ドン、と腹にまで響く爆音が耳元でした。
あっと思った時には白煙に包まれ、獄寺は自分の意識が一瞬、遠のいていくのを感じている。
クラリ、と目眩がして、足下が歪んでいくような感覚に包まれた。これはまずいと思うものの、自分ではどうすることもできず、じっと轟音の中に獄寺は立ちつくしている。
次第に体がフワフワとした浮遊感のようなものに包まれていき、ついでつま先から床の中へと足がめり込んでいくような感じがする。体がクラクラと揺らぐ。
倒れる──そう思った瞬間、トン、となにかに体がぶつかった。
爆風に煽られ、どこかに体をぶつけたのだろうかとうっすらと目を開ける。が、衝撃のせいか、はたまた白煙のせいか、視界はどんよりと淀んでいる。
どうやらやわらかなものがクッションとなり、獄寺の体を受け止めてくれたらしい。
打ち身やら打撲で本来ならば体のあちこちが痛むはずだったが、これっぽっちも怪我をしている様子はない。
助かったと思うと同時に、自分の下でクッションとなって受け止めてくれたのがなんなのかが気になって、獄寺は手探りをしてあたりの様子を確かめようとする。
「情熱的なのはいいんだけれどね、十四歳の獄寺君」
耳に覚えのある艶めいた声がして、ぐい、と腰のあたりに腕が絡みついてくる。
「うわっ……!」
急速的に四散していく白煙の向こうに、影が見える。
見慣れた癖のある茶色の髪の青年が、獄寺の腰を引き寄せているではないか。クッションになっていたのは、綱吉……それも二十四歳の綱吉だ。
「じゅっ……十代目?」
どうしてここに、と尋ねようとして獄寺は、自分がランボの十年バズーカに被弾したことを思い出す。あのアホ牛め、戻ったらぜってー許さねーからな。口の中で呟きながらも獄寺は、現状を思い出して顔面蒼白になった。
どうしてだかわからないが、自分は十年後の綱吉の部屋に飛ばされてしまったらしい。
「お、お休み中だったんスね、十代目。しっ、失礼しました!」
慌てて綱吉の上から飛び退こうとした獄寺だが、腰に回された腕のせいで、逃げ出すことができない。
「あのっ、う、腕……腕を、はなしてください、十代目」
ぐい、と腰を引き寄せられ、ますます互いの体が密着する。
ケットの下の綱吉は、眠たそうな眼差しで獄寺の顔を覗き込んできている。微かにアルコールのにおいがしているということは、酔っているのかもしれない。
「寝込みを襲いにきてくれたんじゃないの?」
ぐいぐいと引き寄せられ、ケット越しに互いの体がピタリと密着してしまう。
「や、そんな……あの、俺……」
ドギマギしながら獄寺は、ケットの下の人の顔を至近距離から見つめ返した。
疲れているのだろうか、目の下にはうっすらと隈が浮いている。すらりとした頬のラインと、人当たりのいい穏やかな口元。獄寺の体をしっかり抱き留めてくれた腕は力強く、十年後の綱吉がどんなに男前に成長したかがはっきりと感じ取れる。
「……もしかして、十四歳のオレと喧嘩でもした?」
心配そうに尋ねられ、獄寺は慌てて首を横に振る。
「違います! 十代目と喧嘩だなんて、そんなこと絶対にあり得ません!」
そう。喧嘩ではなかった。綱吉の部屋で二人きりで宿題をしていたのだ。そうしたら急にランボが乱入してきて、後はいつものお決まりのコースだ。あっという間に部屋の中はぐちゃぐちゃになって、ぶち切れた獄寺に、ランボが十年バズーカを向けてきた。綱吉はなんとか止めようとしてくれていたようだが、ランボのほうが動きが素早かったというだけだ。
それでも、少しだけ残念だったと思わずにはいられない。
