溜息の冬休み

  コンビニで新発売の駄菓子をいくつか買い込むと、獄寺はのんびりとした足取りで通い慣れた道を歩き出す。
  年末から姉のビアンキと二人してイタリアに里帰りをしていた獄寺にとっては、久しぶりの並盛だ。懐かしいと思えるほどに自分は、この町に馴染んでいる。この町の空気に染められて、いつの間にか溶け込んでさえいた。
  立ち止まり、ふと見上げると鮮やかな空の色が目に入ってくる。それから、あたたかな日差しを投げかける太陽が。
  ときおり吹きつける風は優しく、冷たさも今日はなりを潜めている。
  歩きだすと、コンビニのビニールバッグがワシャワシャと鳴る。
  久々の十代目詣でだから、少しでも格好良いところを見てもらいたい。前髪を掻き上げ、たいしてかわらないのにあれこれと手櫛で梳いては、髪の流れを気にしてみる。
「新年初めてだからな」
  ポツリと呟いて、ふっと獄寺は口元を緩める。
  綱吉に会えるのだと思うと、嬉しくてたまらない。
  まさか冬休みのほとんどをイタリアで過ごすことになろうとは思ってもいなかったから、こうして無事に並盛に戻ってきて綱吉に会えるのだと思うと、涙が出るほど嬉しいのだ。
  欲を言うと、できるなら冬休みに入る前に時間が戻ってくれたならと思わずにいられないが、今は贅沢を言っている場合ではない。
  気合いを入れるために両手でパン、と頬を叩くと獄寺はピシッと背筋を伸ばして、辿り着いた沢田家の玄関チャイムを鳴らしたのだった。



  終業式の後、大手を振って綱吉と遊びに行こうと思っていたのにビアンキに半ば引きずられるようにして空港へ連れて行かれた。
  喚いても無理だとわかっていたから大人しくしていたものの、実家に連れて行かれるのだと前もってわかっていたならきっと、自分は綱吉からは離れなかっただろうと思う。
  綱吉と恋仲になったのは中学の時だ。密かに気持ちを堅め合って、二人は高校へと進学した。
  高校生になって初めての冬休みだから、綱吉と一緒に遊び倒そうと思っていた。クリスマスにお正月、できることならスキーにも行ってみたかった。
  いろいろと、やってみたいことが山のように積み上がっていたというのに、ひとつとしてクリアすることができなかったのが悲しくてたまらない。ビアンキの……姉のせいで綱吉とは、終業式後から顔を合わすことができないでいた。
  あの女、今度会ったらただじゃおかねーぞ──そんなことを胸の奥底でこっそりと呟き、獄寺はドアが開くのを待つ。
  しかしドアは開かなかった。
  いつもなら玄関のチャイムが鳴るとバタバタと飛び出してくるちびっ子共が出てくることもなく、綱吉の母が出てくることもない。
「あ?」
  そもそも、門扉が固く閉ざされている時点からおかしいと思うべきだった。
「家族で出かけてるのかな」
  そんな話を綱吉から聞いた覚えもなかったが、誰もいないのだから仕方がない。
  はあぁ、と溜息をひとつつくと、獄寺はクルリと踵を返した。
「しゃーねーな。帰るか」



  せっかくの十代目詣でだと言うのに、顔を見ることすらできなかった。
  どうしてこんなにすれ違ってしまうのだろうか。
  コンビニのビニールバッグがワシャワシャと音を立てているのが耳障りで、獄寺は顔をしかめる。
  本当なら今頃は、綱吉と二人でコンビニ菓子を食べていたはずだった。
  はあぁ、と溜息をつくと獄寺は、恨めしそうに背後に小さくなった沢田家をちらりと見る。
「正月っちゃ、正月だもんな……しゃーねーか」
  もうひとつだけはぁ、と溜息をつくと獄寺は、のろのろとした足取りで家へと帰っていく。
  猫背の後ろ姿が寂しげで、道行く人がすわ何事かと振り返るほどだ。がっくりと肩を落とし、自分でも気づかないうちに溜息を零す。
  こんなことなら、家に直行してごろ寝でもしていればよかったと獄寺は思った。
  イタリアから戻ってきて、荷物を置くのもそこそこに沢田家へやってきたのだ。
  綱吉の顔を見ることができると思っていたからできたことだが、本当は眠くて眠くて仕方がなかった。実家と言えども滅多に寄りつくことのない家で眠るのは、獄寺には苦行にも近かった。かえって寝不足になってしまい、一分でも一秒でも早く、自宅のベッドで眠りたいと思っていたのもまた事実だ。
  とは言うものの、家に帰ったところで一人でしかない。
  楽しいことなんてどこにもない。
  綱吉と会えないことがこんなにも辛いことだなんてと、獄寺はまた、溜息をつく。
  このまま溜息と共に、地面に沈み込んでしまいそうだ。



