気がついたら綱吉は、パタン、とベッドの上に押し倒されていた。
自分の上にのしかかる獄寺が、必死の形相で綱吉に掴みかかろうとしている。
まずい、怒らせてしまった──そう思って慌てて起きあがろうとすると、素早く腕を掴まれた。自分よりも腕力のある獄寺を押し退けようとするうちに、いつしか指と指とが絡まり合っている。
「……すんません、十代目」
今にも泣き出しそうな不思議なグリーンの瞳が、悲しそうに綱吉を見おろしてくる。酔っているからだろうか、目の縁がほんのりと色づいて、やけに艶めかしく見える。
「すんません……」
呟き、獄寺はそっと綱吉の肩口に額を乗せた。ぐいぐいと、まるで甘えるように額を押しつけてくるその仕草が可愛らしくて、綱吉は小さく唇を緩めた。
「……好きになってしまって、すんません」
男なのにと獄寺が続けようとするから、綱吉は目の前の銀髪をパクリと唇で挟む。そのまま絡まり合った指をぎゅっと握り返すと、獄寺の手にピクリと力が籠もるのが感じられた。
「オレも、獄寺君のこと好きなんだけど?」
好きでなにが悪いのだと綱吉は思う。自分だって、もうずっと以前から獄寺のことが好きだったのだ。その気持ちまで傷つけられたような気がして、少しだけムッとして、繋いだままの獄寺の手をもういちど、強く握りしめる。
「それにオレのほうが獄寺君よりも背が低いし、腕力だって負けてるし……」
「知ってます。そんなこと俺、ちゃんと知ってますからだいじょーぶっス。それに、本当の十代目がどんなにすごいかも、俺は知ってますから」
そう告げると獄寺は顔を上げ、綱吉の目を覗き込んでくる。
──キス、したいな。
不意に綱吉は思った。
獄寺にキスしたい。彼が少しだけ顔を下げてくれたら、唇を合わせることができるのに、と。
酔っている相手にキスをするのは少し気が引けたが、それでもそんな気分になってしまったのだから仕方がない。
空いていたほうの手を獄寺の首の後ろに回すと綱吉は、後頭部に手を当ててぐい、と自分のほうへと引き寄せる。
「十、だ……」
言いかけた獄寺の言葉ごと、唇で絡め取った。
「ん……っ」
舌先で唇をつつくと、わずかに隙間が空いた。舌を差し込むと、獄寺の口の中はあたたかくて、夕飯の時に食べた粕汁の酒粕のにおいがほんのりと残っている。
綱吉の誕生日だからと、今夜は母の奈々がお赤飯を用意してくれていた。このところ冷え込むようになってきたから体が温まるようにと粕汁が出たが、それ以外はいつものお子さまメニューのオンパレードで、ハンバーグにオムレツ、スパゲッティ、デザートにはお手製のケーキが出て、誰もが満腹になった。そんな中、獄寺一人が粕汁で酔っぱらってしまい、食事が終わる頃には今にも暴れ出しそうな勢いだったため、今夜の主役のはずだった綱吉は早々に部屋へ引き上げてきたのだ。
たかが粕汁で酔っぱらってしまうのだから、食生活の違いというのは面白い。今夜の獄寺は、粕汁初体験だったらしい。そんなもので酔ってしまうこと自体、綱吉には不思議でならなかった。同時に、だったら奈良漬けはもっと危険だな、とも思う。
後頭部から背中へと手をずらしていくと、息継ぎの合間に獄寺が啜り泣くような声を洩らした。
酔っぱらってふにゃふにゃと笑いながら暴れかけていたから自室へと連れて上がってきたというのに、あっさりと綱吉は押し倒されてしまった。かと思えばこんなふうに泣き出すだなんて。
「……獄寺君?」
恐る恐る声をかけたが、決まりが悪いのか獄寺は顔を上げようとしない。もしかして綱吉の肩口にしがみついたまま、ぐずぐずと泣いているのだろうか。笑い上戸の次は泣き上戸だなんて、これでは大人になった時に大変だなと、綱吉は小さく笑った。
「獄寺君、眠い? 喉が渇いているなら下から水、もらってくるけど?」
声をかけると、小さく頭が横に振られる。
「……いりません。それよりももう少しだけ、こうしていたいっス」
とんだ甘えただ。
綱吉はふぅ、と息を吐き出すと、獄寺の背中を優しくトン、トン、と叩いてやった。
抱き合ったままの格好でいると、獄寺の鼓動が衣服越しに感じられる。
心音に耳を傾けると、穏やかな気分になっていくのはどうしてだろう。静かで、ほんのりとあたたかで、そこに眠気が入り交じって、いい雰囲気だと綱吉は思う。
このまま眠ってしまえたら、なんだかいい夢が見れそうな気がする。
目を閉じて、獄寺の鼓動に耳を傾けて……。
うつら、うつらとしかかったところで、獄寺が身じろいだ。
「……十代目。もう寝られましたか?」
少し掠れた声で尋ねられ、綱吉はその声の心地よさにうっすらと目を開ける。
「ううん、まだ起きてるよ」
この可愛らしい酔っぱらいをどうしてくれようと思いながら、綱吉は獄寺の体を無意識のうちにぎゅうっ、と抱きしめている。
「俺……なんだか酔ってたみたいっス。さっきはスンマセンでした」
