雨の勢いがおさまるまではと獄寺は、綱吉と二人で教室から表を眺めていた。
そんなに大きな台風だとは聞いていなかったが、風は強く、校庭の木々がバサバサと音を立てているのが聞こえてくる。ビュウ、と風の音がしたかと思うと、太い枝が大きくしなり、枝葉を揺さぶり悲鳴のようなうなり声のような音を立てる。雨粒は大きく、窓ガラスにあたるとバチバチと音を立てている。
「しばらくは帰れそうにないね」
暗がりの中で、綱吉が小さく呟いた。
「そうっスね。スンマセン、俺が呼び出したりしたばっかりに……」
申し訳なさそうに獄寺が言うと、綱吉は少し怒ったような顔をした。
「台風が来るってわかっててここに来るのを了承したのはオレだよ」
だから責任の一端は自分にもあるのだと、綱吉は言う。
「しかし……」
言いかけた獄寺の唇に指を押し当て、綱吉は笑う。
「この件に関しては、どっちもどっちだよ、獄寺君。それにオレ、獄寺君への誕生日プレゼント、用意できなかったし」
覗き込んでくる顔の近さにドキドキしながら獄寺は、小さくかぶりを振った。
暗がりでよかったと、獄寺は思う。最初からあかりが点いていなかったおかげで、目はすっかり暗闇に慣れている。とは言え、お互いの顔がかろうじて判別できる程度で、頬が赤いことまではわからないはずだ。
ちらりと窓の向こうへと視線を向けると、ちょうど目の前の黒雲が開けて閃光が空一面を駆け抜けていくところだった。
窓の外で暴れている稲妻は、目に眩しかった。
耳をつんざくような音と、ゴロゴロという低い振動が、獄寺の体を包み込むような感じがした。
「うわっ!」
すぐ隣にいた綱吉が、小さく声をあげる。
獄寺は空の様子を瞬きひとつせずにじっと見つめていた。
「きれいっスね」
ポソリと獄寺は呟く。
「え、なに? 今、なんて言った?」
綱吉の手が、獄寺の腕を掴んだ。
「ごめん、聞こえなかった」
綱吉が告げる。少しだけ獄寺より背の低い綱吉は、まっすぐに獄寺の顔を見上げている。薄く形のよい唇は、まるで獄寺を誘っているかのようだ。
軽く頭を傾けて、獄寺は目の前の唇にちょん、と唇で触れた。
「わ、ちょ……獄寺君!」
激しい雨音の響く夜の教室で、綱吉が小さく叫ぶ。
これ幸いとばかりに獄寺は、綱吉にしがみついた。
力をこめてぐい、と綱吉の体を引き寄せると、手探りで顔に触れ、もういちど唇を合わせる。
窓から入ってくる深い夜の青が、稲妻の白い光と混ざり合って綺麗だった。雨の濃いにおいがそこここに充満している。
「好きです、十代目」
呟いて獄寺は、また唇を合わせる。
ぎこちないキスだということは、獄寺自身、よくわかっていた。
十四歳の自分たちには、恋愛経験なんてほとんどない。セックスどころか、キスだってまだ片手で数えるほどしかしたことがない。
それでも、このもどかしいほどの想いを伝えるためにはどうしたらいいのか、獄寺にはわかっていた。
チュ、チュ、と音を立てて唇を合わせていると、しがみついた獄寺の体を引き離そうと綱吉がごそごそと身を捩る。キスの合間にちらりと顔を見ると、綱吉が困惑しているのがわかった。
「ごっ……獄寺君! ね、ここ、教室……」
言いかけた綱吉の唇に深く唇を合わせ、獄寺はより深く舌を差し込んだ。
ざらりとした綱吉の口の中の熱い感触に、獄寺の口に唾液が溢れてくる。
「ん、んっ……」
飢えた獣のように必死になって獄寺は、綱吉の唇を貪った。
恋人としてつきあい始めて日が浅いからだろうか、綱吉はあまりキスをしてくれない。セックスに至っては一度しかしてもらったことがない。
恥ずかしいのだと、綱吉は言う。
キスやセックスといった性的な欲求をあからさまにするのは恥ずかしくてたまらないと、そう言うのだ。
そう言われて物わかりのいい恋人を演じてみたものの、獄寺にしてみれば不満でならない。セックスもなし、キスもお預け、せいぜいが手を繋ぐ程度の幼稚なスキンシップで、どうしたら満足できると言うのだろうか。
「ダメっスよ、十代目。今日こそは……」
低く呟いて、獄寺は綱吉の体をぐい、と机に押しつける。
「ちょっ、獄寺君っ!」
待って、と言いかけた唇を貪りながら獄寺は、綱吉の足の間に自分の足を差し込んだ。そのまま綱吉の太股に、ぐいぐいと腰を押しつけていく。硬くなった股間の膨らみを、綱吉は感じてくれているだろか?