密室で二人きりで宿題をしながら、ほんのちょっぴり、疚しいことを獄寺は考えていた。 夏の間につき合いだしたばかりの二人だったから、綱吉のほうはともかく、獄寺はあれやこれやと経験を重ねたくて仕方なかったのだ。手を繋いだり、寄り添い合ったりすることは自然にできるようになったが、キスはまだだった。せっかくの宿題日和で密室に二人きりとくれば、初キスぐらいはしておきたいところだ。
おまけに今日は、つき合い始めてちょうど一ヶ月。たまたま獄寺の誕生日に、つき合いだして一ヶ月の記念日が重なるだなんて、本当なら嬉しくて仕方がないところなのだ。
「それじゃあ──」
と、悪戯っぽい笑みを綱吉は口元に浮かべた。
大人になると、こんなふうに男の色気を表に出してくるものなのかと獄寺は一瞬、綱吉の顔に見とれてしまう。
「寝込みを襲う練習をするために、わざわざオレのところまで来てくれた……とか?」
真面目な顔をして尋ねてくるものだから、獄寺は思わず綱吉の言葉に頷いていた。
綱吉の手が、獄寺の体をぐい、と引きずり寄せる。
ずり上がった獄寺は、綱吉の腹の上に座り込んでいた。
「あのっ……あの、十代目……」
泣きたい、と獄寺は思った。
二十四歳の綱吉の腹の上に自分は跨っている。歳は違えども、十四歳の綱吉は自分の恋人だ。ケット越しではあるが恋人の腹の上に乗っているのだと思うと、恥ずかしくてたまらない。おまけによく見ると、ケットの下の綱吉は裸のように見えないでもない。少なくとも上半身は裸のようだ。
口をパクパクさせていると、綱吉の手が、獄寺の太股をそろりと撫でた。
「ねえ、獄寺君。どうやってオレの寝込みを襲おうと思っていたの?」
どうやってと言われても、返せるわけがない。自分はそんなつもりで十年後の世界に飛ばされてきたわけではないのだ。今回のは、純然たる事故でしかないのだから。
「や、あの、その……」
「話さなくていいよ。それよりも五分なんてあっという間に過ぎちゃうんだからさ、しっかりと練習していきなよ」
なんの、とは怖ろしくて聞き返せない。
それにしても、酔っている割になかなか冷静だなと獄寺はこっそりと思う。
「あの、俺……」
確かに、安易に頷いてしまった自分も悪い。
別に綱吉の寝込みを襲おうと思っていたわけはなかった。どうしてこんなことになってしまったのだろう。やはり諸悪の根元は、あのアホ牛、ランボしかいない。
「ほらほら、早くして」
そう言いながら綱吉は、自分の頬を指さしてみせる。
「ここ。ここにチュウ、って」
にこにこと笑ってはいるが、やはり酔っているのだろう、この状態は。
こんなふうに笑顔を全開にしてキスをねだるようなことをこの人がするとは、どうしても思えない。
「それとも唇にしてくれる?」
真っ直ぐに見つめてくる瞳はオレンジがかった不思議な褐色をしている。
このままじっとこの目を見ていると、言うことをなんでもきいてしまいそうになる。
獄寺はゴクリ、と喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
じりじりと焦らすようにして、少しずつ顔を近づけていく。ゆっくり、ゆっくり。
まるで早鐘を打つように高鳴る心臓の音。綱吉の唇。アルコールの微かなにおい。シーツの下の綱吉の体は大人の男のそれで、獄寺の体格は平均的な中学生のものだ。ドキドキする。綱吉の肩のあたりに手をかけて、上体を傾ける。煽るように股間をぐい、と綱吉の腹に押しつけて、獄寺は唇を寄せていく。
もう少し。
あと少しだ。
唇が、触れる──
チュ、と乾いた音がした。
綱吉の唇に、獄寺の唇が触れる。
一瞬、唇と唇がぶつかって、素早く離れていく。
恥ずかしい。綱吉の顔を見ることができないくらいに獄寺は、羞恥心を感じている。
「ほら、せっかくなんだから顔を上げて」
そう言うと綱吉は、獄寺の顎に指をかけ、くい、と上を向かせる。
すぐに綱吉の唇が近づいてきて、下唇を吸い上げられた。
「んっ……」