大人になったら笑い上戸に泣き上戸の大虎になるかもしれないなと思いながら綱吉は、もういいよ、と呟く。
「粕汁を口にするのが初めてだったんだから仕方ないよ」
「もう、大丈夫っス」
綱吉の体にしがみついたままの獄寺はなんだかおとなしい。もしかしたら、まだ酔いが覚めていないのかもしれない。
滅多にないことだけど小さな子どもならたまにあることだからと、母の奈々も心配していた。獄寺は小さな子どもなんかではなく綱吉と同じ中学生なのにと思ったが、イタリアと日本の食生活では違いがあるから、そういうこともあるかもしれないと母は言うのだ。綱吉には難しいことはよくわからなかったが、母が言うのならそういうこともあるのかもしれない。
こめかみに唇を寄せると、抱きしめられたままの獄寺がくぐもった声を上げた。
「俺……このままでいいんでしょうか。このまま、十代目のおそばにいてもいいんでしょうか」
綱吉の服を握りしめて、獄寺は尋ねてくる。
その様子があまりにも必死だから、綱吉のほうも、真剣に獄寺の言葉に耳を傾ける。
「いいに決まってるだろ。なに言ってるんだよ」
そう言って獄寺の銀髪にそっと指をくぐらせた。さらさらとした細い質の髪は手触りも良く、いつまでも触れていたい気がする。
「だって十代目、俺は……」
言いかけた言葉の先がどこへ続くのかわかっているから、綱吉はわざと獄寺の髪を引っ張った。
顔を上げた獄寺の鼻先にちょん、とキスをしてやる。
「オレたちはオレたちだよ。お互いに好きなんだから、このままでいいよ。無理にかわろうとか、しんどい思いをしてまでする恋愛じゃないだろ?」
自分からオープンにするつもりはなかったが、へんに隠してしまうとボロが出るのもこれまでの経験から綱吉にはわかっていた。隠し事をしようとすると、どうしても言動がぎこちなくなるのは疚しさのせいかもしれない。或いは、罪悪感か。だから、なにもかも自然の成り行きに任せることにしたのだ。
二人がつき合っていることも、それが誰かの知るところとなってしまうことも、なにもかも自然に任せることにしたのだ。
それを獄寺が不安がっていることは、綱吉も気づいている。
「それとも……オレの言うことも信じられない?」
それほどまで不安だと獄寺が言うのなら、つき合わないほうがいいだろう。
互いに無理をしても、長続きするはずがない。
綱吉はもうとっくに腹を括っている。獄寺も、あれやこれやと心配をするばかりでなく、ここらで腹を括るべきなのだ。
「……十代目のお言葉なら、信じられます」
さっきよりもはっきりとした声で、獄寺は告げた。
それでも本心ではまだ不安なのだろう。いつものような強気なところは見られない。
「どうしたら、不安じゃなくなるのかな」
ポツリと綱吉は呟いた。
どうしたら獄寺の不安を取り除くことができるのかを、綱吉は知っている。自分にしかできないことだが、綱吉自身はその考えには賛同しかねているところではあったが。
長い長い沈黙の後で、獄寺がボソボソと綱吉の耳元に囁きかけてくる。
その甘い囁きに、綱吉の体がじわりと熱くなる。
わかっている。そうすれば不安が取り除かれることは、少し前からわかっていた。
だが、綱吉自身、そうすることに躊躇いがある。
獄寺は本当にそれでいいのだろうか?
男同士なのに?
痛いかもしれない……いや、獄寺も初めてだと言っていたから、絶対に痛いだろう。
それでも望むのだろうか、その行為を?
「オレは……痛いのは嫌だな」
はっきりと、獄寺の耳元に告げる。
獄寺を傷つけるのは嫌だった。慣れない行為だから、獄寺には余計な負担をかけてしまうこともわかっている。そもそも綱吉自身、女の子との性の経験がないのに、男同士の行為に慣れているはずがない。
「でも俺は、痛くても構わないんです」
十代目のものにしてくださいと、獄寺が切ない声で囁いた。
そうすることが獄寺にとってはいちばんの安心になるということはわかっている。わかってはいるが……。
「じゃあ、途中までで」
それで許してくれと綱吉は思う。
自分自身、まだまだ大人になれりきれていない状態だ。少しずつ獄寺のことを理解したいと思っているのと同じように、段階を踏んで恋人として肌を合わせていきたいと思っている。
キスがやっとの綱吉に、いきなり最後までを期待されても困るのだ。
「……わかりました」
しょぼん、とうなだれつつも獄寺は頷いてくる。
気持ちが逸ろうが、やはり基本的には綱吉の気持ちを優先してくれるあたり、自分は大切にされているなと思う。
「じゃあ……」
どうしようかと思案しながら綱吉は、獄寺の頬に手をやる。
「今夜は、キスだけで──」
(2012.10.17)
END
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