セカンド・キスは甘く

  ベッドの上でもつれ合って、互いの体に腕を回す。
  シャワーを浴びた後だからだろうか、二人とも同じシャンプー、同じボディソープのにおいがしているのが嬉しくて、獄寺は綱吉の背中をぎゅう、と抱きしめる。
「十代目……」
  掠れる声で恋人を呼ぶと、彼は幸せそうな眼差しで獄寺を見つめ返してくる。
「好きです、十代目」
  はっきりとそう告げるのは恥ずかしかったが、今まで散々逃げ回り、焦らし続けたことを思えば、これぐらいどうということはない。綱吉はきっと、自分以上に悩み、苦しんだはずだ。隠さなければならない気持ちと、偽りの気持ちとの間でどれほどの葛藤があったのかは、獄寺にもわからない。
  だが綱吉は、最後までやりおおせたのだ。
  ファンゴー兄弟から笹川京子を守り抜き、晴れて自由の身になった綱吉から改めて「好きだ」と告げられたのは、ほんの数十分ほど前のことだ。
  それから二人はベッドの中でゴロゴロと互いの体を抱きしめ合い、頬や髪や体に触れてイチャイチャするのに必死になっている。
  まだ、キスはしていない。
  キスだけは、特別な感じがしてする気にならないのは、自分だけだろうか。
  綱吉の頬に指を這わせながら、獄寺はぼんやりと彼の唇に視線を向ける。
  キス、したい。
  セカンド・キスだからと躊躇っていたら、この先もずっとキスなんてできないような気がしてならない。
  こんなにも自分は、綱吉とキスをしたいと思っているというのに。
「オレも好きだよ、獄寺君のこと」
  そう返すと綱吉は、頬骨をなぞっていた獄寺の手をとり、指先に唇を押しつけた。
  チュ、チュ、と音を立てて指の一本いっぽんに唇が触れる。綱吉の唇だと思うと、年甲斐もなくドキドキした。



  正確に言うと、獄寺にとってはセカンドキスではあっても、綱吉にとってはそうではない。
  それらしい雰囲気を出すために綱吉と京子が何度も唇を合わせていたことを、獄寺は知っている。一度ならず、そういった場面に行き当たったこともある。
  そのことをなじるつもりはない。
  あの頃は、それでよかったのだ。京子は綱吉の婚約者だったし、獄寺も自分の気持ちは表に出さないように気をつけていた。三人とも、どうしようもなかったのだ。
  それに獄寺が気にしているのは、自分の唇がすでに別の誰かとくちづけを交わしたことがあるという事実だ。
  気づかぬうちに綱吉に対して不貞を働いてしまったような居心地の悪さを感じているものの、綱吉のほうはこれっぽっちも気にしていないように思える。
  気にならないのだろうかと、獄寺はこっそりと考える。
  遊びで、顔も覚えていない誰かとキスをした自分に、キスしたいと綱吉は思ってくれているのだろうか?
  ──本当に?
「……十代目」
  本当に、自分でいいのだろうか? 誰かとキスをした、いわば傷物のような自分と、キスをしたいと綱吉は思ってくれているのだろうか?
「抱いてもいい?」
  しれっとした顔で尋ねられ、獄寺は硬直することしかできなかった。   キスの件については、綱吉はいったん棚上げしてしまったようだ。
  返事を聞きもしないうちから獄寺の体に手を這わせ、互いに身に着けていたなけなしの布地をベッドの下へと放り投げていく。
「じゅ…十代目……」
  下着だけはと慌てて片手で押さえようとしたが、間に合わなかった。あっという間に獄寺は素っ裸にされ、綱吉はと言うと、とっくの昔に腰に巻いていたタオルをどこかへやってしまっていた。
「き…気持ちの準備がっ……」
  ベッドの上で獄寺が後ずさると、綱吉は「大丈夫だよ」と返してくる。
  あまりの手際のよさに、よからぬ考えが獄寺の頭の中を過ぎていく。もしかすると綱吉は、京子ともう、既に……キスだけではなく、その先の行為もすませてしまっているのではないだろうか。だからこんなに手際がいいのではないだろうか、と。
「十代目、あの、俺……」
  伸ばされた綱吉の手を避けようとしたが、とうとうベッドの隅っこにまで追い詰められてしまった。ぐい、と体を抱きしめられ、獄寺は居心地のいい腕の中から逃げ出そうともぞもぞと体を動かした。
「余計なことは考えないでほしいんだけど」
  獄寺の体を抱きしめた綱吉が、不意に懇願するように囁いた。
  耳元を掠めた唇が震えていたように思えて、獄寺は逃げようとすることをやめた。体から力を抜くと綱吉の背中に腕を回し、そっと息を吐き出す。
  仮に綱吉が京子と体の関係があったとして。その場合、綱吉は京子との婚約を破棄することはなかっただろう。京子のほうだって、綱吉の気持ちがかわるのを待つことに疲れることはなかっただろう。なんとなくだが、獄寺にはそんなふうに思えた。
  時折、皆に見せつけるようにしていたキスや仲睦まじく寄り添う姿がすべてだったのだ。それ以上のことは、なにもなかった。たぶん。
  綱吉がはっきりと言わないのなら、そこは獄寺が察して、自分自身を納得させなければならないのだろう。綱吉が獄寺に言わないことは、おそらく京子に起因している。綱吉の言葉ひとつで彼女の評判に傷がつく。獄寺が吹聴して回らなくても、もしかしたら本当は綱吉と京子がどうだったのかということが、獄寺の普段の態度からわかってしまうかもしれない。だとしたら口を噤んで人々の憶測に任せるほうがずっとマシなように思われた。
  体の関係があろうがなかろうが、どちらにしても、綱吉がなにを言ったところで京子の評判に傷がつく。この際、綱吉自身の評判はどうとでもなる。だが、いくら綱吉と親しいとは言え、京子はどちらかと言うと一般人に近い存在だ。彼女が傷つくようなことは、綱吉の望むところではないはずだ。
  綱吉の肩口に額を押しつけ、獄寺はゆっくりと息を吐き出した。



