オツキアイしましょう!

  少し前に梅雨入り宣言があったばかりだと言うが、その翌日からカラリと晴れ上がった空は無情で、六月だというのに暑すぎるほど暑い日が続いている。
  首筋を伝い落ちる汗が不快で、綱吉は大きく顔をしかめた。
  獄寺との約束の時間は、とうに過ぎている。
  あの獄寺が自分と出かける時に遅刻するはずがないのに、どうしたことか今日に限って獄寺は、約束の時間になっても姿をあらわさない。
  どうしたものかと溜息をつきながら綱吉は、携帯のディスプレイに表示される時間をちらりと見る。
  ──二時五分だ。
  約束の時間は一時半だったが、もうすでに三十分以上も綱吉は、獄寺を待っている。
  どうしたのだろうと思いながら、携帯のボタンをポチポチと手持ち無沙汰に押してみる。
  アドレス帳を開くまでもなく、すっかり指が覚えてしまった番号を押しかけては、思いとどまる。
  もしかしたら、もうすぐ到着するかもしれないし、と、そんなふうに思いながら何度も携帯の画面を眺めている。
  今までからして獄寺がやむを得ぬ事情で約束の時間に遅刻する時には、必ず携帯に連絡があった。それが当たり前だと思っていたが、もしかしたら連絡したくてもできない状況に陥っているのかもしれない。
  はあぁ、と溜息をつくと綱吉は、携帯をパーカーのポケットに戻した。
  待つことは苦にならないが、いつまで待てばいいのだろう。せめてなんらかの知らせがあればいいのに。
  もう一度パーカーのポケットに手をやり、携帯を握りしめる。自分から電話をかければすむことだが、どうしてだか今は躊躇われる。
  どうしよう、と口の中で呟いたその時に、携帯の着信音があたりいっぱいに鳴り響いた。
「うわっ……」
  慌てて携帯をポケットから取り出すと、綱吉はわたわたと着信ボタンを押す。
「も……もしもしっ!」
  声が上擦ってしまうのが、恥ずかしい。受話器の向こうから聞こえてくる獄寺の声に耳を傾けているだけで、綱吉の頬は熱くなってくる。
「もうすぐそっちに着きますから、待っててくださいね、十代目!」
  すんません、すんません、と謝りながら獄寺は言ってくれた。
  なにか事情があって約束の時間に遅れたのだということがわかれば、綱吉はそれでよかった。
「そんなに謝らなくてもいいって、獄寺君。それよりも怪我しないように、ゆっくりおいでよ。オレ、待ってるから」
  そう告げるとまたしても受話器の向こうで獄寺が、すんません、と謝った。



  獄寺からの電話を受けた後は、この嫌な暑さも綱吉は気にならなくなってしまっていた。
  背中も首筋も汗だくだったからファーストフードかどこかで涼みたい気がしないでもなかったが、それでも待っている間の時間が綱吉にとっては楽しく感じられる。
  早く獄寺の顔を見たいと思いながら、じっと綱吉は目を凝らしてみた。
  アーケードの手前の信号のところで行き交う人々を横目に獄寺を待つのは、楽しくて仕方がない。
  偶然にも通りがかったハルと京子の二人には軽く手を振った。風紀委員の草壁が横断歩道の向こう側で信号待ちをしている姿を目にした時には、物陰に隠れてやり過ごした。
  それから待つこと、十五分。
  とうとう向こうの通りに獄寺のあの銀髪が見えた。
  大きな声で名前を呼びたいのをぐっと堪え、綱吉はこちら側の信号機のすぐそばに立つ。
  見えるだろうか? 獄寺には、綱吉がここにいるのが見えるだろうか?
  息を切らしながら駆けてくる獄寺は、一生懸命だ。
  待ち合わせの時間から大きく遅刻しての到着だから、なおさらだろう。
  ジリジリと照りつけてくる太陽に焼かれて、綱吉は額の汗を無造作に腕で拭った。
  信号機の色が赤から青にかわる瞬間が待ち遠しい。
  横断歩道の向こう側で獄寺も、綱吉の姿に気づいたようだ。しきりと手を振って、「十代目ぇ〜!」と騒いでいる。
  獄寺が自分のことを呼んでくれるのは嬉しいが、同時にとても恥ずかしい。綱吉は一瞬、顔を伏せかけた。頬が熱くてたまらないのは、嬉しいからか恥ずかしいからか、どちらだろう。
  ──嬉しい気持ちのほうが大きいよな、やっぱり。
  そう思うと、獄寺のことが少し愛しく感じられる。
    顔を上げると綱吉は、獄寺を見た。横断歩道を挟んでちょうど向かい合うような位置に二人は立っている。
  手を小さく振ると、獄寺が「やった!」とか何とか小さく叫んで飛びあがった。嬉しくてたまらないといった様子をしている。
  信号の色が青にかわると途端に獄寺は走り出した。まるで犬みたいだと綱吉はこっそりと思う。従順で、純粋で、一途で。一生懸命、綱吉のことだけを想ってくれる。
  横断歩道を行き交う人の波をうまく避けながら、獄寺がこちらへと近づいてくる。
「お待たせしてすんません、十代目!」
  その場で土下座でもしそうな勢いで獄寺が言うのに、綱吉はわずかに苦笑する。
「いや、いいよ。待ってるの、結構楽しかったから」
  暑かったけれど、それはもうどうでもいいことだ。暑くても寒くてもきっと、自分は獄寺を待つことが楽しいと思えるだろう。こうして嬉しそうに走ってくる獄寺を、もっと見ていたいと思わずにいられない。
「本当に、すんませんでした。出がけに姉貴のやつが来たんですけど、気づいたら俺は何故か十代目の部屋に寝かされていて……すげえ焦りました」
  獄寺の言葉に綱吉は、うーん、と眉間に皺を寄せる。なんとなく状況が目に見えるような気がするのが恐い。
  おそらく、ビアンキなりに気を遣ってくれたのだろうが、もし本当に気を遣ってくれるつもりがあるのなら獄寺の部屋へどうして行ったりしたのだろう。普段から二人が行き来しているという話は聞いたことはなく、綱吉との約束があるのを知った上でわざわざ素顔のままで獄寺の前に現れたとしか思えない。
  それとももしかして、嫌がらせ……だろうか?
「そ…それにしても、事故じゃなくてよかったよ」
  大遅刻ではあったが、獄寺が無事でよかった。それだけは心の底からそう思う。
  では、と、気を取り直して二人は互いに顔を見合わせた。
「行きましょうか、十代目」
  獄寺が言った。
  学生らしく並盛商店街をぶらりと回る、ごくごく普通のデートの始まりだった。



