「お帰りなさいませ、十代目」
玄関のドアを開けた途端、上がり口に正座をした獄寺が三つ指をついて頭を下げてくる。 「今日も一日お疲れさまでした」
いったいなんの冗談だと綱吉は思ったが、獄寺のほうは真剣な表情をしている。
「た……ただいまっ、獄寺君」
ドギマギしながら声をかけると、獄寺はすっと手を差し伸べてきた。どうするのかと怪訝に思っていると、綱吉が手に提げた鞄に手を添えてくる。
「お鞄、お預かりします、十代目」
今日はなんのごっこ遊びだろうか。
このところ獄寺は、なにかのシチュエーションに凝っているらしく、いろいろなことを仕掛けてくる。
昨日は執事ごっこだった。今日は朝から新婚ごっこをしているような言動をしていたが……やはりそうだったのだと綱吉は、一人頷きながら家へと上がる。
「お疲れでしょう、十代目。先にご飯にしますか、それともお風呂にしますか?」
尋ねられ、綱吉は勢いよく噎せ込んだ。
ああ、やっぱり新婚ごっこの流れなのだ、これは──そう思うと、なんだか気恥ずかしいような気持ちになってくる。
いくら自分たちが恋人同士だといっても、こういうのは……プレイとしてするにはまだ少し、早すぎるような気がしてならない。
なにしろ二人がつき合い始めたのはつい最近、獄寺の誕生日からでしかないのだから。
獄寺とは中学生時代に出会って以来ずっと一緒で、大切な友人としてつき合いをしてきた。獄寺のほうはどうかわからないが、綱吉はそのつもりだった。
しかしそうは思いながらも胸の奥底ではどこか異なる気持ちを押し隠し続けていたような気もする。
好きだったのは、友だちとして、仲間としての「好き」という気持ちだけだったのだろうか。
その気持ちに、少しは友人を超えた気持ちは混じっていなかっただろうか。
そんなことを考えはじめると、綱吉の頭の中はぐるぐるしてくる。煮詰まって、もうどうにでもなれというどこか捨て鉢な気持ちになってしまって、ちゃんとものを考えられなくなってしまうのだ。
「──……しますか、十代目?」
不意に獄寺の声が耳元で聞こえてきて、綱吉はハッと顔を上げた。
「あ……?」
どうやら考えごとに夢中で、獄寺の話していることを聞き逃してしまったらしい。
「あー……と、ごめん、獄寺君。今の、聞いてなかった」
もそもそとではあったが正直に告げると、獄寺は気にするふうもなく、綱吉をリビングへと連れて行く。
「夕飯、できてるんスよ」
つき合いが始まった時から獄寺は、綱吉の母である奈々に料理を習っている。表向きは単なるルームシェアの仲だったが、恋人として綱吉に手料理を食べてもらうことが今の獄寺の夢でもある。
テーブルの上に並べられた料理を指して、獄寺は言う。
「今日は十代目のお誕生日だから、これでも腕を振るったんですよ」
確かに、テーブルに並ぶ料理は豪華なものではなかったが、綱吉の身の丈には合っていると思うような品ばかりだった。
少し卵の焦げたオムライス。レタスにハムとゆで卵、トマトを添えて、小さな器に盛りつけたサラダ。野菜スープ。デザートはカボチャのモンブランだ。
「へえ……モンブラン、作ったの?」
店で売っているものと比べると形は少々いびつだが、ちゃんとモンブランの形をしている。ちらりと獄寺のほうを見ると、彼ははにかんだように微かに笑った。
「十代目のお母様に手伝っていただいて作ったんス」
そうだろうなと、綱吉は納得した。オレンジがかったカボチャ色のモンブランのてっぺんには、緑色のカボチャの種。初めてにしてはなかなかうまく作れていると思う。
「おいしそうだね、どれも」
こんなふうにしてもらえることが綱吉は嬉しかった。と、同時に、自分は獄寺にここまでしてもらう価値のある男なのだろうかと、胸の奥でそっと自分に問いかけてみる。
男同士で、恋人。そのリスクを自分は、いったいどれだけ理解しているというのだろうか。
「さあ、どうぞ召し上がってください、十代目」
獄寺の言葉に綱吉は、そっと椅子に腰を下ろした。
二人で食べる夕食は、いつも以上に楽しかった。
獄寺はあれこれと気遣ってくれたが、それはきっと今日が綱吉の誕生日だからだろう。
