「囁きよりも近く 2」

  公園からアジトまでの道を、ゆっくりと歩いて戻った。
  わざわざ遠回りをしてでも獄寺と一緒にいたいのは、二人きりだからだ。
  アジトに戻ってしまえば、人目がある。セキュリティのための監視カメラやボディガードたちのことを考えても、アジトでおおっぴらに獄寺一人を贔屓するわけにもいかないだろう。
  こんな機会は滅多にない。
  綱吉はこれ幸いとばかりに、のんびりとした足取りで歩いていく。
  獄寺は何も言わない。
  先ほどの公園での泣きごとに遠慮してか、綱吉に言葉をかけるタイミングを見計らっているかのようだ。
「ねえ、獄寺くん。お腹すかない?」
  声をかける綱吉はしかし、先ほどのことなどすっかり忘れてしまったかのように屈託のない笑顔を見せている。
「ああ……そうですね、少し……」
「俺、朝から何にも食べてなくてさ」
  ははは、とバツが悪そうに小さく笑って、綱吉は言った。
「寄り道して帰らない?」
  思いつきで言うと、またしても獄寺は眉間に皺を寄せる。
「いや、アジトに戻ったほうがいいかと」
  小難しそうな顔に、綱吉は苦笑する。
  生真面目すぎるこの恋人は、こんな時でも任務に忠実であろうとする。
  任務に忠実なのは悪いことではない。ただ、遊びがないというか、余裕のない部分が心配になってしまうだけで。言ってみれば、表面いっぱいいっぱいまで水を張ったバケツを持ち歩いているような状態で、走ったり、跳ねたりすればどこかで水は零れてしまわないだろうかと、そういうことが気になってしまうだけなのだ。
「じゃあ、コンビニでお弁当買って帰ろっか」
  たまにはいいよねと、綱吉は呟いた。
  渋い顔をしながらも獄寺は、小さく頷いた。



  自室に戻ると、人の目を逃れたような気がしてホッと気が安まる。
  ボディガードたちは要所要所に配置されているものの、個人的な部屋の近くに人が配置されることはない。人のかわりに設置された監視カメラも同様だ。個人の生活圏を守るため、ここはという箇所だけにしか、ボディガードの目も監視カメラもないのがありがたい。
  部屋のソファに腰をおろし、綱吉はのびをする。
  綱吉の向かいに腰をおろした獄寺は、どことなく居心地悪そうにしている。
「お茶、お持ちしましょうか」
  そう言って獄寺が立ち上がろうとするのを、綱吉は片手で制した。
「いいよ。お弁当と一緒に買ってきたから」
  庶民的だと、自分でも思わずにはいられない。コンビニ弁当でなければ母の手料理が食べたいなどと、この年になって言うのはなんとなく憚られた。アジトには専属の料理人もいるにはいたが、やはり口に馴染んだ母の料理のほうがずっとおいしく感じられる。
「じゃあ…俺は、これで」
  もぞもぞと身じろぎをして獄寺が、ソファから立ち上がろうとする。綱吉の一人の時間を邪魔しないようにと、彼なりに思ってのことだった。
「え……」
  不満そうに綱吉は唇を尖らせた。
「食べ終わるまで待っててくれないんだ」
  少し、獄寺を困らせたくなった。自分にだけは従順な獄寺が、眉間に深く皺を寄せ、困ったように顔をしかめるのを見たいと思ったのだ。
「あ……じゃあ、待ってます」
  さっとソファに座り直した獄寺は、じっと綱吉が食べ終えるのを待った。途中、煙草を吸ってもいいかと獄寺が尋ねるのに、綱吉は笑って首を横に振った。獄寺の眉間の皺がさらに深くなった。



  自分という自堕落な人間に愛想を尽かすこともなく、獄寺はじっと耐えている。
  煙草を吸うこともできず、ただじっとソファに腰かけて、綱吉がコンビニ弁当を食べ終えるのを待っている。
「ごちそうさまでした」
  空っぽになったプラスチックの容器を前に綱吉が呟くと、ようやく獄寺は深い溜息を洩らした。
「もう、いいっスか?」
  ソファから立ち上がりたくて、獄寺がうずうずとしているのが気配で感じられる。
「いいよ。ごめんね、つきあわせちゃって」
  本当は、ずっと一緒にいたいと思っている。時間など関係なく、子どものころのようにいつまでも一緒にいられたらと思っている自分がいる。
  マフィアのボスだの、守護者だの、そんなくだらない括りなど関係なく、獄寺と一緒にいたい思うことは、そんなにも贅沢なことなのだろうか。
「いえ、お邪魔でないのなら」
  堅苦しく獄寺が言うのに、綱吉はこっそりと苦笑する。
  任務優先で、ボスである綱吉を守るのが第一で、自分のことはいつも後回しにする獄寺が、可愛く見えた。
  こんなにも可愛くて頼りになる恋人が自分にはいるのだと思うと、心強い。時々は鬱陶しいほどにつきまとわってくることもあったし、子どもの頃は時としてそれが重荷になることもあった。しかし時が過ぎ、大人になるにつれて、互いの距離を掴めるようになってきた……ように、思う。
  今の自分は、獄寺と均整のとれた距離を保っている。
  相手の考えていることが手に取るようにわかるのは、恋人だからか、それとも綱吉の超直感のおかげなのか、いったいどちらだろう。
「邪魔じゃないから、もうちょっとここにいてよ」
  さらりと告げると、また、獄寺は困ったように眉間に皺を寄せた。
  やっぱり可愛いと、綱吉はこっそり思った。



