「準備できましたか?」
パーティションの向こうから声をかけられ、綱吉は一瞬、着替えの手を止めた。
「ごめん、もう少し」
そう言うといっそうスピードを上げて、綱吉は着替えを進める。
仕切りの向こう側では、自分と同じように獄寺が着替えているのだと思うと、心なしか緊張してくる。
獄寺の裸なんて体育の授業で見慣れているはずなのに、互いにこうして仕切られた空間で別々に着替えていると、よからぬ妄想が込み上げてきてどうにも気恥ずかしくなってくる。男同士とは言えつき合っている二人にとっては、どんな些細なことだろうと性的なものにつなげてしまうことがよくあるのだ。
「そっちはどう?」
尋ねると、パーティション越しにまた声が返ってくる。
「できました!」
ごそごそと音がして、味気ない仕切りの向こうで獄寺が最後の仕上げをしているのがわかった。
綱吉も素早くシャツのボタンをとめてしまうと、仕上げに癖のある髪を手櫛で撫でつけ、仕切られた空間を後にする。
先に仕切りの中から出ていた獄寺は、部屋の隅に置かれた姿見で自分の格好がおかしくないかをしつこいぐらいに確かめている。
「……獄寺君、カッコイイ」
ポソリと綱吉は呟いた。
タキシード姿の獄寺は、バンパイアの格好をしていた。手にステッキを持ち、ご丁寧に、歯には小さな牙までつけている。
「そうっスか? でも、十代目もお可愛らしいですよ」
獄寺の言葉に、綱吉はげんなりと肩を落とした。今まで気にしないようにしていた現実が、不意に綱吉の肩に重くのしかかってきたような感じがする。
今日のハロウィンパーティのための仮装をするに先だって、リボーンの命令でくじを引かされた。綱吉が引き当てたのは、赤ずきん。獄寺はバンパイアだった。
どうして、と綱吉は思う。どうして自分が赤ずきんで、獄寺がバンパイアなのだ、と。
こんなのてんで格好よくないよ、と胸の奥底でこっそりと呟くと、綱吉は獄寺の隣に立つ。
鏡の中の綱吉は、赤いずきんを被ったガニ股の変態男そのものだ。それに、スカートというものはこんなにも足の間がスースーするものだったのかと、綱吉は不快そうに足をもじもじとさせた。
「オレ、こんなみっともない姿でみんなの前に出るの、やだよ」
いっそのこと、くじの結果が逆だったらよかったのにと綱吉は溜息をつく。そうしたら自分はバンパイアで、獄寺は赤ずきんだ。獄寺なら肌の色が白いから、さぞかし赤いずきんが映えることだろう。
「大丈夫っスよ、十代目。どーせみんな仮装してっから、みっともないなんて誰も思わねーっス」
握り拳を作って獄寺が言う。
「それに……もしも十代目に難癖をつけてくるヤツがいたら、この俺が片っ端から殴り飛ばしますんで、ご安心ください」
「だから安心できないんだよっ!」
そう返すと綱吉は、わざとらしいほど大きな溜息をついたのだった。
パーティ会場には河童の格好をした山本がいた。どうして河童と思わずにいられなかったが、くじを引いてしまったのだから仕方がない。その向こうには、クマの着ぐるみ姿のハルと、羊の着ぐるみ姿の京子がいる。
白雪姫の格好をして赤いリンゴを手にしているのは、クロームだ。その隣には、継母で悪い魔女の格好をした骸がいる。
「ん、なっ……」
ハロウィンというよりも、単なるコスプレパーティか女装パーティのようにしか見えない会場を、綱吉はぐるりと見渡してみた。
入り口近くで不思議の国のアリスの格好をしたディーノが、時計ウサギの格好をしたリボーンを肩に乗せ、会場を闊歩している。
「……絶対ヘンだよ」
ハロウィンというのは、こういうものなのだろうか。自分のイメージでは、もっと、こう……。
「そーっスか? 俺は十代目と一緒にいられるなら、何だって構いません。こんなふうにして馬鹿騒ぎするのも、いいもんですね」
言葉を交わす二人の目の前を、カボチャが走り抜けていく。
「あ……カボチャ?」
「いや、アホ牛っスよ、十代目」
よく見ると、カボチャの着ぐるみ姿のランボとイーピンがあたりを駆け回っていた。二人の後をついて回っているのは、可愛らしいオオカミ男の格好をしたフゥ太だ。
「頭痛くなりそう……」
盛大な溜息と共に愚痴をこぼす。
そんな綱吉の呟きを聞いているのかいないのか、獄寺はいつになく楽しそうにしている。 「まあ、でも……」
獄寺君が楽しいのなら、オレはぜんぜん構わないけどね。と、こっそりと綱吉は胸の内で呟いてみる。
会場の照明は少し落とし気味に設定されていた。ハロウィンの夜だということで、いつものパーティより暗めにしてあるらしい。
それにしても、だ。
皆、楽しそうでよかったと綱吉は思った。
個人個人にはいろいろとわだかまりもあるだろうが、こうして集まればそれはそれで皆、楽しくやっている。
悪くないと綱吉は思う。
何だかんだ言っていても、こうやって集まるのが自分だって好きなのだ。もっとも、少々ハメを外しすぎる輩がいないわけではなかったが。
