切実なる

  ふぅ、と、獄寺の唇から溜息が零れる。
  空を見上げては、どんよりとした厚い黒雲が空を覆っていることを何度も確かめては、眉間の皺を深くする。昨日から降り続く雨で、獄寺と綱吉は、ホテルから一歩も表に出ることができない。せっかく、二人だけで旅行にきたというのに。
「獄寺君。もういい加減、諦めなよ」
  それまでベッドの上に転がって、窓際に陣取る獄寺の様子をじっと眺めていた綱吉が声をかけてきた。
「でも、十代目……」
  なにか言おうとする獄寺を、綱吉は眼差しだけで黙らせる。
「雨なんだから仕方がないだろ。梅雨時なんだから、こういうことも予想して当然だったんだ。それを、息抜きができる、って喜んで下調べなしに飛び出してきたオレたちにも非はあると思うよ」
  今回はまったくの予定外のバカンスだったのだ。
  綱吉の言わんとすることもわかるのだが、それでも獄寺は未練たらたらの様子で窓の向こうをじっと眺め続ける。獄寺が調べた時には、間違いなく今週は晴れの予報が出ていたのだ。
「せっかく十代目と二人きりだったのに……」
  唇を尖らせて獄寺は呟く。
  まるで子どもが拗ねているようで、我ながらみっともないということは獄寺自身もわかっているのだが、それでもやめられない。
  それだけこのバカンスを楽しみにしていたのだ。
  それに、旅に出るまでは晴れていたのだ。空には雲ひとつなく、真夏のようによく晴れた青い空がどこまでも広がっているように思えた。
  なのに蓋を開けてみれば、どこへ行っても雨がついてくる。
  梅雨の時期だと言われればそうなのかとも思うが、それにしてもこう執拗に降られると、まるで自分がなにか悪いことをしたのではないと思いそうになってくる。
  旅行に出たその日のうちに雨は降り出し、今日でもう三日目だ。
  三日間もホテルに閉じこもりっぱなしなのだと考えると、不健全極まりないことのように思えてくる。
「十代目と一緒に、この近辺の散策だけでもしたかったっス」
  溜息と共にそうポソリと吐き出すと、綱吉は「そうだね」と相づちを打つ。
  ホテル周辺は景勝地として少しは知られた場所だ。砂浜を歩けばきっとロマンチックだろう。
「明日で最後だから、晴れたらたくさん遊ぼうよ」
  そのつもりでいるからさ、と綱吉が言うのに、獄寺は小さく頷いた。



  結局、翌日も晴れ間が出ることはなかった。
  ちらとも太陽は出てくれない。
  それ以前に、雨がやんでくれないのだからどうしようもない。
  目を覚ました途端に窓際へと大股に歩み寄った獄寺は、外の様子を目にしてがっくりと肩を落とした。
「また、雨か……」
  大きな溜息をつくと獄寺は、恨めしそうに綱吉のほうへと顔を向けた。
「十代目、雨です……晴れてません」
  雨雲は、どうやら最後の最後まで獄寺達の頭上に居座ることにしたらしい。分厚く黒い雨雲 がホテル周辺に立ちこめ、ざあざあと雨が降っている。そう酷くはないが、出かける気にはならない程度に音を立てて降っている。
「仕方ないよ、獄寺君。梅雨なんだから」
  諦めたというより、悟りきったような真面目な顔でベッドの中から綱吉が言う。
「ですが……」
「こっちに来なよ、獄寺君」
  綱吉は穏やかに笑っている。どうにもならないことをボヤく獄寺を、優しい眼差しで見つめている。
「今日も一日雨だって、天気予報で言ってるよ」
  いつの間につけたのか、テレビではちょうど天気予報が流れているところだった。
「はあ……やっぱり雨っスか」
  重苦しい溜息と共に、獄寺は呟いた。
「梅雨だからね」
  苦笑して綱吉は返した。
  どうも、綱吉は最初からこうなることを想定していたような気がするのは、気のせいだろうか。
  獄寺は喉の奥で低く呻くと、綱吉が寝そべるベッドの傍らへと近づいていく。
「どうしますか、十代目」
  尋ねる声に力はなく、今の獄寺は打ちひしがれた気持ちでいっぱいだ。
「どうしますか、って……獄寺君は、なにがしたかったんだよ?」
  二人で浜辺を散策し、デート気分を楽しみたかった。室内よりも屋外での、バカンス気分を楽しみたいと思っていたのだ。
「俺は……」
  言いかけた獄寺の手を、綱吉がそっと掴んで引き寄せる。
  ゆっくりと獄寺は体を屈め、綱吉に覆い被さるような姿勢になる。
「……あの、十代目」
  綱吉の顔がすぐ目の前にある。なんとなく気恥ずかしいような感じがして、獄寺は困ってしまう。伏し目がちに目の前の唇へと視線を落とすと、綱吉の空いているほうの手が、獄寺の首の後ろへ回った。
「じゅ、ぅ……あのっ……」
  頬が熱い。耳たぶもだ。獄寺は慌てて綱吉の肩口をぐい、と押しやり、離れようとする。
「バカンスなんだから、デートだけに拘らなくてもいいと思うよ?」
  そんなふうに囁かれると同時に、獄寺の唇は綱吉の唇によってしっとりと塞がれていた。



