夏の終わりにデートの約束をした。
本当は宿題がまだ残っていて、数日前からラストスパートの追い込みにかかっている状態だったけれど。
それでも、なにか想い出になるようなことをしてみたくて、綱吉は獄寺を誘った。
どこへ行くかは決めていなかった。
ただ思いついたところをフラフラと二人で自転車で回ってみるだけのものだったが、二人で出かけるのだと思うとそれだけで嬉しくて仕方がない。
綱吉にしては珍しく、朝の早い時間に起き出した。
母に作ってもらった二人分のお弁当をデイパックに入れて、自転車で出かける。
待ち合わせは、並盛中の前だ。
日の出直後の涼しげな空気の中、学校までの道のりを自転車で走っていく。
鳴きかけた蝉の声もどこか遠くのほうから聞こえてくるようで、まだまだ夏休みなんだなあという気持ちが込み上げてくる。まだ遊んでいたい。もっと楽しいことを探したい。できることならこのまま夏休みがもっと続けばいいのに。
学校が近づいてくると、見慣れたシルエットがぼんやりと朝靄の中に浮かび上がる。
先に来ていた獄寺が、綱吉の到着を待ってくれているのだろう。
「獄寺君!」
手を振って声をかけると、シルエットが微かに揺らいだ。
「っはよっス、十代目!」
やっぱり獄寺だ。綱吉は口元に笑みを浮かべて自転車を漕ぐ足にいっそう力を入れる。
獄寺の前でブレーキをかけると綱吉は、キッ、と小気味よい音を立てて自転車を止めた。
「おはよう、獄寺君。待った?」
顔を見て、尋ねる。
まだ少し眠そうな目元がどこかしら可愛らしい。いつもの凄み顔が綺麗系な顔だとすると、今の獄寺の顔は可愛い系だ。
「いえ、今来たばかりっス」
そう言って獄寺は、笑みを浮かべる。
「ホントに?」
聞き返すのは、そうでないような気がしたからだ。獄寺のことだから、綱吉を待たせないように少し早めに待ち合わせ場所に来ていたとしてもおかしくはない。
ちらりと獄寺の顔を覗き込むと、彼はヘヘッと嬉しそうに笑って綱吉を見つめ返した。
「……じゃあ、行こうか」
いつまでも校門前でじっとしていても始まらない。
綱吉はそう言うと、自転車の向きを買え、並盛山のほうへと走りはじめた。
すぐに獄寺が後をついてくる気配がして、二人してしばらく無言のまま自転車を走らせる。
爽やかな空気だが、しばらく進んだあたりから気温がぐんぐん上がり始めた。太陽が本格的に照りだし、蝉の声も一段と強くなってきた。
「暑くなってきましたね。大丈夫っスか、十代目」
体力のない綱吉を気遣って、獄寺が尋ねてくる。
「うん、大丈夫」
獄寺とつき合うようになって、綱吉も随分と体力がついたと思う。それ以前に、リボーンの特訓やらなにやらで、否応なしに体力をけざるを得なかった。元々は人並以下の軟弱さだった綱吉だが、いつの間にか腹筋がつき、そこそこの運動能力もついてきだしたようだ。
いつだったか、すぐに疲れるのは気持ちの持ちようだとリボーンに冷たくあしらわれたが、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。
並盛山につくと、自転車で進めるところまで進んだ。
麓の入り口に申し訳程度に設置された小さなスペースの隅っこに、遠慮がちに自転車を二台、並べて停めた。
ここから先は徒歩で山に登る。
展望台へ向かうルートを選ぶと、のんびりとした足取りで二人は歩いていく。
林の中を通り抜ける時には、蝉の声が頭上からシャワーのように降り注いだ。泣き叫ぶような蝉たちの声は必死すぎて、耳に痛かった。
「すごい声っスね」
獄寺の声も聞き取れないほどだ。綱吉は適当に頷き返した。
途中から道は、山道へとかわっていった。
蝉の声は相変わらずうるさい。
耳を塞ぐことができるのなら、とっくにそうしているだろう。
気がついたら、いつの間にか手を繋いでいた。
いくつかの石段を登る時に獄寺に手を貸してもらったら、そのまま離しがたくなってしまったのだ。その後は、互いに先になり、後になりながらずっと手を繋いでいる。互いの汗でてのひらはベタっているし、感触としてはどちらかというと気持ち悪いものだが、離しがたいのはどうしてだろう。
「もう少しだね、獄寺君」
