花束はないけれど

  招かれた獄寺の部屋は相もかわらず閑散としたスペースが多かった。
  誕生日を二人きりで祝いましょうと言われて、面映ゆい気持ちで獄寺のマンションを訪ねた。今日の主役は十代目だから手ぶらで来てくださいと言われたものだから、額面通りに受け取って、綱吉はばか正直に手ぶらでやってきた。
  落ち着かないのは、だからだろうか。
  見慣れたリビングに通された綱吉は、そわそわと部屋の中を見回す。
  いつもと同じ部屋、同じ空気が漂っている。
  かただひとつ、普段と異なる空気が流れているとすれば、それはおそらく綱吉がいつになく緊張しているからだろう。
  だいたい、誕生日を祝うと言ってもいったいなにをするのだろう。学校帰りに急いで買ってきてくれたのか、ショートケーキとペットボトルのジュースがローテーブルの上に用意されている。
  困った、と、綱吉は思う。
  獄寺の誕生日をすっかり忘れていた自分は、薄情すぎる。恋人としてのおつき合いをするようになってかれこれ半年が過ぎたというのに、自分は獄寺の誕生日に気づくこともなく、当日はのほほんと自分の部屋でダラダラと寝転がってゲームをしたり買ってきた漫画雑誌をパラパラと眺めたりして過ごしていたのだ。
  だから余計に居辛い気がする。
  自分だけ祝ってもらうだなんて、あまりにも虫が良さ過ぎるのではないだろうか。
「ローソクつけてもらったんで、立てましょうか」
  嬉しそうに獄寺が尋ねてくる。
  ショートケーキは、笹川京子と三浦ハルがお気に入りだと公言してはばからないラ・ナミモリーヌの季節の柿のケーキだ。その隣にはモンブラン。綱吉に「好きなほうを選んでください」と言った獄寺の顔は真剣で、柿のショートケーキが食べたいとその瞳が語っているように見えないでもない。
  この場合、やはり柿のショートケーキは獄寺に譲るべきだろうか。誕生日を祝ってあげられなかったせめてものお詫びに、柿のケーキぐらいは譲ろうと、綱吉は思う。
「オレはこっちの栗のがいいな」
  コロンとした大きな栗がてっぺんに乗ったモンブランを指差して、綱吉は言う。
「いいんですか?」
  途端にパアッ、と顔を綻ばせて、獄寺がお伺いを立ててくる。目を大きく見開いて、「どうぞ」と言われるのを待つ彼は、まるで人懐こい犬のようだ。さしずめ、綱吉だけの忠犬といったところだろうか。
「いいよ」
  柿のショートケーキのほうが目新しくて美味しそうに見えたが、仕方がない。獄寺がこんなに喜んでくれたのだから、それで良しとしよう。
  綱吉は柿のショートケーキが乗った皿をぐい、と獄寺のほうへと押しやった。
「食べなよ、獄寺君が」
  誕生日を祝ってあげられなかったからとはさすがに言いにくい。それでも、言わなければ。
  どうしようか逡巡してから綱吉は、小さく息を吐き出した。
「オレ、獄寺君の誕生日のこと、すっかり忘れてたから……その……今日、一緒にお祝いしちゃおうか、なんて……」
  自分の言葉を誤魔化すように綱吉は、ははは、と空笑いをする。
  獄寺はと言うと、嬉しそうな、どこかしら困ったような複雑な表情をして綱吉をじっと見つめている。
「……いいんですか?」
  さっきよりも押さえ気味の声に、綱吉は頷いた。
「いいってば。それよりさ、ロウソク、一本ずつ立ててお祝いしよう!」



