初夏の風はひんやりとして、上気した頬に心地よかった。
獄寺は空を見上げると、荷物を提げた両手にさらに力を入れた。
「獄寺君、大丈夫かしら?」
少し先を歩いていた奈々が不意に振り返ると、小首を傾げて声をかけてくる。
どこかしら少女めいたその無邪気な笑顔に、獄寺はこっそりと苦笑した。
「大丈夫です、お母様」
両腕を振り回して獄寺は元気よく返す。
本当はしかし、限界だった。これ以上は荷物を持つことはできない。腕力にはそこそこの自信があったつもりだが、奈々の買い物は半端なく量も重さもあった。想定外だったとばかりに、獄寺は両腕にぐっ、と力を入れ、荷物を持ち直す。
奈々の足取りは軽かった。
商店街のアーケードを抜けたあたりで獄寺がバッタリ出会った時には両手に荷物を提げて重そうにしていたものだからつい声をかけてしまったのだが……これはもしかすると、奈々のほうが力があるのかもしれない。
「ねえ。やっぱり、どっちかひとつ、あたしが持ちましょうか」
気を遣ってか、奈々が声をかけてくる。
それを獄寺は頑なに拒否すると、強張った腕にさらに力を入れ、綱吉の待つ家までの道のりを、ノロノロと歩きだしたのだった。
荷物持ちのお礼にと、奈々の用意した夕飯をご馳走になった。
育ち盛りの獄寺の食生活が散々なことを知っている奈々は、なにかと声をかけてくる。夕飯を食べて行きなさい、作りすぎたからおかずを少し持って帰りなさいと、なにくれとなく世話を焼いてくれる。
すっかり夕飯までご馳走になった上、お腹が満たされたところで、奈々の「今日はもう遅いから泊まって行きなさい」攻撃が始まる。奈々の攻撃に降参してそれならお言葉に甘えて、と獄寺が首を縦に振るが早いか、買い物の荷物の中から奈々が小さな袋を取り出してくる。
「じゃあ、これね、獄寺君は」
はい、と奈々に渡されたのは、下着の入った袋だった。
「だってね。いつもいつもお泊まりセットを持ち歩くのも面倒でしょうし、うち用にどうかと思って買っちゃったの。ツッ君とお揃いのパンツだけど、色違いだから安心してね」
手渡されたボクサーパンツは黒地に所狭しと小さな猫の絵が描かれたものだ。ちらりと綱吉のほうを見ると、こちらは同じ猫の絵が描かれたダークグレーのパンツを奈々に押しつけられている。
「お……お揃いだってさ、獄寺君」
半分引きつったような顔で、綱吉が声をかけてくる。
「はい、そうっスね」
お揃いという言葉に反応して、獄寺の顔は瞬時ににこやかなものへと変化した。
奈々に手渡された瞬間には頭の中が真っ白になってどうしたらいいのかわからなくなったが、それは一瞬のこと。やはり、なんだかんだ言いつつも嬉しいのだ。恋する人とお揃いの下着。「お揃い」という言葉の、なんといい響き。
「ありがとうございます、お母様!」
深々と頭を下げた獄寺は、ニヤニヤとしただらしのない笑みを隠しながら、いそいそと風呂場へと足を向ける。
脱衣所のドアを閉めると着ていたものを勢いよく脱ぎ去った。脱衣カゴの中の着替えの一番上に、もらったばかりのパンツをちょこんと乗せる。風呂の戸を潜る頃には獄寺はさらに自分の顔がにやけるのを感じていた。
「獄寺君、バスタオルここに出しておくからね」
獄寺が風呂に入るのを見計らって脱衣所にやってきた綱吉が、磨りガラスのドア越しに声をかけてくる。いつものことだ。
「はい、ありがとうございます、十代目!」
はきはきと返事をすると獄寺はふっと息をひそめる。磨りガラスの向こうの綱吉の気配が、小さく微笑んだような気がして、ドギマギしてしまったのだ。じっと身動きもせず、綱吉の気配を感じる。磨りガラス一枚を隔てた向こうに綱吉がいて、じっと獄寺の気配をうかがっている。
獄寺は、そっと唾を飲み込んだ。
脱衣所で綱吉は、どうしているのだろうか。こちらの気配をうかがっているものの、磨りガラス越しにこちらを見つめているわけではないだろう。とは言え、綱吉がすぐそこにいるのだと思うと、それだけで獄寺の頬はカッと赤くなり、体の一点にもぞもぞと熱が集ろうとしだすのだ。
どうしよう……。
足の間で硬くなり始めたものを押さえ込むように、獄寺は股間に手をやった。
息を詰めて、じっと磨りガラスの向こうに意識を集中する。
心臓の鼓動が、早い。ドキドキという音が、体の中で響いているような感じがする。
喉の奥から、渇きが広がっていく。口の中いっぱい、カラカラに渇いてしまったような感じだ。出てこない唾を無理に飲み込むと、磨りガラスの向こう側で綱吉がほぅ、と息を吐き出す気配がした。
「……皆と一緒に居間にいるよ」
少し掠れた声で、綱吉はそう告げた。
獄寺は、なにも答えられなかった。
心臓がドキドキしすぎて、なにも考えられなかったのだ。
綱吉とは、少し前からつき合っている。
キスもしたし、ちょっと前にはエッチもした。
だけど、いまだに獄寺はふとしたことでドキドキしてしまう。綱吉の声や、仕草や、唇の感触を思い出すだけで、体が熱くなってくる。
こんなふうに気持ちを持て余しているのは、自分一人だけだろうか?
