夏の日差しに、頭がクラクラしそうだと獄寺は思う。
日本に来て、一人暮らしの生活にも慣れた。寂しいと思うことはあったが、里心がついて心細いというわけではなく、どちらかというと好きな人と一緒にいることができないことからくる寂しさに振り回されているような感じがする。
サボタージュ中の屋上にはからりとした風が吹いていて、心地良い。それでもこの日差しだけは勘弁してほしいと獄寺は思わずにはいられない。
日陰を求めてフラフラと給水塔の裏へ回ると、心持ちひんやりとしている。
ようやく休めるとばかりに壁に背を預けて腰を降ろすと、制服のズボンの尻ポケットから煙草の箱を取り出す。くしゃくしゃになった箱にチッ、と舌打ちをしながらも一本、煙草を抜き出した。
「かったりぃ……」
呟き、口に煙草をくわえる。
屋上のコンクリートに照りつける太陽が、熱い。不用意にあの日差しの中へ出ていくと、じりじりと焼かれて丸焼きにされてしまうのではないだろうか。
「……十代目は真面目に授業かぁ」
ふぅーっ、と息を吐き出し、やっぱりやめたとばかりに煙草を握り潰してポイ、とコンクリートの上に投げ捨てる。
煙草のにおいを綱吉が嫌がるのだ。全面的に禁煙する気はないものの、少しでも綱吉の目の届くところでは煙草を吸わないようにしようと思い立ったのは、いつ頃のことだろうか。
なんでもいいら早く授業が終わらないだろうか。そんなことを考えながら獄寺は、給水塔の壁に深くもたれかかる。
目を閉じれば、すぐにでも眠れそうだったが、実際に目を閉じる気はなかった。
きっと、無理だ。眠れるはずがないと獄寺は唇を噛む。
眠りたいと思う。
もうここ何日も、獄寺は眠れていない。
眠たいことにかわりはないのだが、どうしてもぐっすりと眠ることができない。
保健室に行けばすぐにでも眠らせてもらえそうだったが、それはそれで納得いかない。
自分一人で解決したい時が誰にだってあるだろうが、今の獄寺がまさにそういう状態だった。
顔を上げ、ぼんやりと空を眺める。のんびりとした速度で雲が流れていく。少しずつ形を変えながら、自由気ままに流れていく。風はそう強くはなかったが、肌に心地よかった。湿気を含んでいないのがなによりもありがたい。こうして日陰にいれば、夏の日を爽やかに感じることもできるかもしれない。
それでも獄寺の口からは、はあぁ、と溜息が出る。
悩み事というほどの悩み事ではなかったが、誰かに聞いてもらいたいような、聞いてもらいたくないような、そんな悩みを獄寺は、抱えている。
「どうしたもんかな」
呟き、また溜息を吐き出しながら獄寺は目を閉じる。
頬に当たる風が気持ちよくて、できることならこのまま眠ってしまいたいほどだった。
このところ獄寺を悩ませているのは、ひとつしかない。
自分自身でもはっきりと自覚している。
綱吉だ。
綱吉が、獄寺を悩ませている。
目を閉じるだけで、獄寺の瞼の裏側に綱吉の顔が自然と浮かび上がってくる。
じっとこちらを見つめてこられると、ドギマギしてしまう。それが自分の妄想だとわかっていても尚、獄寺は自分の心臓がドキドキと鼓動を刻むことをやめさせられない。
自分は綱吉のことを好きなのだと思うに至ったのは、少し前のことだ。ゴールデンウィークが終わってほんの少し後のこと。
雨の日に二人きりでひとつの傘に半分ずつ体を押し込み、互いに肩を濡らして帰ったあの日、唐突に自分は綱吉のことが好きなのだという事実に気づいてしまったのだ。
最初はおかしいと思った。男の自分が、同じ男の綱吉に惚れるだなんて、そんなことはあり得ないと思った。しかし、恋愛感情を抜きにするとそれもありかと思えてくる。綱吉の、普段は頼りないくせにいざという時の決断力、行動力、そして仲間を率いる力に惚れ惚れとしたことを、獄寺自身、はっきりと覚えている。
純粋な憧れはいつしか男女の恋愛感情に似たものへと変化し、今に至る。
そう、自分は綱吉のことが好きで好きでたまらない。
この気持ちがはっきりと恋愛感情だと自覚したのは、数日前のことだ。
以来、獄寺はずっと眠れずにいる。悶々と枕を抱えて眠る夜が続き、眠れたと思うと綱吉の夢を見、寝不足の頭で目を覚ましてはまた綱吉のことを考える。そんな日が続くと、さすがに自分でもこの状況はどうかと思うようになってくる。
嫌なわけではない。むしろ嬉しくて仕方がない。
寝ても覚めても綱吉のことを考えていることが幸せで幸せで、そのうちふと気づいたのだ。自分のこの勝手な想いが、もしや綱吉に迷惑をかけているのではないか、と。
一度気づいてしまうと、気になって気になって、仕方がない。朝も夜も、眠っている時ですら、そのことばかりを考えてしまうようになり、いつしか頭の中が飽和状態になってしまっていた。
はあぁ、と溜め息をつくと獄寺は、吹きつけてくる風に息をひそめる。
