綱吉の誕生日を二人だけで祝いたいと言ってきたのは、獄寺のほうからだ。
歩き慣れた道を辿って獄寺のマンションに到着した綱吉は、少し緊張しながらインターフォンを鳴らす。
「どうぞ上がってください、十代目」
返ってくる獄寺の声はいつもと同じ調子だ。
いったいなにを企んでいるのだろうかと思いながらやってきた獄寺の部屋は、やはりいつもとからわず十四歳の中学生男子の部屋に相応しい散らかり具合だったし、特になにかが隠されているような気配もしていない。
肩透かしを食らったような気持ちで綱吉が部屋にあがると、獄寺の声がキッチンのほうから聞こえてきた。
「十代目、おめでとうございます!」
怪訝そうに綱吉がキッチンに入ると、パン、とクラッカーの乾いた音が響く。目の前にハラハラと舞い散る花吹雪に、綱吉は「ヒッ」と喉を鳴らして足をもつれさせた。床の上に尻餅をつくと、獄寺は嬉しそうに笑っていた。
「おめでとうございます、十代目。ケーキを用意しました」
手作りだろうか? それとも、出来合いのものを買ってきたのだろうか?
スポンジの形は市販のもののように整っているから、もしかしたらデコレーションだけを獄寺がしたのかもしれない。
「ありがとう、獄寺君」
返す綱吉の言葉には照れくささが滲んでいる。
「さあ、座ってください。仕切直しっスよ」
そう言うと獄寺は、綱吉をスツールに座らせる。
綱吉の目の前にケーキを置いて、蝋燭を一本だけ。炎を点して少し掠れた甘い声でハッピーバースデーと歌を歌い、蝋燭の炎を綱吉に「消してください」と強請ってくる。
「ありがとう、獄寺君」
フーッ、と蝋燭の炎を吹き消すと、キッチンが真っ暗になる。
隣のリビングについている灯りが洩れてくるおかげで、暗がりの中で二人の姿がぼんやりと浮かんで見える。
暗闇の中で獄寺の腕が動くのが見えた。
「十代目……」
獄寺の指が綱吉の腕に触れてくる。
そのままじっとしていると、手探りで獄寺の手が綱吉の頬を包み込んでくる。
「……キス、してもいいですか?」
おずおずと尋ねられ、綱吉は頷いていた。
ゆっくりと、焦れったくなるほど時間をかけて獄寺の顔が近づいてきて、目の下にチュ、と唇が押し当てられた。
相手のうすぼんやりとした輪郭しか見えないからだろうか、やけにドキドキする。
綱吉は獄寺の手を取ると、手の甲に唇を押しつける。それから唇でゆっくりと指を辿り、人差し指に辿り着く。
「……甘いにおいがする」
いつもなら、煙草とダイナマイトの火薬のにおいがしているところだ。甘いホイップクリームのにおいがしているということは、やはりケーキのデコレートは獄寺がしてくれたのだろう。
「実はさっき、ひと掬いだけ舐めました」
微かに笑って獄寺が告白する。
表情が見えないのが残念だなと綱吉は思った。今の獄寺の顔が見たい。どんな顔をして獄寺は、今の言葉を口にしたのだろうか。
「おいしかった?」
尋ねると、獄寺の手がピクリと震えた。
「……はい」
躊躇いがちに、控え目に獄寺が返す。
ああ、獄寺君の表情が見たい──ジリジリと綱吉は胸の内で思った。
「味見、オレにもさせて」
そう言って綱吉は、獄寺がしたようにゆっくりと手を伸ばした。獄寺の頬を両手で包み込み、唇を合わせる。互いに協力し合って唇の位置を合わせると、獄寺の唇を割ってそっと舌を差し込む。
クチュ、と湿った音がして、舌が絡まる。
「ん、っふ……」
獄寺の鼻にかかった声がいやらしくて、綱吉の体がカッと熱を孕み出す。
交わった唾液と舌をきつく吸い上げてから、そろそろと唇を離す。獄寺の舌が名残惜しそうに綱吉の舌をなぞり、離れていった。
味見だなんて言ったけれど、クリームの味なんて本当はどうでもよかったのだ。多分、獄寺もそうだ。味見を口実にキスがしたかっただけだということは、おそらく見破られているだろう。
「……ケーキ、食べないと」
溜息と共に綱吉が言うと、獄寺は慌てて灯りをともした。
「ど……どうぞ、食べてください」
戻ってきた明るさに目を細めながら、綱吉はケーキを食べた。向かい合った席に座った獄寺も、黙々とケーキを食べる。
二人してケーキを食べて、コーヒーを飲んで。