  二人がつき合い始めたのは、ほんの少し前からだ。
  獄寺は、綱吉を崇拝する気持ちが高じて愛情になったらしい。綱吉のほうはというと、こちらは獄寺の熱意にほだされたような感じはするが、好きと言われて悪い気はしなかった。それに、獄寺と一緒にいるのは心地いい。気を張る必要もなく、背伸びをする必要もなく、素のままの自分でいられる。もちろん、山本や仲間たちと一緒でも同じことなのだが、その中でも獄寺の傍がいちぱん落ち着く。だから……というわけではないのだろうが、自分でもほんのちょっぴり、獄寺のことが好きなのかもしれないと、綱吉は思い始めている。
  それと同時に、少し、失礼なのではないかと綱吉は不安にも思っている。獄寺のことをすごく好きだというわけでもないのに、つき合いを始めてしまったことに対して戸惑いを感じてもいる。
  獄寺と同じだけの「好き」を、今の自分は返すことができない。そのことに対する負い目のようなものが綱吉にはあるのだが、獄寺はこれっぽっちも気にかけていないようだ。十代目の気持ちがいい加減なものではないということを自分は知っているから大丈夫です、と大真面目に返してくれた獄寺の気持ちに、綱吉は応えなければならないだろう。今すぐは無理だとしても。
  肩を並べて歩いていると、時折、互いの腕のあたりが軽くぶつかりあう。
  獄寺の体温が、着ているものを通して伝わってくるような気がして、綱吉はドキドキした。
  なんでこんなにドキドキするのだろうと思いながらも、獄寺の腕と自分の腕がぶつかりあうのが嬉しいような恥ずかしいような気がする。触れていたいと思うのはどうしてだろう。わずかな部分だけでも構わない。獄寺の体の一部と触れあっていることが、綱吉にとってはとても大切なことのように思われた。
  ゲームショップで新しく出たばかりのゲームのデモムービーを二人で眺めた。今月の小遣いはもらってすぐに、ほとんどをマンガとコンビニ菓子に注ぎ込んでしまった。だから新しいゲームは、再来月か、その次か……とにかく、今すぐに綱吉が手にすることはない。
  買えないものをいつまでも眺めていても惨めたらしい。踏ん切りをつけると綱吉は、今度は本屋へ行ってみないかと獄寺にお伺いを立てる。
  二つ返事で同意してくれた獄寺とゲームショップを後にすると、並んでアーケードを歩いていく。
  友人だった頃とほとんどかわりはないが、微妙に異なる空気が二人の間には漂っている。
  その空気が心地いいことは綱吉もよくわかっている。
「後でさ、もし時間があったら、オレの部屋でゲームしようか?」
  獄寺を自分の部屋に招くのは、もっと二人でいたいからだ。話をしたかった。獄寺の話を聞きたいし、自分の話も聞いてほしいと思う。
  獄寺とこんなふうにつき合うようになる前に、笹川京子のことが気になった時期があったが、あの頃よりももっと自然体でいられるような気がする。そもそも獄寺は、素の綱吉がどんなにダメダメな男か知っている。その上で綱吉のことが好きだと言ってくれているのだ。居心地がいいのは当然だろう。
  ──このままじゃダメだよな。
  アーケードを抜けて、沢田家へと向かう足に馴染んだ道を歩きだしてすぐに、綱吉は思った。
  今の自分は、獄寺の好意を利用しているような気がしてならない。
  つき合ってくださいと獄寺に言われて、その場で「別にいいけど」と返した自分は、なんて浅はかな人間なのだろう。
  居心地がいいのは、獄寺が綱吉のことを好きだからだ。そして綱吉自身もまた、獄寺のことを好いているからだ。そのことをしかし自分は、ちゃんと言葉にして獄寺に伝えてはいなかった。
  ちゃんと伝えないとな──そう思うと綱吉は、歩くスピードを少しだけ早くした。
  家へ帰って、自分の部屋で獄寺に、ちゃんと伝えたい。おつき合いしてくださいと言わなければならない。獄寺が、ずっと自分と一緒にいてくれるように。こんなふうに居心地のいい空気をいつまでも二人の間で感じることができるように。
  足早に歩きながら綱吉は、隣を歩く獄寺の肩が、自分の肩に当たるのを感じた。
  顔を上げて獄寺のほうへと視線を向けると、互いに自然と笑みが零れる。
  自分は獄寺のことが好きなのだと、はっきりと自覚した瞬間のことだった。



(2013.6.23)


BACK