続・台風くらぶ

  日付が変わると、それまでざわめいていた屋敷のそこかしこが、波がひいていくかのようにすーっと静かになっていく。
  広間に集まっていた来客たちも、一人、また一人と帰っていく。
  耳を澄ますと、片付けをする使用人たちが交すボソボソとした声と密やかな足音だけが、屋敷を包んでいるのがわかった。
  自室に戻ると綱吉は、はあ、と深い溜め息をついた。
  自分の誕生日だというのに、毎年気疲ればかりが先に立ってこれっぽっちも楽しむことができない。着替もそこそこにベッドに潜り込むと、目を閉じる。
  ひどく疲れていた。
「自分の誕生日なのにな……」
  目を閉じたまま、呟く。
  パーティ会場ではなにを口にしたかも覚えていない。空腹だったが、それ以上に今夜は食べる気にもなれなかった。
  子どもの頃はよかった。気心の知れた仲間たちからの祝いの言葉と、母の手料理があればそれだけで充分に幸せだった。祝いの言葉はシンプルで、その裏に隠された言葉の意味を考える必要もなく、相手の顔色を窺う必要もなく、ただ純粋に喜んでさえいればよかったのに。
  溜息をつくと、それだけ空虚さが大きくなって綱吉にのしかかってくる。
  どうしてこんなにも寂しいのだろうか。
  ひとつ年をとるごとに、子どもの頃の無邪気さが失われていくような気がしてならない。
  はあ、ともうひとつ溜息をつくと、きゅっと体を丸くした。
  さっさと眠ろう。眠って、今夜のことは忘れてしまおう。



  うとうととしかかったところで、遠慮がちなノックの音に気ついた。
  眠い目をこすりながらドアのほうへと目を向ける。
「十代目、もうお休みですか?」
  小さな声が聞こえてくる。獄寺だ。
  慌ててベッドから抜け出した綱吉は、そっとドアノブに手をかける。
「ごめん、寝てた」
  ドアを開けるなりそう言って綱吉が謝ると、視線の先には堅苦しいスーツからラフな服装に着替えた獄寺が立っていた。
「気分直しにいかがですか?」
  手にしたワインのボトルを軽く掲げて、獄寺は口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「獄寺君……」
  こんな時の彼の優しさに、綱吉はもう何年も前から惹かれている。
  ホッとしたのだろうか、綱吉は小さく笑った。
「どうぞ、入って」
  ドアを大きく開くと、獄寺を部屋へと通す。
  ベッドの上の皺くちゃのケットがみっともないことはわかっていたが、いまさらどうすることもできない。
「明かり、ちょっとだけつけていいですか?」
  獄寺が尋ねるのに、綱吉は「どうぞ」と声をかける。
  よれよれの自分の姿をあまり見られたくなかった。あまりにもみっともなくて、子どもじみていて、恥ずかしい。
「着替えもまだだったんスね、十代目」
  申し訳なさそうに獄寺に言われて、綱吉もああ、と思った。そう言えば、着替えもせずにベッドに入ったのだった。まさかこんなふうにして獄寺が部屋を尋ねてくるとは思ってもいなかった。
「君が来るとわかってたら、ちゃんと着替えていい子にして待ってたんだけどね」
  そう返すと綱吉は、部屋の奥にあるバスルームへと足を向ける。今さらだとは思ったが、獄寺と二人きりの時ぐらいは身奇麗にしておきたかった。