先を歩いていた綱吉が振り返って声をかけると、獄寺は嬉しそうに頷く。まるで小さい子どものように目をキラキラと輝かせて笑う無防備な獄寺の表情が眩しくて、それがどこかしら照れ臭く思えて、綱吉はさっと前を向いた。
展望台には、何度か来たことがある。
仲間たちと一緒だったこともあれば、獄寺と二人きりで来たこともある。なにもここが特別な場所というわけでもなかったが、だからこそ二人きりで夏の終わりの想い出を作りに来たのだと思うと、特別な感じがしてならない。
背中を滴り落ちる汗の不快感よりも、山からの涼しげな風が心地よかった。
蝉の声は大きく、耳に痛いほどだ。
山肌につけられた窪んだ階段を踏みしめ、踏みしめ、二人は展望台へと登っていく。
手は、いつしか離していた。道が急になっているため、手を繋いでいられるほどのんびりと歩いてはいられなくなったのだ。息を切らして最後の階段を上がりきると、そこはもう平らかな展望台の一部だった。
「あそこで休憩しましょう」
東屋を指差して、獄寺が言う。
開けた場所に出たからだろうか、蝉の声が少しだけ、大人しくなったような気がした。
展望台の東屋に入ると早速、二人は弁当を広げた。
綱吉の母の奈々が作った弁当は豪勢だった。しゃけとおかかと梅干しのおにぎりに、卵焼きとハンバーグ。鶏の唐揚げ。デザートはウサギの形に見立てたリンゴとオレンジだ。ふたつ持たされた水筒のうちひとつはコンソメスープが入っていた。もうひとつは冷たい麦茶だ。母には見栄を張ってペットボトルがあるから大丈夫だと言ったものの、ここへ上がってくるまでにペットボトルのお茶をほとんど飲んでしまっていた綱吉にはありがたいことだった。
「ウマいっスね、この唐揚げ」
獄寺が唐揚げを美味しそうにつつく隣で、綱吉はハンバーグに箸を延ばしている。
東屋のすぐそばに大木に止まった蝉が、シャカシャカと鳴き始める。
「暑いし、ここに上がってくるまでしんどかったけど、来てよかったね」
ポツリと綱吉は呟いた。
獄寺と二人だけで来たのだと思うと、嬉しくて仕方がない。
デートのつもりで来たのだと言ったら、獄寺は信じてくれるだろうか? それともこんな泥臭いデートでは嫌だと言われるだろうか?
「なんかデートみたいっスね」
唐揚げを口にくわえたまま、獄寺が言った。
「え、あ、デ……デート?」
声が裏返ったのは、驚いたからだ。
「……今、デートって?」
綱吉が尋ね返すと、獄寺は照れ臭そうに頷いた。
「だって十代目、二人っきりですよ。俺はデートのつもりでしたが……違いましたか?」
途端に獄寺の眉間に、皺が寄る。
綱吉は慌てて言い返した。
「ち、違うってば! オレは最初っからデートのつもりで……」
言いながら、綱吉の顔がどんどん赤くなっていく。
恥ずかしくてたまらない。自分の言っていることに気づいた途端、綱吉は羞恥心でいっぱいになってしまったのだ。
「獄寺君と、その……デート、してるんだと思ってた……」
最後のほうはボソボソと口の中で呟いていた綱吉だったが、その言葉は、ちゃんと獄寺の耳に届いたらしい。
獄寺の眉間の皺はすーっと消えていった。
二人して見つめ合ったまま、しばらくの間、じっとしていた。
東屋の外から聞こえてくる蝉の声だけが騒がしくて、耳に痛い。
自分たち以外には誰もいないのだと思うと、少しだけ肩に入っていた力が抜けるような感じがした。
夏の思い出にするにはあまりスマートではないかもしれないが、二人きりになるという点で言うと、充分に目的は果たせているように思えた。
「……人、オレたち以外、誰もいないね」
綱吉の言葉に、獄寺は頷いた。
「蝉がうるさいだけっスね」
シャカシャカという蝉の鳴き声だけが、東屋のすぐ外でこれでもかというほどやかましく鳴きわめいている。
「夏だからね」
綱吉が言った。
「そうっスね」
頷いて、獄寺は笑った。
それからどちらともなく顔を寄せ合って、キスをした。
母の作った弁当の味のするキスだと、綱吉はこっそり思った。
END
(2011.8.27)
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