幸せのおすそわけ

  屋敷の中をぐるぐると歩き回りながら綱吉は、「おかしいな」と小さく呟いてみる。
  姿が見えないのだ、ランボの。
  夕方、綱吉が屋敷に戻ってきた時には確かにいた。明日の予定をちらっと話して、獄寺とフゥ太を交えた四人で夕食をとった。
  ランボがいなくなったとしたら、その後のことだ。
  別に急ぎの用があるというわけではない。ただ何となく気になって、捜し始めたらなかなか姿が見つからないというだけのことだ。
  こんな時間からいったい、どこへ行ってしまったのだろう。
  ちょっとコンビニへ……というわけではないだろうことはわかる。
  綱吉とその守護者が集うこの屋敷には、ランボの好きなものならだいたいのものは用意してある。十五歳という、やんちゃな年頃のランボがあっちフラフラ、こっちフラフラとしないよう、フゥ太がしっかりと対策を立ててくれていることを綱吉は知っている。
  だったら何故、ランボの姿が見えないのだろう。
  不審に思った綱吉は、さっきから屋敷の中を捜し回っている。そのうちにフゥ太も一緒になって屋敷を捜し回ったが、それでもランボの姿は見あたらない。
「おかしいな……こんな時間からいったいどこへ行くっていうんだろう」
  綱吉が呟くのに、フゥ太は考え込むように眉間に皺を寄せている。
「もしかしたら、遊びに行ったのかもしれしないよ」
「こんな時間から?」
  あり得ないことはないだろうが、時計の針は午後八時を少し過ぎたところだ。こんな時間にいったいどこで遊ぶというのだろう。
  怪訝そうに首を傾げてフゥ太を見る。
「数日前から、複数の女の子たちから電話がかかってきていたみたいなんだ。もしかしたら、遊びの約束だったのかもしれない」
  考え考え、フゥ太は告げた。
  きっと、フゥ太の言うとおりなのだろう。友だちからの誘いをランボは、断ることはしなかった。声をかけられると気前よくどこへでも出かけていく。友だちが多いのはいいことだが、あまりよく考えずに外出することもあり、綱吉はそれをあまりよくは思っていない。いや、もう昔の小さいランボではないのだから、こんなふうに心配する必要はないのかもしれないが。
  しばらく黙って考えるフリをしていた綱吉だったが、廊下の向こうから獄寺がバタバタと駆けてくるのにふと顔を上げた。
「十代目、あのアホ牛、夜遊びに出かけたみたいっスよ」
  ほら見てください、と獄寺が差し出したのは、一枚のメモ用紙だった。明日の朝には帰りますと書かれたメモを目にした途端、フゥ太はうへっ、と声をあげた。声こそあげなかったものの綱吉も似たようなものだった。
  相変わらず字が汚い。綱吉だって他人のことは言えたものではないが、それでも、中学生の自分が書いていた字よりも今のランボの字のほうが下手なのではないだろうか。
「ランボのやつ……」
「明日の朝、帰ってきたらお仕置きでもしてやればいいんですよ」
  焚きつけるように獄寺が言うのに綱吉は、曖昧に頷いた。



