ひとけのない通学路を、二人で歩いた。
今日は山本は部活があるとかで、まだ学校にいる。だから帰りは二人きりだった。
ノロノロと歩く足取りは、いつもの四つ角で別れがたい気がするからだ。もう少しだけ、獄寺と一緒にいたいと思わずにいられない。
「あのっ……」
言いかけたものの、なにを言えばいいのかわからず綱吉はとっさに口を噤んだ。
どう言えばいいだろう。どうしたらこの気持ちを、獄寺にわかってもらうことができるだろうか。
二人きりの時間は、いつも飛ぶように過ぎていく。
気付くと別れの時間がやってきていて、まだまだ話したいことやなんかがあるのに、さよならを言わなければならないのが寂しくてならない。
はあ、と溜め息をついてから、綱吉は別れの言葉を口にした。
「じゃあ、また明日……」
くぐもった声でボソボソと告げる。
「はい、また明日」
頷いた獄寺がニカッと笑う。
その表情を目にして、可愛いと綱吉は思う。純粋に自分を信頼している者の表情だ。
このまま帰したくないと思いながらも、綱吉はノロノロと手を振った。
「じゃあね」
綱吉の言葉に、獄寺は大きく手を振った。
「はい、失礼します、十代目!」
犬コロのように愛想のいい笑みを浮かべる獄寺は、実際の年齢よりも幼く見えて可愛らしい。普段の彼とは違う表情を目にするたびに綱吉は、胸に甘酸っぱい痛みを感じる。
今だってそうだ。
心臓のあたりが痛くて痛くて、たまらない。
たぶんこれは、獄寺のことが好きで好きでたまらないからだ。
好きで好きで、しかたがない。
曲がり角の向こうに獄寺の姿が消えるのを待ってから綱吉は、家への道を急ぎ足で歩きはじめた。
帰宅してからの綱吉は、どこか様子がおかしい。自分でもわかっている。
夕飯時も、宿題をしている時も、入浴中も、頭の中が獄寺のことでいっぱいになって始終うわの空だった。
いったい自分は、どうしてしまったのだろう。
思い出すのは獄寺としたキスのことばかりだ。獄寺に触れた感触が、まだ唇の上に残っているような気がする。
きっかけは、クラスの男子生徒の言葉だったと思う。休み時間に何人かの男子生徒が集まって、キスしたことがあるとかないとか、そんな他愛のない話をしていたからだ。
話が聞こえてきた時には気にもならなかった。
ダメツナの自分には関係のない話だとばかり思っていたのだ。
そもそも、理科室でのキスだって、どうしてそうなったのかが綱吉には今ひとつはっきりと思い出すことができない。
一人で掃除をしていたら、いつの間にか獄寺がやってきて、手伝ってくれていた。
見た目は派手だし怖い時もあるけれど、獄寺はなにかと綱吉に手を貸そうとしてくれる。大概は気持ちだけが空回りがちだったが、今日のところは手を貸してもらえて助かったと綱吉は思っている。一人きりで理科室を掃除するのは、意外と大変なのだ。
そこまでは、なにも問題はなかったはずだ。
二人して黙々と箒を動かしていると、そのうちに獄寺が世間話でもするかのように休み時間の話題を持ち出してきた。あの、キスの話だった。
「じゅ、十代目は……その、したことありますか……?」
したことあるわけがないだろうと言いかけて、綱吉は躊躇ってしまった。
見栄を張りたいというわけではない。目の前にいる獄寺を何故だか意識してしまい、返事をすることが躊躇われたのだ。
聞こえなかったフリをして箒を動かしていると、箒で床をさーっと掃きながら獄寺はくるりと机を回り込んで綱吉の正面へと寄ってくる。
「で、ホントのところはどうなんスか、十代目?」
好奇心丸出しの獄寺に、綱吉はこっそりと溜息をついた。
キスしたことがあるかだなんて、なんと残酷な話題を口にするのだろう、獄寺は。ダメツナの自分がキスをしたことなどあるはずがない。もしかしたら一生、そんな経験はないままかもしれない。 はあ、ともうひとつ、今度は大きな溜息をつくと、獄寺がじっとそんな綱吉の様子を見つめていた。
「獄寺君はどうなのさ」
ムッとした表情で綱吉が尋ねると、獄寺はニカッと笑う。