アルコールの香りがふわりと獄寺の鼻先を掠めていったが、嫌な感じはしなかった。
綱吉の舌が、唇をペロリと舐める。獄寺の背筋にゾクリと走ったのは、間違いなく快感だ。
「じゅ、ぅ……」
手を伸ばして、男の体に縋りつく。
獄寺の尻の下にある男の体が妙に意識された。
何度もくちづけを交わすうちに、綱吉の唇がうっすらと開く。恐る恐る獄寺は、今しがた綱吉にされたように唇をペロリと舐める。誘うように綱吉の舌がチロリと獄寺の舌先を舐めてくる。
「ん…んっ、ふ……」
もっと、と獄寺も舌を突き出す。
クチュッ、と湿った音がして、口の中にたまっていた唾液ごと舌をきつく吸われた。根本から痛いぐらいに吸い上げられ、獄寺は甘えるように鼻にかかった声を上げる。
こんなふうにキスをしたいと思っていた。つき合い始めた日からずっと獄寺は望んでいたが、あまりにも節操がなさすぎると思われないだろうかと、不安でもあった。
「十、だ……」
くちづけが深くなっていく。
尻の下で、綱吉の体が固く強張っていくのが感じられる。熱い。ケット越しに、綱吉の体が熱を帯びていくのが感じられる。獄寺自身も、脇の下にじっとりと汗をかいていた。
「もっと、キスして」
耳元で甘ったるく綱吉に囁かれた獄寺は、陶然としながら頷く。
何度もくちづけを交わしながら、尻をぐいぐいと綱吉の腹に押しつけていく。ケットの下で綱吉の体が身じろき、甘い溜息を吐き出す。
「おいで。もっとこっちへ……」
そう言われて獄寺は、綱吉に覆い被さるようにして上体を傾げていく。
舌を突き出し、綱吉の唇にパクリと噛みついた。舌を絡め合わせ、深く、深く……。
「んっ……ふ、ぅ……」
もっと、と舌で綱吉の口の中をまさぐり、角度をかえてもう一度唇を合わせようとした瞬間、耳鳴りがした。
「あ……?」
上体を起こした獄寺は、改めて綱吉の顔を見つめる。
「……タイムアウトみたいだね」
なにもかもお見通しの綱吉は、残念そうに呟いた。どうやら、こちらの世界で五分が経過したらしい。
「十代目、あの……」
言いかけた獄寺の唇に、綱吉の人差し指がそっと押しつけられる。
「向こうに戻ったら、十四歳のオレにキスしてくれる?」
そうしたらきっと、獄寺君にとって今日は素敵な誕生日になると思うよ──そう、二十四歳の綱吉は告げた。
頷き返そうとしたところで、ボン、と重低音が獄寺の腹に響く。
白煙が立ちこめる中でのろのろと元の世界の時間が戻ってくる。
気づくと、綱吉が手をさしのべているところだった。獄寺自身はどうしたことか、綱吉の部屋の宙に浮いた状態だ。床よりも、天井のほうが近い。このままだと、獄寺は重力に引かれて床に落ちることになるだろう。
「獄寺君!」
獄寺の腕を掴んで、綱吉が力一杯その手を引っ張る。
引き寄せられた反動で、二人してゴロンと床に転がった。
「痛っ……」
綱吉が小さく呟くのが聞こえた。
ゴロゴロと狭い部屋を転がって、ようやく体の回転が止まる。二人して抱き合ったまま、いったいなにをしているのだと思わずにいられない。
「……大丈夫だった?」
心配そうに綱吉が尋ねてくる。
「はい。十代目が庇ってくださいましたから」
綱吉が手をさしのべてくれなければ、獄寺の体は間違いなく無様に床の上に落ちていただろう。浮いていたのはほんのわずかな時間だったが、床からの距離は充分にあったと思う。
「無事でよかったよ」
ホッとしたように綱吉は笑った。それにつられて、獄寺も口元にうっすらと笑みを浮かべる。
それから、どちらからともなく顔を近づけていき……キスをした。
自分が二十四歳の綱吉の言葉通りにキスをしたのかどうかは獄寺自身にもわからないことだったが、その日が獄寺にとって最高の誕生日になったことは間違いない。
(2012.8.11)
END
|