  苛々としながら夜を過ごした。
  恋人である獄寺と二人きりになっても、ランボのことが気にかかって仕方がない。
  十年前からランボといったら、綱吉にあれこれと心配をかけてばかりだ。心配をしてばかりではいけないと思ってフゥ太をランボの教育係に任命したものの、なかなかその効果を感じることができないでいる。
  授業中に居眠りはするし、通りすがりの女の子には声をかけるしで、毎日が心配の連続と言っても過言ではない。
  そのランボが、朝帰りを匂わすようなことをするようになるとは。
  今頃、どこでどうしているのだろうと心配のあまり、綱吉の胃はシクシクと痛んでくる始末だ。
「十代目? 眠れないんスか?」
  同じベッドに入ったものの今夜はどうにも寝つけそうになく、ごそごそとしていたのだが、獄寺は気づいていたらしい。
「う……ん。ちょっと、ショックでね」
  いつまでも小さいランボのままだと思っていたのに、いつの間にか大人の仲間入りをしようとしているらしい、ランボは。
  夜っぴいて遊んでいるのだろうか、今頃は。友だちの家に行くのなら行くで、一言説明をしてから出かければいいものを、と苛っとしたところで、獄寺の腕に抱きしめられていた。
「心配しすぎなんですよ、十代目は。俺だってアイツぐらいの歳にはいろいろ好き勝手してましたよ」
  小さく、吐息だけで笑って獄寺が告げる。
  綱吉だってわかっている。自分も同じ歳だった頃があったのだから、ランボが外泊をしたがる気持ちもわからないでもない。だが、メモ書きだけを残して出ていったことを、綱吉は怒っているのだ。
  何も説明がなかったのは、自分が家族として頼りないからだろうか? それとも、家族とも思われていないからなのだろうか。
「歳の離れた兄弟みたいなもんだと思ってただけに、なにも言ってもらえなかったのがショックだったんだよ、多分」
  言いながら綱吉は獄寺の体に腕を回し、ぎゅっと抱き寄せた。柑橘系のコロンと煙草の残り香が入り交じった獄寺のにおいが鼻腔をくすぐる。首筋に鼻先を押しつけると綱吉は、獄寺のにおいを鼻腔いっぱいに吸い込んだ。
「……心配なんスか?」
  心配でないわけがない。
  男友だちと遊んでいるのなら、まだ安心感がある。自分が中学生だった頃のことを思い起こせば、獄寺や山本と一緒に誰かの部屋で勉強会をしたり、一晩中でもただとりとめもなく語り明かしたりしたものだ。そういう遊びなら、ここまで綱吉が心配することもない。
  心配しているのは、女の子と一緒にいるのではないかと思われたからだ。フゥ太が言うには、数日前から何人かの女の子から電話が交互にかかってきていたらしい。どうやら遊びの約束だったらしいのだが、もしかしたらこの夜遊びも女の子たちと一緒だったらと、気が気でない。十五歳と言えば、まだ子どもでもあるが、性的な興味も出てくる年頃だ。女の子と一緒にいてなにもないなどということは、考えられない。
  それとも、だ。たとえ一晩中女の子と一緒にいたとしても、なにもなかったと言うのならとことんまでランボを信じてやるべきだろうか。
  ああでもない、こうでもないと悩む綱吉の唇に、掠めるようなキスをして獄寺が囁きかける。
「心配するのなら、明日の会合のことを心配してください、十代目」
  そう言われて綱吉は、明日の予定を思い出した。明日は九時前から同盟マフィアとの会合が入っている。簡単な近況報告を兼ねた情報交換会だが、イタリアからディーノをはじめとするそこそこ名の知られたマフィアがやってくることを考えると、気は抜けない。ランボのことで悩んでいる場合ではなかったのだ。
「どっちにしても心配することになるんだね」
  はあぁ、と溜息をつくと綱吉は、獄寺の背中を胸元に抱え込むような姿勢をとり、耳たぶの後ろにキスをしてから目を閉じた。



  夜が明けると、胃の痛い一日の始まりだ。
  溜息はなるたけつかないようにして、綱吉はスーツに着替える。
  獄寺と山本の二人を従えて、会合場所となるホテルへ向かう。
  朝食の時間になってもランボは戻ってこなかったことが気がかりだったが、今はそんなことを考えている場合ではない。
  普段は穏やかに見える自分の顔立ちが少しでも厳しく見えるように、綱吉は口元をきりりと引き結んで車から降り立つ。
  先に到着していた部下が頭を下げるのに、綱吉は軽く頷き返した。獄寺と山本の二人が背後を歩いているのだと思うと、肩の力が少しだけ抜けるような感じがする。
  会議室のあるフロアへはエレベーターで移動しなければならず、三人は足早にホテルのフロアを横切っていく。一般の客と思われる人々がちらちと視線を向けてくるのを感じていたが、気にしている余裕さえ今の綱吉にはない。エレベーターは、三機あるうちのいちばん奥のエレベーターを使うようホテル側から伝えられていたため、フロアの手前にあった柱が綱吉たちの姿を人目から遠ざけてくれた。
「今日は妙にピリピリしてんのな、ツナ」
  面白がるように山本が言う。
  車の中でも綱吉は、フゥ太と連絡を取り合っていた。自分たちが屋敷を出た後にランボが戻ってきたかどうかを確かめようとしたのだ。残念ながらランボはまだ屋敷へは戻っていないとのことだった。朝帰りどころか、これでは昼帰りになってしまうだろうと綱吉は眉間の皺を深くする。
「アホ牛が戻ってこねーんだから、当たり前だろ!」
  背後の獄寺が、山本に食ってかかっているのも煩わしい。両脇にだらりと垂らしていた拳をぎゅっと握りしめ、顔をあげかけたところでチン、と機械的な音がして、エレベーターのドアが開く。
「二人とも、行くよ」
  声をかけ、ドアの向こうへと一歩踏み出そうとして、綱吉はヒクッ、と喉を鳴らした。
「ラ……ンボ?」
  この十年で図体ばかりが大きくなったランボは、ひょろりとした長身を持て余しているようにも見える。眠たそうな目で綱吉をチラリと見ると、悪びれもせず、「はい、これ」と手を差し出してきた。
  咄嗟のことでよくわからないままに綱吉は、ランボが手にしていたものを受け取ってしまう。
「なんで、こんなところに……」
  呆然として綱吉が呟くのに、ランボは微かな笑みを口元に浮かべた。
「バレンタインのデートがうまくいったので、幸せのお裾分けに来たんです」
  それじゃあ、と手を振って、悠々とした足取りでランボはホテルのフロアを歩いていく。
  呆気にとられた綱吉は、怒る気も失せてしまったのか、ただただ黙ってランボの後ろ姿を見送るばかりだった。