ペロリと唇を舐めると獄寺は、綱吉の体を抱きしめた。
雨音はますます激しさを増してきた。
黒雲が広がる空の端々で、稲妻が煌めいている。
まるで、切羽詰まった今の獄寺の気持ちのようだ。
困ったような顔をしながらも綱吉は、獄寺の体をやさしく抱きしめ返してくれる。
「ねえ、十代目。誕生日ぐらい、俺のしたいようにさせてくれませんか?」
綱吉の肩に額を押し当て、獄寺はせいいっぱい甘えた声を出してみた。
「ええっ、そんな……」
ちらりと覗き込んだ綱吉の困ったような顔に、獄寺の体がカッと熱くなる。
「プレゼントのかわりに」
獄寺はちらりと舌を突き出すと、思わせぶりに自分の唇をペロリと舐めた。綱吉の喉が上下して、ごくりと唾を飲み込むのがわかった。
「……かわりに?」
尋ね返す綱吉の声が、掠れている。
「キス……して、ください」
プレゼントなんかなくてもいいと、獄寺は思った。それよりももっと欲しいものがある。唇と、指先と、体温と。綱吉は嫌がるだろうか? 常に獄寺の頭の中には、綱吉のことしかない。手を繋いで、キスをして、体に触れて欲しいと思っている。そんな切羽詰まった獄寺の気持ちを、綱吉はわかっているだろうか?
「……キスだけじゃすまさないくせに」
ぷい、と横を向いた綱吉は、照れ隠しに唇を尖らせる。
「スンマセン」
謝りながらも獄寺は、綱吉の頬に手を添える。
「でも俺、誕生日なんスよ、十代目」
だからどうしたと言われればそれまでだが、綱吉が押しに弱いのはいつものことだ。
「つきあってるんですよね、俺たち?」
我ながら女々しいと思いながらも獄寺は口にしてしまった。
驚いたように綱吉が、獄寺の顔を覗き込んできた。
「あの……獄寺君、ナニ言ってんの?」
眉間に皺を寄せて、綱吉が尋ねる。
獄寺はしまったと思った。慌てて口を閉じたが、いちど言葉にしてしまったものをなかったことにすることはできない。綱吉の肩口にしがみついたまま、獄寺はじっと固まっていた。
「つきあってることと、キスするのしないのってのは、別問題だよ」
諭すような綱吉の言葉に、獄寺はギリ、と唇を噛み締める。
そんなことは獄寺もわかっている。そうではなくて、なかなか触れてくれない綱吉に焦れているだけだ。もっとおおっぴらに手を繋いだり、キスをしたり、ところ構わず触れて欲しいと獄寺は思っているのだ。
どうして綱吉は、そんな獄寺の気持ちに気づいてくれないのだろうか。
やはり自分が男だから、綱吉はなかなか獄寺に触れようとしてくれないのだろうか?
考えれば考えるほど、自分が惨めになってくる。獄寺は鼻の奥にツキンとした痛みを感じた。涙が滲みそうになり、さらに強く唇を噛み締める。
「俺……スンマセン、十代目。俺、どうかしてました」
ぜんぜん面白くもないのに、乾いた笑いが洩れる。舞い上がってたみたいっスと、獄寺は言った。
誕生日だから。その言葉を免罪符に、綱吉とセックスできたらと思っていた自分は、なんと醜い人間なのだろうか。
「スンマセン、十代目」
抱きしめたままだった綱吉の腕をぐい、と押しのけると獄寺は、はあぁ、と深い溜息をついた。それから綱吉に背を向けると、教室から出ていこうとする。
「獄寺君? どこ行くの?」
呼び止められると余計に惨めに思える。
そのまま教室を飛び出そうとしたところで、ぐい、と腕を引かれた。
引き戻された獄寺の体を、背中から綱吉が抱きしめてきた。
獄寺よりも背の低い綱吉が背後から抱きしめようとすると、背中にぶら下がっているような感じがしないでもない。それでも、服の布地越しではあったが綱吉の温もりを感じることができて獄寺は少しだけ、落ち着いたような気がした。
「オレ、こーゆーのって慣れてないから恥ずかしいって言ってるだろ、いつも」
ボソボソと耳元で囁かれて、獄寺は首を竦めた。耳にかかる吐息がくすぐったい。
「雨、まだやまないみたいだからさ」
そう言って綱吉は、獄寺のうなじに唇を押し当てる。熱い唇が肌の上を滑り、チュ、と音を立てて吸い上げられた。
「んっ……」
体が跳ね上がりそうになるのを獄寺は、必死でこらえた。
キスがしたい、セックスがしたいと騒いでいるものの、実際にそういう場面になると獄寺だって恥ずかしさでいっぱいになってしまうのだ。
「キス、だけでいい?」
耳たぶを掠める唇の感触ですら、獄寺の体を甘く震わせる。
「キスしてください。それから、セックスも」
言いながら獄寺は、頬に熱さを感じていた。
「──…うん、わかった」
微かな笑いを含んだ綱吉の声に、獄寺はまた小さく体を震わせた。
END
(2010.9.26)
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