アミューズメント銭湯の湯船に肩まで浸かった獄寺は、ちらちらとシャワーブースへと視線を馳せている。湯船の中にブクブクとつかりこみながら、恨めしそうな秋波を送ってみるものの、綱吉は一向にシャワーブースから出てくる気配がなさそうだ。
ずらりと並んだシャワーブースの奥まったところに綱吉がいることは先刻承知だが、姿はおろか、髪の先すらも見えないのがじれったい。獄寺の頬は自然と上気して、心臓はドキドキと鼓動を打ちだす。
早くお湯に浸かりに来ればいいのにと思うと同時に、そんなにすぐにこっちに来られると困ってしまうと、獄寺はさらにブクブクと湯の中に沈み込んでいく。
鼻から上はかろうじて湯船から出ている状態で、またしてもチラリとシャワーブースへと視線を馳せる。
いっそこのまま先に上がってしまおうか。
少し湯当たりしたかもしれませんと声をかけておけば、先に上がってしまったとしても言い訳は立つ。
どうしよう、どうしようと頭の中でグルグルと考えているうちに、のぼせてきたのか頭がクラクラとしてくる。
はあぁ、と盛大に溜め息をついた途端、浴場をランボが駆け回る姿が視界に入ってくる。ギャアギャアと騒ぎ立てて、こんなところでもうるさいやつだ。
「ギャハハハハッ! ランボさんがいっちば〜んっ!」
雄叫びを上げながらランボがは、獄寺が浸かっている湯の中に勢いよく飛び込んでくる。その瞬間、お湯が大きく跳ねて、あたりに飛沫が飛び散った。獄寺一人が貸しきり状態で浸かっていた浴槽にちびっこ二人が入ってきたことで、急に周囲が騒がしくなったような感じがする。
ムッとした獄寺は、飛び込んできたばかりのお子様の首根っこをわし掴みにした。
「うるせー、アホ牛」
そのままお湯の中で立ち上がった途端、獄寺の目の前がフラリと歪んだ。
「あ……?」
慌ててなにかに捕まろうとするが、お湯の中だ、手摺もなにもない。当然だろう。ランボが飛びこんで来るまでは浴槽の隅のほうにいたのだが、気づかないうちに真ん中のほうへ来てしまっていたらしい。
「あわわっ……」
よろめき、咄嗟にすぐそばにいたランボの頭に手をついてしまったものだから、体重をかけられたほうはたまったものではない。そのまま二人して無様にもがきながら、ブクブクとお湯の中へと沈んでいくしかなかった。
「く、ん……ご……ら、君……」
額に冷たいものが当たって、気持ちがいい。獄寺はまだ眠っていたいような気分の中で、額に感じる冷たさを心地よく思っていた。
「獄寺君っ?」
少し強い調子で声をかけられ、獄寺はハッと目を開けた。
慌てて起きあがりかけたものの一瞬、目眩を起こしかけたのか、クラリとなって体が傾ぐ。
「大丈夫、獄寺君?」
フラリとなった獄寺の身体を支えながら、綱吉が声をかけてきた。
「……十代目」
呟いた獄寺の声は、弱々しく掠れている。
「お風呂で逆上せたの、覚えてる?」
尋ねられ、獄寺は微かに頷いた。
そう言えば自分は、みっともないことに風呂の中で溺れてしまったのだ。きっとあれやこれやと考えすぎて、湯あたりを起こしていたのだろう。湯船の中から急に立ち上がった途端、クラリときたのだ。
「は、あ……なんとなく」
慌てて体を支えようとしたら、ランボの頭しか縋ることのできるものがなくて、仕方なしにしがみついたら二人一緒に湯船の中に沈んでしまったのだ。
「みっともないところを晒してしまいました。面目ないっス」
醜態を晒すとはまさにこのことだと、獄寺はしょんぼりと項垂れる。
「なに言ってんだよ。そんなことより、大丈夫そうでホッとしたよ。あんまり驚かさないでくれると嬉しいんだけど」
ホッとしたように綱吉が言うと、獄寺は申し訳なさそうにもう一度、「スンマセンでした」とただただしょぼくれるしか他はなかった。
あまにも恥ずかしすぎて、たまらない。うつむくと、耳たぶのあたりがカッカしだして、それから頬から首筋へとかけて、さあ、と熱が走るのが感じられる。
「とにかく、無事でよかったよ」
恥ずかしくて獄寺は、綱吉の顔をまともに見ることもできない。溺れたところを助けられ、綱吉の自宅にまで担ぎ込まれたらしきことは、わざわざ綱吉本人の口から聞かされずとも、今のこの状況をざっと見ただけで予測することができた。うつ向いたまま恥ずかしさのあまりモジモジしていると、さっと目の前にスポーツドリンクが差し出される。
「飲みなよ、獄寺君。喉、渇いてるだろ?」
反射的に顔をあげると、綱吉が労るような眼差しで獄寺を見つめていた。
「どうぞ」
獄寺の手を取った綱吉は、その手の中にペットボトルを押しつけてくる。ヒヤリとした感触がして、てのひらが気持ちよかった。
途端に口の中がカラカラに渇いていたことを獄寺は思い出し、喉の奥がヒリヒリと痛みと渇きを訴えてくる。
「あ…りがとう、ございます」
なんとかそう告げて獄寺は、スポーツドリンクを口にすることにした。
キャップを捻るとボトルに直に口をつけ、ゴクゴクと喉を鳴らして半分以上を一気に飲んでしまう。ふぅ、と息をついてペットボトルを持ち直したところで、綱吉の視線を感じた。
「ごちそうさまです、十代目」