デザートに辿り着く頃には二人ともお腹がいっぱいになっていた。
幸せで、楽しくて、穏やかな時間だった。
平凡な日常が愛しくてたまらない。
だけど、自分ばかりがこんなにしてもらっていていいのだろうか。
気になるのは、テーブルの端にプレゼントの箱が置かれているからだ。あれは……もしかして獄寺から自分への誕生日プレゼントだろうか。
「獄寺君は……」
言いかけたものの、どう話せばいいのかがわからない。
そもそも獄寺の誕生日当日は出張で慌ただしかった。綱吉に告白した獄寺は、まるで言い逃げのような状態でさっさと出張に出かけてしまったのだ。一週間後、獄寺が戻ってくるのを待って綱吉は告白の返事をしたのだが、それと同時にホテルのレストランで一週間遅れで誕生日のお祝いもした。とは言うものの、綱吉自身はこんなふうに気持ちをこめてお祝いをしたかどうか、自分でもよくわからない。あの時は確かにその選択が最善のものだと思ったのだが。
「どうかしましたか、十代目」
首を傾げて獄寺がこちらを見つめてくる。
「あ、いや……その、獄寺君の誕生日はバタバタしていたから、ちゃんとお祝いできなかったなと思って……」
あの時は自分もまだ、獄寺とつき合うということの意味を中途半端にしか理解していなかったのかもしれない。男同士だから友人の延長のようなつき合いだろうと、軽く見ていた部分もある。
それが、一緒に暮らしだして獄寺に朝となく夜となく「好きです」「愛してます」などと言われ続ければ、ほだされてもおかしくはないだろう。
「そんなことないっスよ、十代目。十代目にはちゃんとお祝いしていただいたと俺は思ってます」
獄寺が言っているのは、あの食事のことだというのはすぐにわかった。
もっとちゃんと祝ってあげればよかったと、今さらながらに綱吉は後悔している。
プレゼントもなく、ただ二人で食事をしただけのあの夜の自分は、まだ獄寺のことをそんなに好きではなかったように思う。いいや、そうではない。獄寺を好きになる、「覚悟」がなかったのだ。 「オレ、獄寺君にちゃんとプレゼントもしてないし……」
ちらちらとテーブルの端の箱を気にしながら言いかけた綱吉に、獄寺は「ああ」と思い出したように立ち上がった。
「そう言えば十代目、十代目のお母様からいただいたんスよ、これ」
獄寺は大事そうにラッピングされた箱を取り上げ、綱吉のほうへと移動させる。
「同居一ヶ月のお祝いも兼ねて二人で使うようにと言われてました」
言いながら獄寺の目は、興味津々、綱吉の手元を凝視している。
「じゃあ、すぐに開けないとね」
プレゼントの箱にかけられたリボンを解き、豪快に包装紙を破り捨てて……箱を開けると中には、ステンレスのマグカップがふたつ、入っていた。
同じ形で、ロゴの部分だけがデザイン違いの色違いになっている。
「これ……」
「マグカップですね」
獄寺も箱の中を覗きこんでくる。ちらりと見えた横顔が、嬉しそうだ。
「おそろいっスね」
へへっ、と照れたように笑いながら獄寺は言った。
「そうだね。こういうの獄寺君、前から欲しがってたよね」
マグカップをとりあげると、綱吉はロゴの部分をじっとみつめる。
母が誰にどうやって頼み込んだのかは知らないが、獄寺のマグカップには嵐の紋章が、綱吉のマグカップには大空の紋章が描かれていた。
「それにしても、よくこんなの用意できたな」
手にしたマグカップをよくよく眺めながら、綱吉は呟く。誰に作ってもったのかは何となく想像がつくような気がするが、母にはそれは言わないでおこうと綱吉は思う。
「十代目、お誕生日おめでとうございます」
マグカップを持つ綱吉の手に自分の手を重ねて、獄寺が告げた。
「獄寺君も……遅くなってしまったけど、誕生日おめでとう」
そう言うと綱吉は、小さく笑った。
それを目にして獄寺も笑い返してくる。
幸せなのは、二人で一緒に誕生日を祝うことができたからだ。こんなふうに次の年も、そのまた次の年も一緒にいられたらいいなと綱吉は、心の底で強く願ったのだった。
(2013.10.14)
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