純情時間 3

  あのやりとりの日以来、綱吉は、獄寺と言葉を交わしていない。
  教室にいると背後から見られているような気がして、ちらちらと獄寺のほうへ視線を向けることはあった。とはいえ、はっきりと言葉をかけるようなことはしなかった。もしかしたらそれは、綱吉の勘違いなのかもしれない。獄寺に八つ当たりしてしまったことで、単に罪悪感を感じているだけなのかもしれないと、思ってみたりもする。
  同時に獄寺にしても、これまでのように綱吉に喋りかけてこようとはしなくなった。
  いつもどこか不機嫌そうな顔つきで、教室にいる。教室にいない時は、保健室に行っているようだった。
  離れている時間が増えてくると、それだけ、相手のことを遠くに感じてしまう。
  綱吉は、心にぽっかりと大きな穴が開いてしまったような気がしてならなかった。いつもうるさいぐらいに後をついてきて、喋り立てていた獄寺が、いないのだ。賑やかさは半減どころか三分の一ほどになってしまい、家に帰ってからもどんよりと陰気な顔をしているとリボーンに言われたぐらいだ。
  ずっと、そばにいてくれると思っていた。
  山本と獄寺と、そして綱吉と。三人でいつも一緒にいられるのだと思っていた。いや、思いこんでいた。
  いつまでも離れることなく、『ボンゴレ』という大義名分の名の下、共にいられるのだと、そんなふうに綱吉は思っていた。



  放課後が近づいてくると、それだけでわけもなく綱吉は落ち着きがなくなってきた。
  山本に言われたものの、綱吉はどうしたら獄寺と仲直りができるのか、わからないでいる。
  仲直りしたくないわけではない。
  ただ、どうしたらいいのかがわからないだけだ。
  友達以上の感情を隠して元の友達に戻ることは難しいようにも思えたが、元の関係に戻ることができるよう、互いの溝を修復することがまず先だった。
  本当は、心の底では友達だなんて思ってはいない。
  いつしか綱吉は、獄寺のことが気にかかるようになっていた。
  右腕でもなく、友達でもなく。そうではない、何か別の存在として、獄寺のことを想っていた。
  その感情を何と呼べばいいのか、それはまだ、綱吉にはわからない。
  それでも、獄寺のことを想っている。
  大切だからこそ、友達という枠でくくって守ってきた。
  自分自身の勝手な想いで獄寺を傷付けたくないと思ってきた。
  だからこそ、どうしたらいいのか、わからない。
  相談できる相手がいるわけでもなく、また、こんなことを相談するのもなんとはなしに憚られ、そのまま放置してきたのがそもそもの間違いだったのだろう。
  重苦しい溜息をつくと、綱吉は窓の外へと視線を向けた。
  嫌になるほどきれいに晴れ渡った空は、青く、澄んでいる。
  この空のように、すっきりとした気持ちになれないものだろうかと、綱吉は再び溜息をつく。
  背後に感じる、突き刺さるような獄寺の視線が胸に痛かった。



  終礼の鐘にビクビクしながら、綱吉は帰り支度を整えた。
  ホームルームが終わり、教室がざわめきに包まれる。ちらりと山本のほうを見ると、なにやら恐い目つきで睨まれた。さっさと仲直りをしろということなのだろう。
  人の波が引けてから教室を出るつもりの獄寺は、自席で苛々と貧乏揺すりをしている。眉間の皺が深く刻まれているのは、綱吉の席からでもはっきりと見えている。
  人の波に揉まれて、綱吉は獄寺の席まで行った。
「話があるんだけど……その、これから、ちょっといいかな」
  そう告げたものの、何を話せばいいのか、綱吉はまだわからない。
  自分の気持ちがはっきりと定まっていないのに、何を話せというのだろうか。
  獄寺は不機嫌そうに顔をあげ、ちらりと綱吉を見遣った。眉間に皺が寄っているからだろうか、わけもなく睨みつけられたような感じがする。
  おどおどと獄寺の目を覗き込むと、あっさりと頷いてくれた。
「……はい」
  人の波が、引いてきた。
  最後まで二人の様子を見ていた山本が、どこかホッとしたような表情で鞄を手にして教室を出ていこうとする。
「ツナ、獄寺、また明日な!」
  ニヤリと笑って山本は、ドアのところで声をかけた。それからひらひらと手を振って、教室を後にする。これから部活だと聞いているから、今日は山本が一緒に帰ることはないだろう。
  山本が教室を出ていってしまうと、綱吉と獄寺の二人だけになってしまった。
  気まずいままの二人は、これまでのように視線を合わせて言葉を交わすことが妙に気恥ずかしくてお互い、明後日の方向を向いている。
「この前、俺が言ったことだけど……」
  言いかけた綱吉の言葉に、獄寺の肩がピクン、と動く。
「俺たち、友達だよね?」
  少しばかり強い口調で、綱吉は尋ねた。
  獄寺は、視線を落としてじっと綱吉の言葉を待っている。
「違う?」
  少しだけ、綱吉の胸がチクリと痛む。
  自分の心を偽って語る言葉は、口にするたびに棘のような痛みを伴う。獄寺には、自分の心の奥底に隠された事実を見せてはならない。
  綱吉は握りしめた拳に、ぎゅっと力をこめた。