おずおずと告げると獄寺は、手に持ったスポーツドリンクをどこへ置こうかと思案する。あたりをキョロキョロと見回していると、綱吉の手がさっとペットボトルを取り上げる。まだ中身の残るボトルを無造作に枕元に寝かせ、綱吉は悪戯っ子のようにニヤリと小さく笑った。
「ここに置いとけばいいよ。また喉が渇いたら、すぐ飲めるだろ?」
その言葉に獄寺は、何故だかドキドキとしてしまう。
どうしよう、なんでこんなにドキドキするんだろうと、獄寺は思う。
顔が熱い。耳たぶも、首のあたりも熱い。顔が赤いのを悟られないように、獄寺はさっと下を向く。どうか、気づかれませんように。そう思いながら必死で次の言葉を考える。
「あれ、なんか顔赤いよ、獄寺君。大丈夫?」
ちょっとごめんねと断ると綱吉は、獄寺の額に手の甲で素早く触れてくる。
「少し熱いかな」
額に触れる綱吉の手は、ペットボトルよりはぬくいが、それでも今の獄寺にはひんやりとして感じられた。
「……十代目の手が、冷たいからですよ」
ボソボソと返すと、綱吉は「そうかな?」と首を傾ける。
「だってほら、今の今まで俺はずっと休ませてもらってたんスから」
「そう? でも獄寺君、やっぱり熱いよ」
そう言って綱吉は、ずい、と顔を寄せてきた。コツン、と額と額がくっついた。獄寺の目の前に綱吉の顔がすぐ近くにある。薄茶の瞳がじっと獄寺の瞳の中を覗き込んでいるような感じがして、とてつもなく恥ずかしい。
「じゅ…じゅ、ぅ……」
慌てて体を退こうとすると、綱吉の手ががしりと獄寺の後頭部を固定してきた。
「ほら、じっとして」
熱が計れないと、綱吉が呟く。
じっと硬直したまま獄寺はドキドキするばかりだ。胸の鼓動が綱吉に洩れ聞こえてしまわないだろうか、このまま体中が熱くなって真っ赤に茹だってしまったらどうしようかと、あれこれと考えるのに忙しい。
しばらくして、綱吉の額がそっと離れていった。どこかしら名残惜しそうに、掠めるように鼻先が触れ合って、それから完全に二人の距離は離れてしまう。後頭部を固定していた手からも力が抜けて、獄寺はようやく解放されたらしい。
「……ごめん。わからなかったよ」
困ったように小さく笑って綱吉が告げるのに、獄寺はアワアワと両手を振り回した。
「そんな、滅相もありません、十代目!」
これ以上そばにいられると、自分がどういう状態にあるのかがバレてしまうかもしれない。
それとも、綱吉の超直感で、既に獄寺の状態なんてお見通しなのだろうか。
「も、本当に大丈夫っスから……」
言いながらベッドから降りようとするものの、床に足をつけた途端に獄寺は、フラリとしてよろめいてしまう。
「無理だよ、獄寺君」
苦笑しつつも綱吉は手を伸ばし、獄寺の身体を支えてくれた。
「夕飯ができたら持ってきてあげるから、よかったら今日はうちに泊まっていきなよ。ね?」
「いやいやいやいや、そんな……ご迷惑でしょうから……」
「大丈夫だって。母さんは気にしないし、オレも……獄寺君が泊まってくれたら嬉しいな」
その言葉に、獄寺はさらに顔を赤くする。
どうしよう、どうしよう、どうしよう……!
綱吉に泊まっていくように言われてしまった。
沢田家には何度か泊まったこともあるけれど、山本が一緒だったりディーノやバジルが一緒だったりした。二人きりのお泊まりというのは、もしかしたらこれが初めてのことではないだろうか。
ドキドキと高鳴る胸の鼓動を押さえ込むように、獄寺は着ていたシャツの胸のあたりをきゅっと握りしめた。
「はい……じゃあ、あの、お言葉に甘えて泊まっていくことにします」
知らず知らずのうちに、声が震えてくる。
柄じゃないなと、自分でも獄寺は思う。自分はこんなふうに、好きな人の前でドキドキしたり、恥ずかしくなったりするような人間ではなかったはずだ。
いつから自分はこんなふうになってしまったのだろうか。
こんな、自分ではないような行動を取るようになってしまうだなんて、思ってもいなかった。いったいなにが自分をこんなふうにしてしまったのだろうか。
「もう少し休んでいるといいよ。オレ、下に行って手伝ってくるから」
そう言うと綱吉は、獄寺の髪に素早く指先を絡め、さっと離れていった。
「じゃ、ちゃんと寝てるんだよ」
そう言われたことがやけに嬉しくて、獄寺は頷きながらも口元が自然と緩んでしまうのを抑えられないでいる。これでは変なヤツでしかないと慌てて口元を引き締めると、眉間に深い皺を寄せ、鹿爪らしい表情を作ってみる。
そんなことをしながらも獄寺は、ベッドの中でどうしよう、と悩んでいる。
頭の中でグルグルと考えていると、そのうち目眩がしてくる。
さっきと同じだ。風呂場で頭の中が飽和状態になって、そのまま倒れてしまったのと全く同じ症状ではないか。
ベッドの中、ケットの奥深くに潜り込んで獄寺は、ぎゅう、と目を瞑る。
階下から漂ってくるおいしそうなにおいも、今の獄寺にはなにほどの抑制力にもならない。
ベッドの中で体を丸めて獄寺は、いつまでも「どうしよう、どうしよう」と悩み続けるのだった。
(2012.3.4)
END
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