  ショップの店員が気を利かせてつけてくれたロウソクを一本ずつ、それぞれのケーキに立てた。
  火を灯したケーキを前に、二人して照れ臭そうな笑いを浮かべて、いち、にのさん、で炎を吹き消した。
「お誕生日おめでとうございます、十代目」
「ありがとう。獄寺君も、遅くなったけどお誕生日おめでとう。忘れててごめん」
  そう言うと綱吉は、モンブランにフォークを入れた。
  白いクリームが渦を巻き、頂上部には黄色の大きな栗。栗のまわりには見慣れた栗色のクリームが縁取りに飾られていて、見た目のボリュームもさることながら、甘ったるいクリームのにおいがして、ハルと京子の二人が美味しいと言っていただけのことはあると、一口食べて綱吉は思った。
「モンブラン、美味しいよ。獄寺君のは、どう?」
  ふわふわとしたクリームは思ったよりもあっさりとしていた。確かにこれなら、最後まで食べ飽きることもないだろう。
「はい、美味しいっス!」
  そんな言葉を交わしながら、二人でささやかなお祝いをした。
  ペットボトルのジュースもグラスに注げばいつもと雰囲気が異なり、なんだか二人きりでいることが特別な感じがして、ドキドキしてくる。
「あ……」
  ふと、獄寺がフォークを持つ手を止めた。
「ん? なに、どうかした?」
  つられて綱吉も手を止めると、獄寺の手が近づいてくる。見ていると、親指の腹でくい、と口元を拭われた。避ける暇もなかった。
「クリーム、口の端についてましたよ」
  悪戯っぽく笑うと獄寺は、恥ずかげもなく拭い取ったクリームをペロリと舌で舐める。
「えっ、あのっ、あ……あ、あ、あの、ありがと、獄寺君」
  ドギマギしながら綱吉は返した。
  恥ずかしい。顔から火を噴きそうなほど、恥ずかしい。
  下を向いて、ちらりと獄寺の様子を盗み見る。綱吉の様子には気づいてもいないのか、獄寺は「このクリーム、美味しいっスね。こっちのクリームとは違う味っスよ」と呑気に一人で話し続けている。
「……じゃあ、さ。一口ずつ、交換しよっか?」
  獄寺だけずるい、と、綱吉は思った。
  自分だって今のようなことをしたかった。獄寺の口元についたクリームを指で拭って、ペロリと。「クリームついてるよ、獄寺君」とかなんとか言って、たまには恋人同士の雰囲気を楽しんでみたいと思ったりしていたのに、先を越されてしまったのが残念でならない。
「いいっスね」
  獄寺が返事をする。
  さっそく綱吉は自分のモンブランから一口分をフォークで切り分けると、獄寺の口元へと切り取ったケーキを持っていく。
「どうぞ、獄寺君」
  唇の端にでもクリームをつけてくれないかなと思いながら綱吉は、獄寺の口元に差し出したケーキがパクリと食べられるのをじっと見つめている。
「栗の味がします」
  獄寺が不思議そうに呟く。
  白いクリームはいつも食べているショートケーキの生クリームと同じものだろうと綱吉は思っていたが、そうではなかった。微かに栗の風味がしていて、クリームもよく見ると小さな栗の粒がところどころに混じっている。だから栗の味がするのだろう。
「小さい栗の実がクリームに入ってるからかな?」
  さっきから思っていたことを綱吉が口にすると、獄寺は「さすが十代目!」と目を輝かせる。
「それじゃあ十代目、次はこの柿のショートケーキっスよ」
  そう言うと獄寺は、自分の皿のケーキを丁寧にフォークで切り分けて、綱吉のほうへと差し出してくる。綱吉がしたのと同じように、フォークを口元へ差し出し、ご丁寧に「あ〜ん」と言ってくれている。
「じゃ……じゃあ、いた…いただきますっ」
  自分がする側だと気にもならなかったが、される側になると急に恥ずかしく思えてくるのはどうしてだろう。
  ぎゅっと目を閉じて綱吉は口を大きく開ける。
「目は閉じなくてもいいっスよ、十代目」
  わかっているが、つい反射的に目を閉じてしまったのだとも言えず、綱吉はそっと目を開いた。
  ケーキをパクリと口にすると、爽やかな柿の味が口の中に広がっていく。
「あ……おいしい!」
  声を上げると、獄寺がそれはそれは嬉しそうな顔をして綱吉を見つめていた。



  ジュースで何度も乾杯をして、ケーキを食べた。ケーキがなくなるとスナック菓子が出てきて、またしても食べて、飲んで。
  子どもじみたお誕生会だったが、それでもかまわなかった。
  つき合っている二人だから、こんなふうに互いの大切な日を祝い合うことができたのが嬉しくてたまらない。誰にも邪魔されず、二人だけで好きなだけ言葉を交わして、笑い合った。
  さんざん食べて飲んでした後で、そろそろ夕方だから帰るねと告げた綱吉に、獄寺は寂しそうな横顔を見せたことも印象深い。普段なら気にもせずに別れていくのに、今日に限ってはなぜだか帰りがたく思えてしまう。
「……帰らないと」
  今日は綱吉の誕生日だから、母の奈々が腕を振るってくれているはずだ。獄寺の家に遊びに行くと言って出かけたが、泊まるとは言っていない。夕食時には帰らなければ、注意をされるだろうし、母の料理も無駄になってしまうだろう。
「そうっスね」
  獄寺も、そういったことはちゃんと理解している。だが、どうしても別れがたいのだ。
「あの……すんません、十代目。俺、プレゼントまでは気が回らなくて……」
  ノロノロとリビングを後にしようとする綱吉に、獄寺が声をかけてくる。申し訳なさそうにしょんぼりと肩を落とす姿は、やはり寂しそうに見える。
「うん。オレも、獄寺君にプレゼントの用意してなかったし……」
  振り返って綱吉も、同じように静かに告げる。
  このまま帰るのは、嫌だ。もう少しだけ一緒にいたい。二人だけの時間を過ごしたい。そう思うと綱吉は、大股に獄寺のほうへと歩み寄っていく。
「うちで、一緒に夕飯食べない? 母さんは人数が多いほうが嬉しいみたいだし、気にしなくてもいいから……」
  自分が帰らなければならないのなら、獄寺に家まで来てもらえばいいのだ。
  獄寺の目をまっすぐに覗き込んだ綱吉は、「うちへ、おいで」と告げた。
「プレゼントなんかなくたっていいよ。獄寺君が祝ってくれたら、それでオレは充分に嬉しいんだ」
  そして二人で一緒に過ごすことができるのなら、これ以上、嬉しいことはない。
  目の前に立ちつくす獄寺の手を取ると綱吉は、ぐい、と自分のほうへと引き寄せる。自分よりも少しだけ背の高い獄寺の足がもつれてよろけそうになるのを、引き寄せた腕に力を入れて抱き留める。
「獄寺君がうちに来てくれたら、それだけでオレは嬉しいよ」
  耳元に囁きかけた綱吉は、獄寺の首筋にそっとキスをした。



(2012.10.14)
END



BACK