こんな状態では、授業に集中できるはずがない。
こんな……。
溜息をつきつき放課後の教室へ戻ると、誰もいないと思っていたのに綱吉がただ一人、獄寺の席に腰を下ろしてじっと待ってくれていた。
「おかえり、獄寺君」
教室のドアを開けた途端に声をかけられ、疚しいところのある獄寺は、ビクン、と肩を跳ね上げる。
「途中から授業、出てなかったら……どうしたのかなと思って待ってたんだ」
ホッとしたように口元に弱々しく笑みを浮かべる綱吉に、獄寺は頭を下げた。
「す……すんません、十代目。考え事をしてたら、授業、終わってたみたいで……」
ははっ、と獄寺は乾いた笑い声をあげる。わざとらしいと、自分自身でも思わずにはいられない。
「考え事? なにか、あったんだ?」
尋ねられ、獄寺は一瞬、どう返したものかと逡巡した。
言いたくない。だが、考え事をしていたのは確かだ。綱吉のことを考えて、そのまま学校の屋上で自慰をしていた……なんてことは、口が裂けても絶対に言えないことだ。
「あっ、あ、あ…あのっ……」
どう、告げればいいだろうか。
嘘をつくことは憚られたが、今はそうも言っていられない。なにより、十代目のことを考えてマスターベーションをしていました、なんて面と向かって言われたら、さすがの綱吉もいい顔はしないだろう。
「また、九代目からの幹部候補の誘い……とか?」
以前、獄寺に昇格の話が出たことをやんわりと揶揄するように、綱吉が尋ねる。
「ちっ…ちがっ……」
心底困ったというような表情をした獄寺は、恨めしそうに綱吉を見つめ返した。
「あれ? 違った?」
椅子に腰を下ろしたままの綱吉は、かたわらに立ちつくす獄寺の顔をさらに覗き込んでくる。
「違います」
やや強い口調で獄寺は返した。
本当のことは絶対に言えない。微塵でも気づかれたら、軽蔑されるだろう。絶交されるかもしれないし、もしかしたら、もっと悪いことに右腕としても見てもらえなくなってしまうかもしれない。 そんなのは嫌だと獄寺は思う。
自分はまだまだ、綱吉と一緒にいたい。この先、何かの拍子に二人が一緒にいられないこともあるかもしれないが、それはまだまだ先のことであって、今のことではない。
まだ、一緒にいたい。この人を間近で見ていたい。どんなふうに考え、どんなふうに行動するのかをすぐそばで見ていたい。
「夕べ、よく眠れなかったんで、昼寝をしてました」
「屋上で?」
すかさず綱吉が追従する。
言葉につまりながらも獄寺は、小さく頷くしか他なかった。
変にごまかして後でボロが出るより、先にある程度のことは話しておいたほうがいい。どうせ獄寺の睡眠不足はそのうちばれることだ。だったら、そのことだけでも正直に話しておけば綱吉も余計な詮索は控えてくれるのではないだろうか。
「……はい。屋上で」
それ以上は聞かないでくださいとばかりに獄寺は、居心地悪そうに体を揺らした。
「じゃあ、暑かったんじゃない? 教室の中も割と暑かったけど、日差しが強かっただろ?」
一瞬、怪訝そうな顔をしたものの、綱吉はすぐに獄寺を気遣うように言葉をかけてくる。 「はあ……いえ、給水塔の影で寝てたんで、快適でした」
正直に快適だったとは言い難いが、概ね快適だったと言えるだろう。
「本当に?」
尚も食い下がろうとする綱吉に獄寺は、これ以上は訊かないでくれと心の中で必死に願った。これ以上追求されたら、本当のことをポロッと洩らしてしまうかもしれない。その時になって後悔したり、悲しい思いをしたりするのはご免だった。
「はっ、はいっ、本当っス!」
勢いよく獄寺は頷いた。ここで堰き止めなければ、きっと綱吉は核心に触れてくるだろう。それだけは断固阻止しなければならない。自分が屋上でしていたことは、なにがあっても隠し通さなければならない。
ちらりと綱吉の目を覗き込むと、彼は微かに笑っていた。
獄寺のしていることなんてお見通しなんだぞと言いたげな、しかしどこかしら優しい眼差しに、獄寺は柄にもなくドギマギしてしまう。
「……わかった。じゃあ、そーゆーことにしといてあげるから」
なんだか、なにもかもすべてわかっているのだぞとでも言いたそうな綱吉の言葉に、今度は獄寺は、別の意味でドキドキし出す。
「あのっ、それって、どーゆー……」
言いかけた獄寺に、綱吉はやんわりと笑いかける。
「あれ? 昼寝してたんだよね、獄寺君。それとも違った?」
そう尋ねる少し意地の悪い綱吉に、獄寺は情けない顔で「昼寝をしてました」とボソボソと返す。
今はただ、この場さえ納められたらそれで充分だ。
──どうか、ばれませんように。
そう願いながら獄寺は、綱吉と共に帰路についたのだった。
(2012.7.7)
END
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