誕生日の夜はそうして、ゆっくりと更けていく。
つき合っていると言っても、まだまだ純情な二人だ。キスだけでも充分に満足できる。
それでも欲張りな綱吉は、その先に進みたいとも思っている。
どう切り出そうかと思っているうちに時間が過ぎて、日付がかわる頃になった。
「そろそろ寝ませんか、十代目」
疚しいことなどなにも考えていないような顔をして、獄寺が言う。
「俺、ここを片づけますんで、十代目は先にシャワー使ってください」
つき合うようになってから何度か獄寺の部屋に泊めてもらった綱吉は心得たもので、「ありがとう」と告げるとさっとバスルームへと足を向けた。
本当は少し眠たくなってきていたのは、獄寺には内緒のことだ。
バスルームを出た綱吉は、灯りの洩れているリビングへ向かう。
綱吉が泊まる時はいつもリビングに布団を敷いて二人で眠る。
今日もそうだ。
リビングのドアを開けると、すでに布団が敷かれていた。
「あ、十代目。お布団の用意はできてますから、お先に休んでてください」
獄寺が言うのに綱吉は、遠慮なく頷く。
「ありがとう、獄寺君」
そう言って、獄寺の敷いてくれた布団にさっと入る。
獄寺は嬉しそうに「じゃあ、俺もシャワー使ってきます」と告げると、リビングを後にする。
可愛らしいと思わずにはいられない。
綱吉のために二人きりで誕生祝いをしたいと言ったり、ケーキを用意してくれたり。普段の獄寺からは思いも寄らない姿を、二人きりの時には見せてくれる。それが綱吉には、嬉しくてならない。 布団の中でしばらくじっとしていると、眠気が込み上げてくる。ウトウトとしているうちにバスルームのドアが開閉する音が聞こえてきた。湯上がりの獄寺は、シャンプーのいいかおりをさせてリビングに入ってくる。
「お待たせしました、十代目」
獄寺がリビングを横切ってくる。
「おかえり、獄寺君」
言いながら綱吉は、この言い方はなんだか新婚家庭みたいだなと思う。
「ほら、湯冷めしちゃうから中に入りなよ」
ケットを上げると綱吉は、体を寄せて獄寺が潜り込めるだけのスペースを空けてやった。 すぐに獄寺が布団の中に潜り込んでくる。
「あたたかいね」
乾かしたばかりの銀髪はフワフワのサラサラで、手触りがいい。綱吉は手を伸ばして獄寺の髪に触れると、房の先のほうにくちづけた。
「今日はありがとう、獄寺君。すごく嬉しかった」
素直に気持ちを言葉にすると、獄寺は照れているのか、困ったように綱吉の唇にそっと指先で触れる。
「そんなこと……」
言いかけた獄寺の語尾が次第に小さくなっていく。
綱吉の唇が近づいて、そっと唇に触れたからだ。
「ケーキ、ごちそうさま。おいしかった」
綱吉の言葉に、獄寺はますます恥ずかしそうにするばかりだ。
「二人だけで仕切直しの誕生日パーティって、キスより先もOKってことだよね?」
わかっているけれど、口に出して確かめずにはいられない。
綱吉が耳元に囁きかけると、獄寺は小さく頷いた。
「……そ…です」
おそらく獄寺は、耳まで真っ赤にしていることだろう。
暗がりの中で獄寺の顔が見えないのが本当に残念だと綱吉は思う。
そしてもうひとつ、残念なことが。
夕方からはしゃぎすぎて疲れたのだろうか、それとも獄寺がバスルームから出てくるまでの短い時間の間にうたた寝をしてしまったからだろうか、眠たくて仕方がないのだ。せっかく獄寺が誘ってくれているのに、本当に残念でならない。
とりあえず、眠るのが先だと綱吉は思う。
目が覚めたら続きをしよう。キスをして、本当の仕切直しをすればいい。
「でも今日は、眠いからごめん……」
そう言って綱吉は、獄寺の身体に腕を回して目を閉じる。
すぐに意識が不鮮明になっていく。
唇にチュ、とやわらかなものが押しつけられた感じがした。
「ごちそうさまです、十代目」
獄寺の小さな声が、綱吉の耳に届く。
無意識のうちに綱吉は、獄寺の腰に回した腕に力を入れていた。
「明日、ね……」
眠いながらもどうにかそう告げると、綱吉は今度こそ本当に意識を手放していた。
(2011.10.17)
END
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