  結局、会合での綱吉は先ほどのランボの言葉がよほどショックだったのか、いつにもましてダメダメっぷりを披露することとなってしまった。
  歩くとなにもないところでつまずく、コーヒーのカップをひっくり返す、書類はバラバラにするで、集まったマフィアの何人かから失笑を買う羽目になってしまった。
「朝から散々な目に遭ったよ」
  ぼやきながらホテルを後にする綱吉に、山本は笑って「たまにはこういうこともあるって」と気楽に返す。すかさず獄寺がギロリと睨みつけるのもどこ吹く風といったところだ。
「それにしてもアホ牛のやつ、十代目に何を渡したんですか?」
  興味津々といった様子で獄寺が尋ねる。やはり山本も気になっていたのか、面白そうに綱吉のほうへと視線を向けてくる。
「さあ、なんだろう……」
  あの時は急いでいたのでジャケットのポケットにつっこんでしまっていた。ごそごそとポケットから綱吉は、ランボに手渡されたものを取り出してみる。
  手のひらに包み込めるほどの大きさのそれは、チョコレートだった。透明なラッピング用の袋に入った、一口サイズのクッキーほとの大きさのチョコレートが一枚。裏向けて見ると、袋の中にはメッセージーカードも入っていた。カードには、「バレンタインの幸せのお裾分けです」と、汚いランボの字で走り書きされている。
「……幸せのお裾分け?」
  怪訝そうに獄寺が呟く。
「このチョコ一枚で?」
  可愛らしいなと山本が隣で小さく笑う。
  恐る恐る綱吉は、粘着テープがついた部分をゆっくりと引っ張り、袋を開けた。メッセージカードを抜き出すと、チョコとカードの間にもうひとつ、入っているものがあった。
  なにが入っているのか真っ先に気づいた山本が、ははっ、と楽しそうに声をあげた。
「やるな、チビ」
「ん、なっ……」
  銀色の四角い袋には、赤とピンクのハートマーク。中央に太字でSAFE SEXと印刷された小さなパッケージを綱吉は、取り落としそうになる。
「あいつ、夕べは女の子とよろしくやったんだな」
  ニヤニヤと笑いながら山本はそう呟くと、綱吉の背中をバン、と張り飛ばした。
「ツナ、お前夕べは心配でちゃんと眠れてないんだろう? 会合も終わったことだし、今から休みでも取って、獄寺と一緒に幸せのお裾分けをよばれてきたらどうだ?」
  無責任にそう言い放つと山本は、スタスタと歩き出す。
「え、ちょ……山本!」
  困るけれど、本音を言うと嬉しくもある。
  手の中のチョコを見て、それからもう一方の手に持った銀色の袋に入ったコンドームを見て。
  綱吉と獄寺は、複雑そうな表情をして互いに相手の顔を見つめ合うばかりだった。



(2013.2.18)
END



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