  しばらくの間、二人は抱き合ったままじっとしていた。
  獄寺の気持ちを再確認するように綱吉が身じろぎ、耳たぶに唇を寄せた。チュ、と音がして、すぐに唇が離れていく。
「獄寺君と、セックスしたい。それからキスをして。できるなら、二人で朝を迎えたい」
  硬い声で綱吉が告げた。
  獄寺がなにを考えていたかなど、きっと綱吉にはお見通しなのだろう。京子に対する誠実さと、獄寺に対する誠実さと。言葉にしないことでそれを示そうとする綱吉の狡さが、少しだけ辛い。
「キス、してください。唇に」
  今度こそ、本当に。
  セカンド・キスでもいいから、大切な人とキスをしたい。唇を合わせ、体を重ね、気持ちを確かめ合いたい、
  ぎゅう、としがみついて「十代目?」と囁くと、綱吉は小さく笑った。
「腕、ちょっと力緩めてくれる? このままだとキスできないから」
  言われたとおりに獄寺は、綱吉の背から腕を外した。そのかわりにゆっくりと肩や頬に指で触れてから、最後に綱吉の後頭部に手を回した。
「俺だけだって、言ってください」
  大それた願いだが、今だけでいいからと獄寺は思った。
  四六時中、そんなことを思っているわけではない。こうしてベッドの中で触れ合う時だけでいいから、自分だけだと綱吉に言って欲しい。求めて欲しい。
「……獄寺君だけだよ、オレが本当に愛しているのは」
  幾分か緊張したような表情で、綱吉が告げる。部屋のあかりをつけたままにしておいてよかったと、獄寺は思った。綱吉の顔がはっきりと見える。自分で言っておいて照れくさかったのか、顔がほんのりと赤くなっている。
「俺も……十代目だけです」
  素直に嬉しいと思えた。
  綱吉の気持ちが、誠意が、ちゃんと獄寺の心に伝わってくるような感じがした。
  それから、ゆっくりと綱吉の顔が近づいてきて、ようやく二人は唇を合わせることができたのだった。



(2012.12.16)


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