  肩を落として見慣れた自分のマンションへと戻ってくると、入り口の近くに人影が見えた。
「あ……」
  見間違えることのないシルエットに、獄寺の心臓がドキドキと脈打ち始める。
「十代目……」
  ポソリと呟くと同時に、人影がこちらを振り返る。
「……獄寺君」
  あどけなさの残る頬のあたりのラインが、獄寺はお気に入りだ。本人は子どもっぽいと気にしているようだったが、獄寺にしてみればそんなことは関係ない。元々、綱吉のことを顔で好きになったわけではない。綱吉のなにもかもを知り尽くした上で、獄寺は好きになったのだ。幼かろうが、背が低かろうが、そんなことはどうでもいい。
「あの……ただいま帰りました、十代目」
  照れくささを感じながらも獄寺が告げると、綱吉はニコリと笑った。
「お帰り、獄寺君。ビアンキから、獄寺君がイタリアの実家へ帰った、って聞かされた時には驚いたけれど……元気そうでよかったよ」
  綱吉はどことなく言いにくそうしている。
「姉貴から聞いてた……んですか?」
  まさかビアンキが綱吉に話しているとは思ってもいなかった。怪訝そうに獄寺が尋ねると、綱吉はさらに困ったような表情になった。
「あ、いや、あの……その、ビアンキが……や、そうじゃなくて……オレ、獄寺君に見限られたんじゃないかと不安になって……その……」
  見る見るうちに綱吉の言葉は途切れ途切れになっていき、そのうちに肩を丸め、萎縮してしまう。
「姉貴のヤツ、なんて言ってたんスか?」
  おおかた、ろくでもない嘘を並べ立てて綱吉に不安の芽を植えつけたのだろう。あの女ならやりかねないと、獄寺は臍を噛む。
「あー……オレが頼りないから、獄寺君が怒って実家に帰っちゃった、って……」
  ははっ、と頼りなく笑う綱吉を、獄寺は抱きしめたいと思った。こんなに可愛らしい表情をする人が、自分の恋人だなんて、いまだに信じられない時がある。
「そんなことを……姉貴のヤツ……」
  ビアンキなりに可愛い弟を心配しての言葉だからと綱吉は彼女をとりなそうとする。そんなことをする必要はないのに。獄寺は苛々と綱吉の手を掴んだ。
「俺は、姉貴にムリヤリ飛行機に乗せられたんスよ、十代目」
  帰りたくて帰ったわけではないのだと、獄寺が告げる。
  綱吉は弱々しく笑うと、獄寺の手を握り返した。
「よかった」
  ほっ、と溜息をつくと綱吉は、今度は獄寺の身体に腕を回し、抱きしめた。
「よかったよ、獄寺君が実家に戻ってしまったんじゃなくて。オレ、気が気じゃなかったんだからね、冬休みの間中!」
  耳元に、綱吉の吐息がかかる。あたたかくて、くすぐったい。獄寺は首を竦め、綱吉の肩に額を押しつけた。
  格好悪くても、それを正直に表に出す綱吉のことが好きだと、獄寺は思った。



  獄寺はマンションの部屋のドアを開けた。
「……おじゃまします」
  遠慮がちに綱吉は小さく声をかけてから靴を脱ぐ。
「どうぞ、十代目。あ、新作のコンビニ菓子、さっき買ってきたんスよ」
  いっしょに食べましょうと声をかけると、綱吉は嬉しそうにリビングのソファの自分の指定席にさっと腰を下ろす。
「オレも、獄寺君にお土産があるんだ」
  言いながら綱吉は、すぐ隣に座った獄寺の肩をぐい、と引き寄せる。
「十代目?」
  お土産って、なんですか──そう尋ねようとした獄寺だったが、実際に声に出して尋ねることはできなかった。
  素早く綱吉の唇がおりてきて、獄寺の唇を塞いでしまったからだ。
  クチュ、と湿った音を立てながら、綱吉の舌が獄寺の口の中へと侵入してくる。
「ん、ぅ……」
  久しぶりの綱吉のにおいに、酔いそうだ。
  舌を動かして綱吉の舌をちょん、とつつくと、すぐに唾液ごと絡め取られた。吸い上げられ、啜り取られ、背筋がゾクゾクと震える。
「ふ、ん……お土産って……」
  はあ、と獄寺は息をついた。キスの合間の息継ぎに、綱吉は余裕の笑みを返してくる。
「お土産は、オレ。獄寺君に進呈するから、今日一日、好きにしてくれていいよ」
  そんなことを言われてしまったら、嬉しくて困ってしまう。
  獄寺はこっそりと溜息をつくと、綱吉の唇にかぶりついていったのだった。



(2012.1.8)
END



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