朝の身支度を整えていると、不意に背後から抱き締められた。
「ぅ、わ……」
いきなりの不意打ちにドキン、と心臓が高鳴り、思わず綱吉は体を固くした。と、同時に肩口に腕を回され、ぎゅっ、と抱きついてくる甘えたな様子が、可愛いと思う。
「おはようごらいまふ、じゅうらいめぇ!」
呂律の回らない口調で朝の挨拶をしてくる獄寺に、綱吉は怪訝そうに顔をしかめた。
ほんのりと香るのはお酒のにおいだ。普段、獄寺がよく口にする洋酒ではなく、日本酒のにおいがふわん、と恋人からは漂ってきている。
「お、おはよう、獄寺くん」
戸惑いながらも綱吉は獄寺を体から引き離そうとする。しかしがっちりと綱吉の体をホールドした腕は、なかなか離れてくれない。
「いい朝れすね」
ふにゃっ、と破顔する獄寺は、どう考えても二日酔いの酔っぱらいにしか見えない。
「あの、獄寺くん、酔ってるの?」
夕べは、山本の実家の竹寿司でいつもより奮発して美味しい寿司を食べて、バレンタインのチョコを交換しあった。穏やかな夜だった。ベッドに入ってからは互いの体温で体をあたため合い、何度もキスを交わした。いつもと何ら変わることのない夜だったはずだ。
──お酒? と、ふと綱吉は思う。
いったい獄寺は、どこで日本酒を口にしたのだろう。
獄寺はお酒が苦手なほうではない。洋酒はそこそこ飲めるほうだが、これまで前後不覚になるほどの酔い方をしたことはない。もっとも日本酒に関してはあまり得意ではないようで、自分で量を考えながら飲むことが少なからずあるようだった。
だからこそ、獄寺から日本酒の香りが漂ってくることが不思議でならない。
しがみついて離れない恋人を宥めすかして引き剥がすと、千鳥足の獄寺はたたらを踏んでまたしても綱吉にしがみついてくる。
「酔ってるだろ?」
やや厳しい口調でそう尋ね直すと獄寺は、ふふっ、と楽しげに声をあげて笑った。
「じゅぅらいめ、格好いいっス。惚れ直しそ…っス」
言いながら獄寺は、綱吉の胸にしなだれかかる。ぎゅうぎゅうとしがみついてくる大の大人に綱吉は呆れ返ってはあっ、と溜め息を吐き出す。
「ありがと、獄寺くん」
綱吉が返すと、獄寺ははにゃっ、と笑みを返してくる。
「いい朝っスね」
言いながら獄寺の膝がカクン、と崩れる。
慌てて綱吉はしがみつく獄寺の腰に手を回すと、ぐい、と体を引き寄せた。
「こら、酔っ払い。いったいどこで飲んだんだ」
耳たぶにやんわりとかじりつくと、ひゃん、と艶かしい声が獄寺の口から洩れた。色っぽい恋人の様子に、半ば呆れながらも綱吉の鼻の下が伸びそうになる。
腰を支えながら獄寺の頬に軽くキスを落とすと、さらに強い力でしがみつかれ、綱吉はわずかによろけそうになった。
悪気のない獄寺は、そんな綱吉を見上げてヘラヘラと笑っている。
「悪戯がすぎるぞ、隼人」
声色をかえて綱吉がギロリと獄寺を睨み付けるのを目にして、ようやく我に返ったようだ。獄寺は綱吉にしがみついたまま、決まり悪そうにうなだれた。
「ねえ、獄寺くん」
と、綱吉はできるだけ穏やかな声で尋ねかける。
「お酒、飲んだ?」
見事なまでの酔っ払いが出来上がるには、それ相応のアルコールを摂取する必要があるだろう。いくら日本酒が苦手でも、どこかに証拠のひとつでも残っているはずだ。持ってこさせて、ここはひとつお説教でも……と、綱吉は思う。
「……はい」
うなだれたまま、獄寺は弱々しく頷いた。
「いったいどのくらい飲んだんだよ?こんなにベロンベロンに……」
「いっぱい……っス」
微かな声が、綱吉に返す。
「はあっ?」
「こぉーんっなにっ、いっぱいっ!」
どのぐらいいっぱいなんだと突っ込みたいのをぐっとこらえて綱吉は、獄寺の身体をぐい、と引き寄せすぐそばのベッドに腰かけさせた。くたりとした体を持て余していたのか獄寺は、座ると同時に背中からベッドに倒れ込んでいく。
「じゅうらぃめ……」
呂律の回らない獄寺は、ふにゃん、と破顔して綱吉のほうへと手を伸ばした。
「ぎゅっ、てしてくらさい、じゅうらいめ」
縋るような眼差しに、綱吉は思わず手を差し伸べる。
「この酔っ払いめ」
短くそう囁くと綱吉は、半ば呆れながらも差し伸べられた手を掴み、ベッドに転がりしまりのない笑みを浮かべる恋人の身体を優しく抱き締めた。
その瞬間、仄かに甘ったるいにおいが鼻先を掠めていく。間違いなくチョコレートの香りだ。お酒のにおいに紛れて今まで気付かなかったが綱吉には何となく状況が理解できたような気がした。
そういうことだったのかと綱吉は口許にふっと笑みを浮かべると、獄寺の首筋に鼻先を押し付けていく。
「オレに隠れて摘まみ食いなんかするから、こんなことになるんだぞ」
綱吉の言葉に、獄寺は決まり悪そうにへへっ、と声を上げて笑った。
昨夜、バレンタインのお祝いに二人でチョコレートを交換し合った。ベッドに入る前のことだ。おそらく寝起きの獄寺はそのチョコレートをこっそりと口にしたのだろう。
日本酒が入っていてもチョコレートにコーティングされているなら大丈夫かと思っていたが、どうやら駄目だったらしい。
「だって、すっごく美味そうだったんスよ、十代目」
小さな子どものように目を輝かせ、獄寺は返してくる。
まあ、いいけどね。君にあげたものなんだし。口の中で小さく呟くと綱吉は、獄寺の耳に優しく囁きかける。
「ハッピーバレンタイン、隼人」
獄寺はくすぐったそうに首を竦めながらも、同じように返してくる。
「ハッピーバレンタイン、十代目」
互いに見つめ合い、軽くキスを交わすと、唇越しにチョコレートの甘い味がした。
(2017.1.4)
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