を高鳴らせているのだ。
もう少ししたら獄寺は、バスルームから出てくるだろう。
そしたら、どうしよう?
ついさっき繋いだ手のあたたかさを思い出すだけで、体温が上昇しそうになる。
キスぐらいなら許してくれるだろうか? それとも、今夜は触れることも許してもらえないだろうか? いいや、もしかしたら……抱きしめて、おなじひとつの布団で眠ることができるかもしれない。
暖かくなってきたとは言え、こんな雨の夜は肌寂しい気がするから、きっと獄寺は一緒に眠ろうと言ってくるだろう。
窓の外へちらりと目を馳せて、それから綱吉は、獄寺の手を握りしめた自分の手をじっと見つめ返した。
耳の奥で、バスルームのドアがパタン、と開閉する音が聞こえたような気がする。
獄寺が、戻ってくる──
ドクン、ドクン、と綱吉の心臓は、大きく脈打っていた。
END
(2011.5.18)
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