暗がりのにおい 3

  考えたら、自分は獄寺にはっきりと「好き」だと告げたわけではない。
  逆に獄寺にしても、ボンゴレ十代目としての綱吉に対する尊敬だとか憧れだとかを常に口にしていても、どのように「好き」なのかを説明したことはなかったはずだ。
  二人の気持ちはたぶん、同じ方向を向いていると思いたい。
  しかし本当にそうなのだろうか?
  綱吉の思い違いではないのだろうかと、確かめたくなるのも事実だった。
  どうしたら、獄寺の気持ちを知ることができるだろうか。
  どうしたら、自分たちの気持ちが同じ方向を向いているとわかるのだろうか。
  どうしたら……?
  窓際の席に座った綱吉は、頬杖をついてぼんやりと外の景色を眺めている。
  放課後の校庭では、山本が在籍する野球部をはじめとした運動部の部員たちが部活動の真っ最中だ。
  一方の綱吉は、補習の最中だった。
  補習などつまらないと、こっそり溜息をつく。
  今日は獄寺はいない。
  いつもなら、無理にでも教室に居座って補習につきあうなり、廊下で綱吉の補習が終わるのを待ちかまえているというのに、今日の獄寺は珍しく、終礼の鐘と共に教室を飛び出して行ってしまった。何かあったのだろうか。
  こんなにもやる気がないのは、獄寺がいないからだろうか。



  獄寺のいない放課後を綱吉は一人きりで過ごした。
  味気ないと、綱吉は思う。
  いつもは獄寺や山本が一緒で、賑やかだった。騒ぎあい、ふざけあい、一緒にいることが当たり前のようになっていた。
  トボトボと一人で家への道を歩いた。
  珍しいことにハルや京子に会うこともなく、綱吉は家につくまで一人きりだった。
  玄関のドアを開けた瞬間、居間のほうから声が聞こえてきた。母の穏やかな声と、ランボとイーピンのはしゃぐ声に、綱吉は何故だかホッとした。
「ただいま」
  母に声をかけてから、綱吉は二階の自室へと階段をあがっていく。
  獄寺のことが気になって、仕方がない。
  会って、映画館でのことを確かめてみたいと思いながらも、そうすることを恐がっている自分がいる。
  いつ尋ねたらいいだろう。
  これが、日が経てば忘れてしまうような些細なことであれば綱吉も気にはしなかっただろう。いっそそういった些細なこととして綱吉の中で位置づけられていたならば、もしかしたらこんなにも悩むことはなかったのかもしれない。
  部屋に入ると、はぁ、と重苦しい溜息をつく。
  床の上に鞄を放り出すと、そのまま着替えもせずに綱吉はベッドにゴロリと寝転がった。



  ベッドに転がったまま、うとうととしていたらしい。
  気がつくと窓の外はとっぷりと暮れて暗くなっていた。
  星が、小さく瞬いている。白い光を放ちながら、あちらこちらから町の景色を見おろしている。
  階下から夕飯のにおいが漂ってきていた。
  おいしそうなにおいだと思った途端に、ぐーっと腹が鳴った。
  そろそろ下におりたほうがよさそうだぞと思ったところへ、玄関のインターホンが鳴った。
「ツッくん、ちょっと手が離せないから、出てくれる?」
  台所から母の声が聞こえてくる。
「はーい」
  階段を下りながら綱吉は返事をした。
  ドアを開けると、獄寺が立っていた。
  なにか言いたそうな表情で、唇を横一文字にぐっと引き結んで、暗がりの中から綱吉を見つめている。
「獄寺君……」
  会いたいと、綱吉も思っていた。
  映画館でのことをはっきりさせたいと思いながら、うじうじと思い悩むばかりで行動に移すことができなかったのだ。
「あのっ……」
  玄関の灯りの下にいても、獄寺の顔がどことなく赤らんでいるのがわかるほどだ。
「あのっ、十代目……」
  なかなか言葉の出てこない獄寺を思って、綱吉は台所の母に声をかけた。
「母さん、獄寺君が来たから二階で話してるよ。夕飯、後で食べるから」
  そう言うと綱吉は、おもむろに獄寺の腕を掴んで階段を上がり始めた。
「ほら、さっさとあがってよ、獄寺君」
  ぐいぐいと綱吉は腕を引っ張った。
  獄寺はおとなしく綱吉の後をついてくる。
  部屋に辿り着いてパタンとドアを閉めたところでようやく綱吉は、ホッと息を吐き出した。



「それで? 獄寺君はどうして、うちに?」
  獄寺がやってきた理由はおそらく、自分が尋ねたいと思っていることと似たようなものだろうと、綱吉は思っている。
  映画館で、二人の唇が触れたか触れなかったのか、それを確かめたいのだろうと、そんなふうに思っていた。
  一度家に帰ってから出てきたのだろう、獄寺は私服姿だった。アクセサリーをじゃらじゃらとつけた大人っぽいのだか不良っぽいのだかよくわからないような格好をしている。そんな格好だというのに獄寺は、綱吉の前で神妙な顔つきで正座をしているのだ。
「あの、俺……」
  獄寺らしくない様子でもそもそと口の中でなにか呟いている姿を見るのは、珍しい。それを見て綱吉は、少しだけ安心した。
  自分だけが気にしていたわけではなかったのだと思うと、気が楽になる。
  普段あまり見ることのできない獄寺の姿をひとしきり楽しんでから、綱吉はポツリと低く呟いた。
「獄寺君が俺を好きなのと同じ気持ちで、俺も獄寺君のことが好きなんだ」
  そう告げた瞬間、獄寺が怪訝そうな顔をした。
  必死になって隠していたことが周囲の大人たちに呆気なく露呈してしまった時の、どことなく居心地悪そうな様子をしている。
「……って、俺、言っちゃダメだった?」
  おそるおそる綱吉が獄寺の顔を覗き込むと、翡翠色のきれいな瞳が微かに揺れていた。
「いえ、あの……ダメじゃないっス」
  少し俯き加減に目を逸らして、獄寺は返した。
「ぜんぜんオッケーっスよ、十代目」
  照れているのか、獄寺の顔が赤かった。



  綱吉はそっと手を伸ばして、獄寺の唇に指先で触れてみる。
  先日の映画館の時と同じ、柑橘系のコロンの香りがふわりと漂ってくる。この香りだと、綱吉は思った。
「あ……の、十代、目?」
  獄寺の唇が動くたび、指先にやわらかな感触があたった。やはりこの感触だと、綱吉は確信した。
  膝立ちになって獄寺のほうへとにじり寄り、綱吉は真面目な顔つきをする。
「映画館で俺たち、キス、したんだよね?」
  お互いの気持ちを言葉にして確かめ合うよりも先に、気付いたら体が動いていた。そしてなによりも、綱吉は動物のように本能で、このコロンの香りごと獄寺に惹かれていた。あの時、綱吉は、獄寺のほうからキスをしてきたと思いこんでいた。しかし実際は違ったのだ。自分のほうから獄寺に、キスをしたのだ。
「……今度は明るいところでキスしたいんだけど、いいかな?」
  遠慮がちに綱吉が尋ねると、獄寺は恥ずかしそうに目を伏せて頷いた。
「もちろんです、十代目」



(2009.10.12)


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