  ゆっくりと獄寺の顔が上を向き、綱吉の顔を見つめ返す。
  くすんだ緑色の瞳が何日かぶりに、まっすぐに綱吉を捕らえる。
「友達……です。でもその前に、俺はあなたの右腕でありたい」
  違う、と、綱吉は思った。
  自分はそうは思わない。右腕である前に、獄寺は大切な友人の一人でもある。胸の奥に隠し込んだ気持ちを伝えることができないのであれば、せめて友達として接してほしい。ことあるごとに自分と綱吉は親友だと口にする山本のように、もっと自分に近づいてほしいと思うことは、贅沢なことだろうか。
「獄寺くんの……分からず屋」
  押し殺した声と共に、涙がじわりと目の端に滲んだ。
  自分の伝え方が下手なことはわかっている。友達として接して欲しいという綱吉の気持ちをいつまでたっても汲んでくれない獄寺は、おそらく、悪くない。
  悪いのは自分だと、綱吉は唇を噛み締める。
「なんでわかってくれないんだろうな、獄寺君は」
  そう呟くと、綱吉は深い溜息をついた。
「じ……十代目?」
  心配そうに獄寺が、席を立ちかけた中腰の姿勢のまま、綱吉の顔を覗き込んでくる。
「俺は、さ。友達の獄寺君も、右腕の獄寺君も、どちらも手に入れたい。これって、我が儘なのかな?」
  上目遣いに綱吉は尋ねた。
  どちらの獄寺も、綱吉は手に入れたいと思う。ゆくゆくは胸の奥にしまいこんだ気持ちを伝えて、恋人としての獄寺をも手に入れたいと思っているのだが、今はその時ではない。
  綱吉の言葉に、獄寺は眉間に皺を寄せた。
「あなたは、俺に、十代目の右腕というポジションを与えてはくれないのですか?」
  躊躇いがちに、しかしそれでもはっきりと、獄寺は問いかける。
  そうではないと言いたかった。
  そうではなくて、そのどちらもを手に入れたいと綱吉は言ったのだ。
「……分からず屋!」
  そう言って綱吉は、獄寺の鼻先を指でピン、と弾いた。
「ってっっ……!」
  鼻の頭を片手で押さえると、獄寺は恨めしそうな眼差しで綱吉を見つめた。
「あ……あの、十代目?」
  恐る恐るかける獄寺の声は、微かに震えている。
「もう、いいよ。怒るのもバカらしくなってきた」
  わざとらしく溜息をつくと綱吉は、獄寺の腕を掴んで教室を出た。



  獄寺の手首は、思っていたよりもほっそりとしている。
  全体的に小柄な自分からすると、獄寺のほうががっしりとした体つきに見えないこともない。しかし見かけの割に骨太だと言われる綱吉からすると、獄寺の腕のほうが細いように思えてならないのだ。
  無言で昇降口まで獄寺を引っ張っていった。
  獄寺は、文句ひとつ口にすることなく、綱吉の後を黙ってついていく。
  右腕としては優秀なんだけどなと、綱吉は心の中で呟いた。
「それで、さ……」
  靴箱の前で不意に立ち止まると綱吉は、獄寺を振り返った。
「仲直り、するよね?」
  小首を傾げて尋ねると、獄寺は嬉しそうに目を輝かせ、頷いた。
「もちろんです、十代目!」
  そんな獄寺に、綱吉はぜんぜんわかってないんだからと小さく呟いた。
  靴を履き替え、二人で肩を並べて表へ出た。
  さやさやと吹いてくる風が、心地よい。ふわん、と獄寺の前髪の一部を揺らしていく。
  獄寺の銀髪は、夕暮れ前の陽の光を受けてキラキラと反射して見えた。
  友達よりも右腕がいいと言う獄寺の本心が知りたいと、綱吉は思った。
  そのうちいつか、尋ねてみよう。その時にはきっと、綱吉が胸の奥底にしまった想いを告げることもできるようになっているだろう。
「今日の数学の宿題、また、教えてくれる?」
  家までの道を歩きながら、綱吉は言う。
「はい、喜んで!」
  獄寺の嬉しそうな声が、あたりに大きく響いた。



END
(2009.6.24)


BACK