  慌てていたからだろうか、シャワーの栓をひねると水が出てきた。頭からほとんど水のままのぬるま湯を浴び、さっさとシャワーをすませた。
  手当たりしだいに投げ出してあった服を適当に身に着けると、部屋に戻る。
「ごめん、待った?」
  言いながら、これではまるで子どもだと綱吉は思った。まだ湿ったままの髪からは、ポタリ、ポタリと雫が落ちてくる。
  なんと自分は幼いのだろうか。こんなことで二十四……いや、もう二十五歳というのも、みっともないような気がしてならない。
  見ると獄寺は、薄ぼんやりとした照明の下でワインをグラスに注いでいた。
  グラスに注がれたのはピンク色のロゼワインだった。
「わ、あ……」
  テーブルの上の二つのグラスには丸い氷と、仄かに色付く淡いピンクのロゼワイン。スマートで、小洒落ていて、いつも獄寺は格好いい
  ロゼ・オン・ザ・ロックと言うのだと、獄寺から教えてもらった。
「お誕生日おめでとうございます……って、もう日付もかわってしまってますけど」
  神妙な顔で獄寺にそう言われて、綱吉は照れ臭さを感じた。
「ありがとう。日付がかわってても君にそう言ってもらえるのは嬉しいよ」
  返しながら綱吉は、いそいそとソファに腰を下ろす。
  ワイングラスを持つ獄寺の指は、すらりと長い。爪の先はきれいに整えられ、丸みを帯びている。
「満月の夜に飲むと、いいことがあるらしいっスよ」
  言いながら獄寺は茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせる。
  その言葉につられて窓の外をちらりと見ると、雲に隠れるようにして満月が空を照らしていた。
「へえ、楽しみだな。いいことって、なんだろう」
  思わせぶりな獄寺の様子に、内心ドキドキしながら綱吉は返した。



  ワインはほんのり甘くて、酸味の少ないものだった。
「飲みやすいね」
  綱吉の言葉に、獄寺は嬉しそうに頷く。
「十代目にそう言っていただけると、選んだ甲斐があった、ってもんですよ」
  こんなふうに獄寺が嬉しそうにしている姿が、綱吉は好きだった。彼がこうして嬉しそうな顔をしてくれるだけで、綱吉のほうも嬉しくなってくる。やはり恋人だからだろうか。
「お疲れでしょうから、これを飲んだら俺はそろそろ……」
  穏やかに獄寺が告げる。
  綱吉は咄嗟に、グラスを持つ獄寺の手を掴んでいた。
「まだいいだろ」
  本当は朝まで一緒にいてほしかった。恋人として一緒に時間を過ごしたいと思うのは、贅沢なことだろうか?
「しかし……」
「今日は一日疲れたから、しばらく一緒にいて、癒してほしいなー……なんて思ってるんだけど、ダメかな?」
  ちらりと上目遣いに恋人の顔を見上げると、困ったような獄寺の目と視線がかち合う。
「十代目が……よろしいのでしたら」
  伏目がちな獄寺の瞳は、濡れて潤んでいる。濃いエメラルドのような瞳の色に、綱吉はドキリとした。
  掴んでいた手を離すと、獄寺の隣に綱吉は席を移る。革張りのソファが微かに軋んで、その音がやましい自分の気持ちを見透かしているような気がした。



  ただ並んでソファに座ったまま、ワインを飲んだ。
  黙ってワインを飲み終えると、獄寺は手持ち無沙汰にグラスを両手で持った。
「月が、すっかり隠れちゃたね」
  窓の外へと視線を馳せて、綱吉は呟いた。
「そうですね」
  獄寺が部屋に来た時にはまだ空には満月が浮かんでいた。今はすっかり雲の中に顔を隠してしまったのか、あたりはいつになく暗い。
  どちらからともなく体を寄せ合い、肩をつけた。
  布地を通して伝わってくる獄寺の体温に、綱吉はホッとする。
「また、同じ年になったね」
  この一ヶ月、獄寺のほうが年上なのだと思うと少しばかり綱吉はもどかしいような気持ちを感じていた。獄寺が遠くにいってしまったような感じがして、早く追いつきたくてたまらなかった。たった一ヶ月のことだというのに、だ。
「年なんて関係ありません、十代目。いくつだろうと、十代目は十代目です」
  むきになって言い返してくる獄寺の白い額に、綱吉はチュ、と唇を押し当てた。
「ありがとう、獄寺君。だけど俺、やっぱり君とは同じ年でいたいんだ」
  そう言って綱吉は笑った。



END
(2010.10.16)


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