「ん、ん……」
  綱吉の唇が、獄寺の下唇をやんわりと啄んでいる。
  ゾクリと背筋を走り抜けるものを感じて、獄寺は身を固くする。
  自分たちはバカンスに来ているのだ。今回は、日頃の仕事疲れを癒すため、特に綱吉にはおいしいものをたくさん食べて、美しい海辺の景色を楽しんでほしいとこのホテルを選んだのだ。
  こんなふうにエッチをすることは、当初の予定にはなかった。
  綱吉の気分転換になりさえすれば、それだけで獄寺は充分に満足だったのだ。
「っ、……ぁ」
  獄寺の手を掴んでいた綱吉の手が外され、顔へと指先が伸びてくる。頬に触れ、耳の後ろをやんわりと掻き上げ、首筋を辿って胸のほうへとおりてくる。パジャマのかわりに身に着けていたバスローブの襟元を割って、胸元をそろりと撫で上げられる。それだけで獄寺の肌はゾワリとざわめく。
  まずい、と獄寺は焦る。こんなことをするために綱吉を仕事から離れさせたわけではない。ゆっくりと休んでもらおうとしていたはずなのに。
「あ…あのっ、十代目……ん……っ」
  言いかけた唇を、もう一度、今度は強く吸い上げられ、獄寺は鼻にかかった甘ったるい声を放ってしまう。
  このままでは、流されてしまう。綱吉の唇や手の動きに、翻弄されてしまう。
  いくら恋人同士になって何年も経つとは言え、こういったことで獄寺が綱吉に対抗できることは多くはない。
「バカンスも今日で終わりだから、チェックアウトの時間までイチャイチャしていようか」
  耳元に息を吹きかけられ、反射的に首を竦めると、狙い澄ましたかのように胸の尖りをきゅっと摘まれる。
「やっ……ぅ……」
  そのまま、指の腹でくにくにと捏ねられ、押し潰されると、獄寺の体からは力が抜けていきそうになる。
「せっかくのバカンスだって言うのに獄寺君はちっとも構ってくれないし、オレとしては最終日の今日が雨でよかったと思ってるんだけどな」
  少しむくれたように綱吉が言うのに、獄寺は弱々しく首を横に振る。
「そ…ん、な……」
  せっかくのバカンスだからこそ、綱吉には日頃の疲れを癒してほしいと思ったのだ、獄寺は。
  違うと言いかけたところで、唇を吸われた。強い力でジュッ、と水音を立てて吸い上げられ、息を粗げて口を開けた途端、綱吉の舌が口腔内へと忍び込んでくる。
「んっ、ふ……」
  綱吉のキスは気持ちよくて、困ってしまうほどだ。
  唇が離れる瞬間を待って獄寺は、綱吉の唇にお返しとばかりにキスをしかけていく。
「俺だって……」
  獄寺だって、楽しみにしていたのだ。
  綱吉と二人きりで、人目を気にせずイチャイチャできると踏んでいたのに……これではまるで、取らぬ狸のなんとやら、だ。
「俺だって?」
  唇を離した綱吉が、ぐい、と獄寺の体を引き寄せ、強引に自分の腹の上に跨らせた。
「獄寺君も、オレとこういうことをしたい、って思っててくれたのなら、なにも問題はないよね」
  確信犯的にそう宣言すると綱吉は、獄寺が着ているバスローブの腰紐を解き、大きく左右に開いた。
「十代目!」
  慌てて獄寺は綱吉の手を掴んだ。
「朝っぱらから、こんな……」
  そう言ってやんわりと綱吉を睨みつける。綱吉のほうはしれっとして口元にやわらかな笑みを浮かべるばかりだ。
「……嫌だった?」
  獄寺が拒絶しないことをわかった上で、綱吉はわざわざ尋ねてくる。
  本当は獄寺も、こんなふうにして綱吉に抱かれたいと思っていたことを、易々と見抜かれてしまうのは少し腹立たしいような気がしないでもないが。
「嫌じゃ……ないっス」
  本当は、バカンスなんてどうでもよかった。
  綱吉と抱き合うことができさえすれば、獄寺はどこでもよかったのだ。
  自分の気持ちを素直に認めると獄寺は、はあぁ、と溜息をついた。
  それからゆっくりと上体を綱吉のほうへと倒していき……チュ、と音を立ててやさしく唇を啄んだのだった。



(2013.7.7)



BACK