他の人は……そして綱吉は、どうなのだろう。
ドキドキしないのだろうか? 自分の気持ちが定まらず、どうしたらいいか途方に暮れることはないのだろうか?
湯船の中に座り込んだまま、獄寺は目を閉じる。
このフワフワとした気持ちを綱吉に知られるのは、恥ずかしい。だけど、知っていて欲しいとも思う。自分がこんなにも綱吉のことを想っているのだということに気づいてほしい、その気持ちを認めて欲しいと思っている自分もいる。
出しゃばった真似はすまいと思いながらも、こんなふうに自分の気持ちを前へ押し出そうとすることがある。
ああ──と、獄寺は溜息をついた。
心臓がドキドキ言っている。股間の熱は一向に冷めないし、いったい自分は、どうしたらいいのだろう。
大きく首を横に振ると、パシャ、と水が跳ねた。
途端に、のぼせたような感じがして頭がクラクラしてくる。
勢いよく湯船から上がった獄寺は、水のように冷たくしたぬるま湯を頭からかぶった。
どうにか体の火照りを鎮めて風呂から上がった獄寺は居間にいる綱吉や奈々にひと声かけてから、二階へと上がる。
獄寺と入れ替わるようにして綱吉が風呂場へ向かうのが感じられた。
自分が入った後の風呂に、綱吉が入るのだ。
恥ずかしいと思うこの気持ちは、やはり綱吉に恋しているからだろうか。
ベッドの端に腰をおろすと、パジャマの中の下着が妙に意識された。
綱吉とお揃いの下着を身につけているのだと思うと、ようやく鎮まった心臓が、またしてもドキドキと騒がしく響きだす。
太股に両手を置き、拳を握りしめる。
綱吉はまだ、部屋へ上がってこない。つい今し方、風呂に向かったばかりだからもうしばらくかかるだろう。
握り拳の下、パジャマの布地の向こうで、太股の筋肉が緊張しているのが感じられる。
拳の位置をゆっくりとずらして、股間に触れてみた。
綱吉とお揃いの下着を、今、自分は身につけている。ドキドキと心臓がうるさく騒いでいる。ゆっくりと拳を動かすと、布地の上からもどかしいような焦れったいような感じがした。
拳を何度か動かしているうちに、体の一点に熱が集まってきた。
「……っ、ぁ……」
微かな声が、唇の端から洩れる。
そう大きな声ではなかったが、獄寺は慌てて唇を噛み締めた。昼間の賑やかさがない分、少しの物音でもよく聞こえる。拳をそっと体から離すと、獄寺はほぅ、と息をついた。
綱吉が部屋へ戻ってきたらどうしよう。
今、綱吉と顔を合わせたら気まずい思いをすることは明らかだ。
だけど、この部屋から出ることもできない。
拳に歯を立てて、獄寺は顔をしかめる。
難しい顔をしていたら、そのうちにトン、トン、と階段を上がってくる綱吉の足音が聞こえてきた。
この複雑な想いを、綱吉は理解してくれるだろうか?
獄寺は拳からそっと口を離すと、何でもない風を装ってドアのほうへといつもの笑みを向けた。
ドアノブが小さな音を立て、そっとドアが開けられる。
綱吉が部屋へ入ってくる。
「おかえりなさい、十代目」
そう声をかけた獄寺は、いつものように大らかな笑みを満面に浮かべていた。
END
(2011.6.11)
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