  獄寺と寝るようになったのは、ここ何年かのことだ。
  それ以前から獄寺が自分のことを求めていることは知っていたし、最初はそんな獄寺にほだされてつきあうようになったはずだった。
  それが気付いたらいつの間にか、立場が逆転していた。
  このところ綱吉は、過剰なぐらい獄寺を求めている。
  好きだと自覚したからというわけではない。
  逃げ道を探して、獄寺の存在に安らぎを見出しているといったほうがニュアンス的には近いかもしれない。
  この男と一緒にいれば、自分の心が安らぐことはわかっていた。
  獄寺なら、自分を崇拝してくれる。自分のすること何もかもに絶対の信頼を置いてくれている。
  それが、心地好い。
  自分のしたいようにすればいいからだろうか、獄寺といると気持ちが楽になる。
  課せられた義務や責任などから目を背けて、自分の思うようにできるところがいいのだろう。
  これでは駄目だと、頭では理解している。
  これから先、どうしなければならないのかも、知っている。
  だから今夜だけはと綱吉は、獄寺を近くへ呼び寄せた。
「ねえ、隼人。抱かせて」



  獄寺は、綱吉を拒むようなことはしない。
  従順な犬のようにおとなしい。
  綱吉に言われるがままに近づき、跪く。
  ソファに深く腰かけた綱吉の唇に、軽く触れるだけのキスをする。
「十、代目……」
  躊躇うように囁いて、ゆっくりと口付ける時の獄寺が愛しい。
  中腰になって口付けてくる獄寺の体を、ソファに引き寄せる。獄寺の体重を受けたからだろうか、革張りの背もたれがギュッ、と音を立てた。
  綱吉のすることに疑いを持つこともない獄寺は、いつも一途だ。その想いだけではいつか傷つくこともあるだろう。しかしそれが獄寺のいいところでもあるのだと、綱吉は思う。
「中に出してもいい?」
  耳元に囁きかけると、獄寺は首を竦めた。目元を真っ赤に染めて綱吉を見つめる瞳は、熱っぽく潤んでいる。
「……はい」
  素直に頷くのは、綱吉だからだろうか。それとも、ボンゴレの十代目だからだろうか。ふっと、そんな思いが綱吉の胸に小さな波紋を投げかける。
「こら、隼人。嫌なら嫌って、ちゃんと言わなきゃ」
  コツンと、獄寺の頭を拳骨で軽く叩いた。
「いえ、あの……」
  尚も何か返そうとしている獄寺の唇を自分の唇で塞ぐと、綱吉は深く口付ける。
  うっすらと開いた唇の隙間から舌を差し込み、恋人の口の中を蹂躙していく。そうしながらも手は、獄寺のシャツにかかっていた。ひとつひとつボタンを外していくと、獄寺の指が、綱吉のボトムの端にかかった。
「十代目、俺がします」
  唇を放して、獄寺が囁いた。
  どことなく傷ついたような顔をしているのは、何故だろう。
「でも……」
  言いかけた綱吉の唇に、ちょん、と触れるだけのキスをして、獄寺は言った。
「俺が望んですることです。つまんねえこと気にしてないで、十代目はどっしり構えててくださればいいんです」
  怒ったようにそう告げた獄寺に、綱吉は詰めていた息をふっと吐き出した。
「ごめん……」
  その後の言葉は、続けられなかった。
  自分と獄寺は恋人同士だったのだと改めて認識した途端に、羞恥心がこみあげてきてのだ。
  この端正な顔が自分の性器を口に含み、あられもない姿で乱れるところを目の当たりにしてきたことを、綱吉はすっかり忘れてしまっていたのだ。
「俺が、中に欲しいんです」
  綱吉の太股に跨った獄寺は、掠れた声で囁いた。
  言葉を返すよりも早く綱吉は、獄寺の体を抱きしめた。



END
(2009.8.7)


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