夜も更けてくると集まった人の多さと熱気とで、室内の空気は妙に濃密になっていく。
人あたりを起こしてしまった綱吉はこっそりと会場を抜け出し、テラスの影に隠れるようにして逃げ込んだ。
頬に吹きつけてくる夜風はひんやりとして、気持ちがよかった。
目についたベンチに腰をおろすと綱吉は、はあ、と息を吐き出す。
楽しいことは楽しいのだが、こういう集まりは気疲れも多い。今日は特に、女装を強いられているからだろうか、息苦しくてたまらなかった。
「十代目……」
声のしたほうへ顔を向けると、冷たい水の入ったグラスを手に、獄寺がテラスへ出てきたところだった。
「こっちだよ、獄寺君」
弱々しく声をかけると、獄寺はすぐに気がついてくれた。
「大丈夫ですか、十代目」
心配そうに綱吉の顔を覗き込みながら、獄寺はグラスを手渡してくる。
受け取ったグラスの冷たさに、綱吉はホッとした。
「ありがとう、獄寺君。ちょっと人の熱気にあたっただけだから大丈夫だよ」
「本当に大丈夫っスか」
繰り返し尋ねられ、綱吉は苦笑する。
「少し休めばすぐによくなるさ」
そうは言ったものの、もしかしたらいつもと違う格好だから気分が悪くなったのかもしれない。スカートの中はスースーするし、強制的にはかされたストッキングはごろごろして気持ち悪いし。そういったいろいろな要素が重なって、こんなふうにみっともないことになってしまったのではないだろうか。
「あのさ、獄寺君。オレ……へんだよね、この格好。やっぱり着替えて…──」
グラスを手にしたままの綱吉の手を、獄寺は強く握りしめた。
「ヘンじゃないっス、ぜんぜん」
真剣な顔をして獄寺が言うものだから、綱吉もつられて真面目な表情で見つめ返す。
「いや、すごくヘンだと思うよ。女装じゃん、これって。慣れないスカートはいて、ガニ股で歩いて……そりゃあ、ハロウィンの仮装でみんな妙な格好しているから気にはならないかもしれないけれど……」
でも、そうじゃないのだと綱吉は思った。
この格好をして獄寺の隣にいることが綱吉は、悔しくてたまらない。一緒にいられることは嬉しいのだが、やはり何かがこう、違うのだ。
「……でも、ここじゃ誰も見てませんよ、十代目」
それではダメなんスか? と獄寺が尋ねてくるものだから、綱吉はつい難しい顔をして眉間に皺を寄せ、考えこんでしまう。
「うーん……と」
手にしたグラスをベンチの端に押しやると綱吉は、改めて獄寺の顔を見た。
「オレさ、獄寺君をエスコートしたかったんだ、今夜は」
それなのにくじのせいで、獄寺をエスコートするどころか、逆に自分が獄寺にエスコートされるようなことになってしまったのだ。
悔しいし、リボーンに対して恨みがましい気持ちをもってしまいそうになる。
「なんだ、そんなことっスか、十代目」
ホッと溜息をつくと獄寺は、綱吉に笑いかけてくる。
「そんなことって、獄寺君、君ね……」
言いかけた綱吉の首にしがみつくようにして、獄寺が抱きついてきた。
「だって十代目。俺、いつも十代目にエスコートしていただいているような気がしているんですけど、それじゃあダメなんスか?」
耳たぶを掠めるのは獄寺の吐息だ。それから銀色の柔らかな髪が、綱吉の頬やうなじに触れてくすぐったい。
「……本当に?」
尋ねると、獄寺は綱吉の首筋に腕を回したまま、しっかりと頷いた。
「オレ、今夜は赤ずきんちゃんの格好だけど?」
赤いずきんに赤いスカート。慣れないストッキングをはかされ、ガニ股で歩く綱吉のことを、獄寺は本当にそんなふうに見てくれているのだろうか?
「いやですよ、十代目。俺は十代目がどんなお人かよく理解しているつもりっスよ」
カラカラと笑いながら獄寺は返した。
表面的なものではなく、綱吉が本当はどんな人物なのかを、獄寺はよく理解してくれている。おそらくは、綱吉本人よりも獄寺のほうがよくわかっているのではないだろうか。
抱きついた手を少しだけずらすと獄寺は、綱吉の肩に額を乗せた。
綱吉のほうも、いつの間にかだらりと脇に垂らしていた腕を引き上げ、獄寺の背中を抱きしめている。
「じゃあ、さ。キス……させてくれる?」
オレのほうがリードしたいんだけど、と尋ねれば、獄寺は快く頷く。
綱吉のほうが獄寺をエスコートしているのだと、思いたい。
急に口の中に沸いてきた唾を思わずゴクリと飲み込むと、綱吉は獄寺の白い頬に手をあてる。
急に、獄寺の肌の白さや唇の血色のいい赤い色や、テラスの壁を隔てた向こうのざわめきなどが、綱吉の視覚や聴覚を刺激しだす。
獄寺はというと、ベンチに腰をおろしたまま目を閉じて、おとなしく綱吉のキスを待っている。
獄寺の赤い唇を親指の腹で軽くなぞってから、綱吉はゆっくりと顔を近づけていった。
(2013.10.13)
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