「そんな経験、あるわけないっス」
あっけらかんと獄寺は返したが、本当かどうか綱吉にはわからない。なんといっても獄寺は外国育ちだし、四分の三はイタリア人の血が流れているのだから。もしかしたら日本に来る前に、キスどころかそれ以上のことも経験済みかもしれない。
「ふぅん」
ぎこちなく綱吉は返した。
その言葉が本当ならいいのにと思いながら。
それからどうでもいいような会話をいくつかポツリポツリと交わした。
獄寺はどうあっても、綱吉にキスの経験があるのかどうかを知りたがっていた。
どうしてそんなに知りたいのだろうかと訝しむと同時に、ここ半月ほどの間の綱吉自身の想いを確かめてみたいという気持ちがフツフツと沸いてきた。
獄寺のことは気になっていたが、まだ気持ちを打ち明けたわけでもないし、当然ながら手を繋いだりキスをしたりといった行為は一切したことがない。いったい自分は、獄寺とどんな関係になりたいというのだろうか。
「……俺も獄寺君と同じだよ」
会話が途切れたところで、綱吉は小さな声で告げた。
恥ずかしかった。
これまで、こういった話をクラスメートとしたことはなかった。たまに思い出したように山本がこういった話題を振ってくることがあったが、たいていの場合、綱吉は聞き役に回っていた。
「へっ?」
素っ頓狂な声をあげて、獄寺がまじまじと綱吉の顔を見つめる。
「俺も、獄寺君と同じでキスの経験なんてないって言ったんだよ!」
怒ったように綱吉が言い捨てると、獄寺は険しかった表情を崩した。
「ホ……ホントっスか、十代目?」
 うかがうような眼差しで、獄寺に瞳を覗き込まれた。
「ホントだよ、ホント」
キスなんて、したこともない。
もちろん、チャンスがあるのならしたいと思っている。相手は、憧れの笹川……と、そこまで考えたというのに、綱吉の頭の中には獄寺の顔が浮かび上がってきた。
憧れの相手は今もかわらず笹川京子だ。
しかしここ半月ほど気になっているのは、自分と同じ男の獄寺だ。獄寺の顔が頭の中に浮かんできたというのは、どういうことなのだろうか。
「──…確かめてみる?」
そう言って綱吉は、自分の下唇を人差し指で軽く押さえてみせた。
獄寺の手から箒の柄が離れ、床に転がった。カツン、と甲高い音が教室に響く。
「確かめる……って……」
獄寺が、ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込んだのがわかる。
「そう。だって俺、つきあった子もいないんだもん」
ハハ、と空笑いを零す綱吉の肩を、獄寺はぐい、と引き寄せる。
「それは、十代目を見る目がない連中なんです、きっと」
掴まれた肩が痛かった。シャツの布地を通して、獄寺の手の熱が伝わってくるようだ。
「じゃあ、どんな人なら見る目があるんだよ」
半分自棄になって綱吉が尋ねると、獄寺は自身を指さした。
「俺なんかどーっスか、十代目。お買い得ですよ」
そう言って、獄寺はニヤリと笑う。まるで悪戯っ子のような笑みだ。
担がれているだけではないかと思いながらも綱吉は、肩を掴んだ獄寺の手に自分の手を重ねた。
「俺、男だよ。獄寺君も男だし」
綱吉の言葉すら獄寺は、気にしていないようだ。
「気にしません。十代目とするキスなら、俺は……」
男同士でも本当に気にならないのだろうか。言い出した綱吉よりも獄寺のほうが乗り気になっている。
綱吉が躊躇っていると、獄寺の手がさっと頬を撫でてきた。
「俺、本気じゃないかもしれないよ」
言い訳は、綱吉自身のためだ。
綱吉の言葉に獄寺は、微かに首を横に振る。綱吉がそんな不誠実なことをするわけがないと思いこんでいるのだろうか。それとも、本気でなくとも構わないと獄寺は思っているのだろうか。
「──それでも構いません」
言い返す獄寺の声は、はっきりと綱吉の耳に響いた。
END
(2010.7.4)
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